ムダな力みを捨ててこそ (琉球戦プレビュウ)

この記事を打っている今頃、チームは、もう那覇市にチェック インしたんだろうか?
当地の朝は10℃を切っているのに、あちらは、20℃台の半ば。

となれば、まづは、この温度差(湿度差) に適応しないとならないわけだ。

〈群馬の策と その成功〉
前節の琉球は、ホームでザスパと対戦し、0 – 1 でゲームを落としている。

(26節をかけて群馬は、ようやくと、山雅の上方に順位をあげた)

予習のつもりで、DAZNにて、後半開始から点が入った64分までを観てみる。

そこでわかったこと。
それは、群馬が、ボールをつないで前へ進む琉球スタイルを徹底して無力化した事実。

具体的には、ボールを保持する琉球の最終ラインにプレッシャーをかけ続けて、中盤、さらには前線との距離を間延びさせることを狙った。

パスで組み立てる、ということはプレイヤー間の距離が適切に保たれることが必要だが、その距離を引き延ばすことによって、琉球の攻撃スイッチをオンにさせない策に出た。
あるいは、リズムを作らせないように仕向けた。

これが上手くハマって、前線の阿部 拓馬などはほとんどボールを触れない状況に陥る。

琉球のプレイヤたちは、ザスパの魔術に囚われたかのように、ピッチ上になんの連動感もなく散らばっていた、と言ったらいいのか。

他方、群馬は、蹴らせておいてのボールを回収すると、ペナルティエリアへの侵入を繰り返し、そこの混戦の中から、ついにゴールをゲットする。

このゲーム、ボール支配は、おそらく琉球65 : 群馬35 に近かったと思われるが、要は、ボールではなくゲームをコントロールした側に勝機が傾く、という見本でもあった。



〈陣形の乱し合いを 制せよ〉

たったの3週間あまりが経過しての再戦。

前回ああいう悲惨な結果になったからといって、あまり力んでみても始まらない。
ここへ来て見えてきたと信ずる山雅のサッカーを貫く、これに集中しよう。

となると自然、ボール保持にこだわらず、ファーストディフェンスを、時間帯やゲームの流れを意識して、緩急/強弱について意思統一しながら、中盤と最終ラインまでが連動して立ち向かう、ってことになりましょうか。

相手の陣形を縦に分断するとともに、当方のそれはコンパクトに圧縮する。

すると当然、山雅の最終ラインの後方には、広大なスパースが生まれる。
あえて、そこを狙わせてサイドをタッチラインに押し込んでしまう、そんなイメージでしょうかね。
これを、怖がらずにやり抜く、特に、センターバックとサイドバックが。
最終ラインの成長を、ここでこそ魅せる、くらいの気持ちで良い。

むこうが焦れて蹴り出すのならば、中盤は、踏ん張ってそのボールをひたすら回収だ。

結局は、攻守において我慢を切らさないこと。
切れたら、相手が陣形を整えてしまう。

特に攻撃は硬くならずに、テンポを大切にしてやりたいですよね。
最終のパスやシュートを決めきるためにも。

あぁ、こうなったら、ブラジリアン サッカーをも魅せておくれ、山雅。

もし、アウグストを使うならば、割当てをはっきりさせておいて、相手の陣形が緩慢になったところを衝くと、かなり効く、と思います。

そして聴く曲は、『Take It Easy』(肩肘張らずに生きてゆく)。
70年代バリバリ。しかも、メンバー全員がヴォーカルをとれるのがこのグループの強みですな。

では。

Yamaga Fan ひそかに愉しむ。

降り続ける雨の音を聴きながら、いまだ発表がないことを尻目に、無責任な妄想にふけっている。

「たたかう姿勢が感じられない」ので監督を解任した、という経営トップの言葉。

うーん、そんなにたたかっていなかったっけ?

ゴール前で身を挺する or 挺しない、ってことにばかり議論がいってしまうことを、むしろ危惧するのは、萬年。

たしかに失点すると意気消沈する部分はあったけれど、サッカーにおける失点とはそんなもの。
それによって、ゲームのあり方が根本から変わるからだ。

監督交代については、精神論ではなくて、採用されていた戦術論で語らないと将来への舵も上手く切れないだろう、と思いますね。

たとえば、ファン&サポーターとしての総括が、コロナ禍における制限下、〈新しく新鮮な応援〉をなんら開発できていない、という戦術論なのと同じように。

〈育成と強化〉という、とてつもないことを頼んでいたわけですし、育成の部分はけっこう見るべきものは多い。

でも、既に、賽は投げられた。

なれば、次なる愉しみを追い求めるのが、ファンの特権と仁義。

J1監督経験者をリストアップする、という花火が上がったこと。
さらに、山雅は、時としてトンデモナイ人選をしてみせること、これを前提に考えてみた。

おとといの職場でも、そんな話になりまして、

―まぁ、一番手は井原 正巳ですかね。今は柏のコーチだから引き抜けるかどうか?
あとは、精神論で割り切って突っ走るとして、名波 浩
……、と発言したら、笑いで返されたような次第。

毒を喰らわば皿までだ。こうなったら、

小野 剛風間 八宏川勝 良一、の各氏も挙げてみる。

川勝さんは、少々お洒落過ぎるか。

知人のT氏の見解は、きっと反町さんに相談してるんだろう、というもの。

初の外国人監督ということで、ドラガン ストイコビッチにも打診していたりして?

註: 監督代行も、経験者としています。

では。

ほとんど 智将 ? (2020.10.05山形戦レビュウ)

3 – 1 で、7試合ぶりの勝利。

アシストとゴールゲッターの、ポジション的なちらばりが、本日のゲームを見事に語っている。

さて、雑事にかまけていたら、DAZNの前に座るのが、ゲーム開始直前になってしまう。

そしたら途端に、山雅のほうの先発布陣の予想が映された。

―えっ !!! この並びの3 – 5 – 2 ?

中盤の 5の配列は、左サイドバック が高橋 諒、右サイドバックが 鈴木 雄斗。
まぁ、そこはわかる。

が、中央が、アンカー(基底)に米原 秀亮藤田 息吹、左には、前 貴之米原 秀亮、右に藤田 息吹前 貴之と、V字型が前に向かって開いたような配置になっている。

おいおい解説よ、大丈夫?、と思ったが、笛が鳴ると、そんな陣形。実際にはアンカーには米原、左に前、右に藤田だったが、この3人の顔ぶれに変わりなし。

でも、待てよ。
このゲームは中盤で山形に優位を保つことが前提、と書いたのはおぬしだったろうが? と、もうひとりの萬年がつぶやいた。

確かに、こうすればあたかも、刈りとれて押し上げ、且つ打って出られる者が、中盤で三枚並ぶ、という豪華な布陣が出現するではないか !
まるで、スリーボランチのように……。

トッポく飄々とした表情の下に、この監督、かなり豪胆な智将の部分を隠しているかも知れないな。

前節、萬年的MIPであった前が、まさかアウトサイドハーフも出来ることはつゆ知らず。
不勉強のそしりを受けても、返す言葉なしです。

要は、この采配がかなり効いて、前線からプレッシャーが効果的に入るようになったお蔭の、2点目、3点目だった。

特に2点目は、藤田が手中にしたボールをセルジ―ニョへ転送。次にセルジ―ニョがそれを、駆け上がった前に優しく転がして、前が決め切ったもの。

これだと今後、杉本 太郎のボランチ起用は、十分にあり、だな。

(もはやほとんど)智将の、上に述べた先発内容、さらに、途中交替の采配(5 – 4 – 1へのシステム変容) が大当たりであったことに加え、

❶米原 秀亮が攻守において、かなり高めの位置で、かつ、自信に溢れたプレイを遂行したこと。パスの配球は、特に。

❷最終ラインでは、無駄に押し込まれる状況に陥るような判断とプレイが減ってきていて、攻撃へと直結するようなボールを入れようとする姿勢が顕在化。

結局、中盤以降が安定し攻撃的になれば、自然とその前のほうは、やることにおいて選択肢と時間的な余裕が多くなるわけか。

モンテディオにしてみれば、表面的には上手の手から水が漏る、といった感があるやも知れないが、外縁をいくらなぞってみても得点機は発生せず。
反対に巧者が、自陣深くで追いつめられてからの 3失点だった。
(加藤 大樹が 左サイドに不在だったことには、ホッとした)

どんな形でもゴールネットが揺れればいいのであって、手を抜かなかったイレブンの勤勉さにこそ感謝しよう。

勝利後インタビュウでの大野の発言はけっこう心に浸みた。
リーグ戦がゴールするまでには、渡っていくべき河はたくさん在るぞ、ということだ。

Many Rivers To Cross を聴きながら、山雅の勝利によって辛さを乗り越えているファンサポーターは多い、ってことをしみじみと思ふサンデイ ナイト。

では。

スモーキー ロビンソンの貢献(その2)に泣く。

先回、友人k君の葉書から引用したが、実は、後段には、

―ダニー ボイル監督『イエスタディ』観ましたか?
ビートルズへのオマージュたっぷりの感涙ものの映画でした。
改めて彼らの楽曲の良さに痺れ、パラレルワールドのジョンの姿に涙しました。

……、とあった。

萬年にとってロックンロールへの導き手となったK君の感動には敬意を表しつつ、そして、もちろん、このグループの価値については異論などないものの、今の萬年の涙はそこには落ちない、というのがホンネ。

聴いて泣きが入るといったら、こういう動画なんだな。

実は、旧ブログでも紹介したけれど、データが消し飛んだので再度ブログにピンナップしてしまおう。

『The Tracks of My Tears』(1965年発表) 。

スモーキー ロビンソン&ミラクルズがヒットさせてから10年後、
リンダ ロンシュタットが、スタジオで録音している風景を撮ったものだ。

リンダのカヴァー版は、『ひとすじの涙』という邦訳。

何度も流した涙なんで、複数形になっているんでしょうか、きっと。
ならば、ひとすじ、ではなくて、いくたびの涙、とかどうでしょう?

―外見は楽しくやってるようにみせてるけれど、心はブルー。
あなたが去ってからずっと。
まったく、悲しいピエロなの。
よくみてごらん わたしの頬を。
涙の痕が残ってる。あなたがいなくちゃお終いのこの私。

逆に、こう言わせた側からしたら、本望、ってことか。

当時、時代の歌姫のような存在だったリンダ。

近年パーキンソン病によって引退を余儀なくされてしまったこともあり、よけいに胸に来る歌唱です。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より (10/2 10:04)
男の涙に嘘はない。
別れに際して男は女々しく、女は潔いと言われるが、多分女性の場合、より良い遺伝子を求め種の存続を図ると言う、いたって生物学的本能のため、過去の男にいつまでもこだわってなどいられないのだろう。

私の経験した幾つかの別れでも、女性は確かに潔く凛々しかった。
しかし、それも当たり前で、そんな場合女性の関心は既により良い遺伝子を持った男に向いている場合が多いのだから。
別れた後も自分を思ってくれる女性がいるのは、男冥利に尽きるが、別れた女性にいつまでも未練を残しながらも、さらにその女性が幸せになるのを願う。もちろん心の中でだ。
それはそれで良いのではないだろうか。
では、また。
☞萬年 より   (18:40)
なるほど。
となると、嘘の涙を流すのは、女類の生物学的なマトモな行為、ということになるのか。
倫理や善悪を超えた部分での。

何をやっても,叱られる日。

ご幼少の頃は、そんな日もあったっけ。

案内をもらっていた美術展に行ってみたら、別の展覧会の盛況による長蛇の行列。
駐車場にさえ、とても入れない。
そこで次の日に出直したら、休館日。
たしかめてみると、なんと前日で会期は終わっていた……。

……、かと思うと、その日の朝。
気づくと、携帯に着信履歴あり。
発信元は、07〇〇 – 〇〇 – 0110。
おや、この末尾4ケタは、警察署ではないか。
棄ておくわけにもいかずに架電してみると、ずいぶん手間取った挙句、アチラの間違い電話だったというご返事。

さらに、トドメとして夜は、スコア1 – 6 の惨憺につきあわされる。

何をやってもうまくいかない日がある。

セ ラ ヴィ! (これが、人生さ!)、とかいって、フランス人みたいに首をすくめてみる気にもなれない。

で、こんな曲に逃げ込んでしまうのだ。

Wonderful World は、サム クック(1931~1964) が 1960年に発表した。

山雅クラブがいまだ存在しなかった、60年前だ。

―高校の教科はどうもわからないけれど、言えることはただひとつ。
僕が 君を好きってこと。
君が振り向いてくれるなら  勉強もがんばっちゃうんだけどな。―

どうも、彼の素晴らしき日の訪れは、恋人の心ひとつにかかっているんですな。

その翌々日、招待してくれた親友から葉書が来た。


葉書の、ピエル ボナール『化粧台』1908年作

―展示会にはお越しいただけたでしょうか?
今回は 200号の大作を描き切って気分爽快です。
昨年はブログで私の作品を紹介していただきまことにありがとうございました。山雅ファンの同僚が見かけたそうで、教えてもらいました、云々。

さて、どうやって観そびれてしまったのかをエクスキューズしようか?
、と頭を抱えている日。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より    (9/28 7:47)
覗かずに見上げよう。
とんでもない日が人生には幾日かあるものだ。
肉親が亡くなった日、ペットが亡くなった日、病で倒れた日、彼女に振られた日、仕事で失敗した日、数え上げたら切りがない。
それらが、平板な人生に深い谷を刻み付ける。
しかし、谷ばかりではない。美しい丘を形作ることもある。
その一つが、恋の成就だろ。我が人生でも何度かあったが、やはり一番美しい思い出だ。
しかしその丘もすぐに、激しい風雨で深い谷が刻まれるのが常ではあったが。
あの、美しく明るい女優竹内結子さん、深い谷を覗き過ぎたのか…冥福をお祈りします。
では、また。