エルトン ジョン祭り。

そのファッションセンスはとてもいただけない。

けれど、エルトン ジョンには好きな曲が多い.

『Tiny Dancer』(1971年発表)は、盟友バーニー トーピンによる作詞。
彼は、1970年に初めて米国を訪問。
この時のカリフォルニアの印象を、詩に定着しようとしたらしい。

〈小さな踊り子〉は、L.A.Lady(ロサンゼルスっ娘)で、ブルージーンズをまとう。

それから時は流れて、40余年。

カリフォルニアの人生をいくつか切り取って来て、この曲に乗せた動画が配信される時代だ。

まるで、ロサンゼルスへの讃歌であり、タランティーノ映画へのオマージュのように。

―人生に説明はいらない、ただ感ぜよ。

CVID-19で、陽光の下、何が変わったんだろう?

ところで、昔、友人のO君から聞いた小噺。
かつて日本の某女性歌手が、L.A..L,A.,L.A.、とある歌詞を、ラ、ラ、ラと歌ったとか。
― 他愛のないお話でした。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (7/17 16:28)
ネガティブな人間が考えるとこうなる。
シトシト降る雨の中、子供達が水溜まりで戯れる。梅雨といえばそんなものだった。
ところが、今は降れば豪雨、いきなり大きな災害となる。
地球環境の変化のせいだろうか。
地球全体を覆うコロナ禍。東京の感染者は増え続けている。武漢型、アメリカ型、東京型、ウイルスは進化しているようだ。
予防薬、ワクチンの開発はそれに追い付いていけるのか。
ロスの空の下、世界中の空の下、仕事に汗し、仲間と酒を交わし、音楽、映画、芝居そして旅を楽しみ、家族と心から笑い合う。
そんな当たり前の事が躊躇いなく出来た日々は、すでに過去のものに成りつつあるのだろうか…。
サッカーを良く知らない私だけれど、せめて今度の日曜日、チームが快勝しアルウィンの空に一筋の陽光が射すことを期待しよう。
では、また。

☞萬年より  (7.17 17:10)
悪意のある憂鬱が世界規模で襲いかかった、そんな表現が良いのかどうか?

災害、病災はかつていくらでも在ったと思いますが、人を諦めさせないような情報の伝え方が強烈になっている、そんな気がしています。
延命措置を施されて生かされてしまう、かつて好みを通じた者に追っかけて殺すほどに執着する、とか……。

結局は ここに戻る。『People Get Ready』

75年前の、明日7月16日。
米国ニューメキシコ州でおこなわれた実験によって、史上初の原子爆弾が完成した。
それからたったの3週間後、新型兵器は、広島市の上空で炸裂する。

―平和の願い、といった陳腐な標語などどうでもいいが、この冷酷な事実だけは忘れない。

今は、〈Baby It’s You〉(1961年、シュレルズ、バカラック作曲)なんかに浸りたいと思っていたが裏切って、これにしよう。

同じようにR&B畑の楽曲。
1965年にインプレッションズが発表した。

米国の人々にとっては、公民権運動と切っても切れない曲。

時代を生きのびて、つい最近(7/6)ファンキーなジャズの容貌で蘇えった。

この齢になると、これくらいシンプルなスローテンポが、スッと入る。

 

では。

その日、ふたりに舌を巻く。

この曲を聴いて、舌を巻いてしまった。
前半の抑制と、ここぞというところで高潮する歌唱は、自在かつストイックなんだよなぁ。

それを想いだしていたら、隣の助手席から、
―吉 幾三、なんだけどさ、と来た。

―あぁ、青森県では、立志伝中の偉人だね。

―五所川原出身の彼、たいした歌い手だわ。『と・も・こ』って歌……。

どうやら、米国のタレント発掘番組の中、吉 幾三がギターを抱えて歌う動画をご覧になって、かなりヤラレたようだ。

―昨夏、萬年が青森県人論をブッた際、ルノワール氏が激賞してたのを読んでないのね?

―とにかく、この人、すごい……。

という訳で最近、ふたりして、ふたりの歌い手に参ってしまった次第。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより  (2020/7/04 16:49)
東京でベコ買うどころか…。
ルノ氏に、何気に吉幾三の話をしたら、即座に「ともこ」はいいよと感慨深げ。萬年氏のブログにあったと話したら喜んでおりました
圧倒的な声量と味のある表情で歌う曲はストレートに心に染みますね。
車の中での大人二人、円熟した歌手の話題、いいですね。
うちの奥などジャニーズの曲がかかると手振り身振りで踊り出すほうなので、何とも…。
では、また。
強風の中、勝ち点3を。

このブルースを 聴け 『東京流れもの』

ブルースとはどんな音楽か?、などと野暮な話は、一切いたしません。

これを聴けば、おおかた解かっていただける、というもの。

そう、藤 圭子こそは、世界に誇れるブルースシンガーだと信じて疑わない。

一生懸命ブルースをやろうとしているエリック クラプトンなんかよりは格段に巧くて、かつ迫力にまさる。

藤の場合、やろうと思わなくたって、らしさ を意識しなくたって、自然体がそのままブルースをつむぐ。

しかも、ほとんどの場合、元歌(本家版)より完成度が高い、となれば、カヴァーされたほうはさぞや居心地が悪かったに違いない。

ご本人はむしろ、『北国行きで』といったアップテンポな曲が好きだったのではないか、と思う。

生きていれば、この7月3日がやって来て、満69歳……か。

クラプトンに伴奏をさせて歌っている藤 圭子を夢想することがありますよ、ホントに。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより  (6/29 16:27)
たったの5つ違いだったのか。
たまたま、昨日スマホで聞いた「昭和の歌謡曲」。
藤圭子の歌の上手さ迫力は他の歌手とは別格だなと思った矢先の萬年さんのブログ、嬉しい限りです。
デビュー当時、その可憐な容姿と貧しさを背負った薄幸なイメージに引かれ、当時妹が持っていた雑誌「平凡」「明星」を持ち出し、彼女の記事を読み漁ったものです。
中学の修学旅行では、浅草国際劇場で「藤圭子ショウ」を観、自分で撮ったステージの上で歌う彼女の写真を机の上に飾ってました。
後年、不可解な行動そして不幸な亡くなりかたをして大変残念ですが、作家五木寛之氏をして「彼女の歌は演歌ではなく怨歌だ」と言わしめた彼女の歌声は、決して明るい面だけでは無かった昭和の時代と重なり、これからも私達の心に響き続けると思います。
では、また。

☞萬年より  (6/29 20:28)
〈怨歌〉とは巧い表現ですね。
とすると、水前寺 清子のは〈援歌〉か。
藤 圭子自身は、〈演歌〉、歌(物語)を演ずること、これを追求していたのかも。
これだけの危ういバランス、というのは、稀有な存在です。
では。

東京に、讃歌を。


よく考えてみたら、東京にだって、讃歌はいくつも捧げられてきた。

なぎら 健壱『葛飾にバッタを見た』(1974年発表) なんかは、そのひとつ。

かつて『悲惨な戦い』中で大いに茶化されたのに、今や、なぎらを使う某公共放送であるから、そのうち、年末の歌番組に、バッタを見たが歌われるかも知れない。

さて、本題。
1971年、はっぴいえんどは、消えゆく古き東京を惜しみながら、曲をひとつ仕上げた。

それが、『風をあつめて』(アルバム『風街ろまん』に収録)。

それから、半世紀経って、米国の若いミュージシャンがそのまま日本語!でカヴァーしてくれるとは……。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより   (6/19 6:19)
あ、見つけた
某放送局でたまに面白い番組を観ると、思わず「流石天下の○○K」と、メロディ付きで口ずさんでしまうのだが、その度、奥さんに睨まれる。出どころはそこだったのか、スッキリしました。
「葛飾にバッタ…」いいですね。初めて聞きました。あの映画の風景と重なり、また子供の頃、渡良瀬川の土手でバッタ取りに夢中だった頃を思い出し、なんとも懐かしい気持ちになりました。ありがとうございます。
では、また。

☞萬年より  (6/19 7:00)
長年の秘密のひとつが解決されて、なによりです。
決して、なぎら 健壱の才能を否定している訳ではなく、異端は異端であるからこそ多勢を堂々と撃てる、と言いたいわけです。
いぬいっちけーが、やたら異端をよいしょしてはいけません。それは他の者がやることでしょう。