5月の朔日(ついたち)、という曲名だから、今日採り上げるにふさわしい、というこじつけ。
まだ幼かった頃 クリスマスツリーを見上げていた
みんなが遊びに熱中する中、僕らはいつも一緒だったっけ
どうして?、って訊かないでおくれ
ただ 時間は過ぎ去ってしまう
他の誰かが 遠くからやって来たんだ
僕らはもう大きくなって クリスマスツリーは 小さくみえる
君が幾度確かめようとも 僕らの愛に変わりはないよ
けれど、五月最初の日が来ればきっと 涙が こぼれるだろう……
では。
5月の朔日(ついたち)、という曲名だから、今日採り上げるにふさわしい、というこじつけ。
まだ幼かった頃 クリスマスツリーを見上げていた
みんなが遊びに熱中する中、僕らはいつも一緒だったっけ
どうして?、って訊かないでおくれ
ただ 時間は過ぎ去ってしまう
他の誰かが 遠くからやって来たんだ
僕らはもう大きくなって クリスマスツリーは 小さくみえる
君が幾度確かめようとも 僕らの愛に変わりはないよ
けれど、五月最初の日が来ればきっと 涙が こぼれるだろう……
では。
たしか、25日の朝のこと。
家人が隣家へ出かけていって、中信エリアだけの新聞(読み終わったもの)をいただいて来た。
山雅の、鐵戸編成部長のインタビュウ記事が、お目当。
前日、京子さんからのメールでは、この記事について否定的な言及があったので興味が湧いたらしい。
おこぼれに預かって斜め読みした。
記者の執筆要旨が定まっていないことが(おそらく)原因で、記事の中身がちっとも腑に落ちないので困ってしまう。
ちょうど、毎朝15分やっている公共放送のドラマ主題歌、日本語で歌っているようなんだが、歌詞が頭の中で日本語として一向にたどれない、まさにあの感覚。
一体、どういう切り込みでマイクを向け、テッちゃんに何を言わせたかったのか?
どうやら〈山雅らしさ〉がキーワードらしいことはうかがえた。
スランプに陥った時におこなわれる、この確認作業。
山雅を取り巻く一帯では、キャッチコピーのごとく、ひんぱんに登場する。
Gans asks What makes Yamaga time after time.
山雅らしさ、が蒸し返されるのには、以前から食傷している。
それがいまや、自分探し、いや、あら探しのゲームの観ありで、笑える。
らしさ、の認定根拠はもっぱら、勝敗、順位という結果から導きだされるようだ。
となれば、ほとんどが情緒的な印象論ばかり。
数値としてのデータはほとんど示されない。
好不快、悦楽と落胆などの感情は否定しないけれど、その基準で仕事が一刀両断されるとしたら、ゲームをやってるほうは浮かばれないんじゃぁないか?
虹の彼方の理想郷、実は家に居た青い鳥、掬い取れない手桶の満月。
……、実体なき願望でないのか、自問するのもいいかもね。
ただ、このテーマについては、語れないこともなくて、らしさの根源はおそらく、〈後からやって来たアマチュア集団〉に在ることだけは確か。
たとえば、昨日リリースされた、2020年期 株式会社松本山雅の、最終的に黒字を確保した決算内容。
より詳細が公表されれば、そのやりくり上手に迫れるんでしょうが、流行り病の逆風下で、こういった通信簿を報告するところに、山雅らしさを観察できなくてどうするのか、とは思います。
では、また。
2019年に関するデータがある。
監査法人大手のデロイトトーマツが、毎年発表しているもの(最新版)。
J1チームの、スタジアム集客率(%) だ。
ホームスタジアムに、定員に対しどのくらい観客を集めたのかという数字。
第1位は、川崎フロンターレで、83.7%。(23,843人)
我が山雅は、第3位で、78.0%。(15,861人)
あぁ、こういう日の再来を、恋い焦がれるわけです。
グッズ関連利益額、というのもあって、
第1位は、浦和レッズで、3億6,100 万円。
山雅は、第9位の、1億2,600 万円。
リーグ平均が、1億2,700 万円なので、ちょうど平均値ぴったりだった。
たとえば、ジュビロ磐田(14位)は、6,800 万円。
必死に売り上げないと経営が成り立たない山雅と、それを当てにしなくともやっていける磐田の、クラブの在り方の違い、と言ってしまえばそれまでなんですがね。
チームは闘魂むきだしで戦い、クラブは商魂まる出しで売りまくる。
それが山雅の歩む道。
ところで、手ぬぐい製造販売の〈かまわぬ〉とコラボレーションした、手ぬぐいが近々に登場する。
絵と文字なんかを使って、松本山雅を織り込んである。
写真のは、かまわぬを、鎌、〇(輪)、ぬ といった絵や文字にくだいて文様に仕立てている。
洒落ているので以前から使っているが、お店でフツーに購うと、880 円也。
で、山雅オリジナルは、1,500 円。
Jリーグも版権使用の名目で、かなりピンハネしているはずだから、同様なものの市価の、約2倍になるのも当たり前か。
まぁ、今回、萬年は遠慮しておきますがね。
最後は、山雅愛とか言ってこんな曲で、失礼を。
では。
ヴァンフォーレ甲府戦でハットトリックをやって魅せた、
#14 フォワード 鈴木 国友。
リーグ得点ランキングで、5位タイになった。
DAZNで観た、ゲーム後インタビュウ。
ドローだったから、ヒーロー、とはいかないせいもあってか、遠慮がちで繊細な話しぶりだったが、人柄がにじんていて好感を持った。
ふと、春浅き朝、我が家のすぐ近くを、食物を探すようにして彷徨っていた、あの孤独な狐を想い出す。
〈Bleached Fox〉、僕の中では、国友君をそう呼ぼうか。
髪をなびかせ、嗅覚鋭くゴールを狙う狡猾さを磨け、という気持ち。
そしたら、こんな曲まで記憶に蘇える始末。
『Sister Golden Hair』は、America が、1975年に発表した。
では。
幼児にとっての入門的なトランプ遊びは、ババ抜きだろう。
順繰りに、隣の人のカードを抜いていって、手に入れた中の、同じ数字のカードはセットにして捨ててよい。
そして、手持ちのカードが全部なくなると、その人は上がり。
早く上がった者から(勝ちの)順位を得て、最後までジョーカーを持っていたものが敗者。
で、突然、なぜこのゲームを〈ババ抜き〉というのか?と、ひどく気になりだした。
英語では、この遊びを、〈Old Maid〉と言う。
老嬢、あるいは、オールドミス(今では死語?) のことです。
かつては、クイーン(#12)、つまり、女王を 1枚抜いた 51枚でプレイしていて、最後に、クイーンを手許に残した者が敗者だった。
(女性が残れば負けよ、なんてのは、フェミニストの攻撃対象になってもおかしくないが、そういう話はいままで、萬年、寡聞にして聞かない)
なんだ、ゲームの方法を直訳して、婆抜き、としただけの話……。
その後いつしか、ジョーカーを1枚加えた、53枚で遊ぶようになったらしい。
今日、緊張感を味わうため、どれか1枚を抜き、ブラインドカードに仕立ててプレイすることがありますよね。
それを、ジジ抜き、とも呼ぶ。
けれど、発生史に忠実であろうとすれば、キング(#13)を抜いてこそ、ジジ抜き、でありしょう。
ところで、途中投入されてゲームの様相を変えてしまうような実力派(切り札)を、ジョーカーと呼ぶことがある。
本日のヴァンフォーレ戦、ジョーカーが出現すれば嬉しいが、まづは先発メンバーで、ゲームをこちらへと、たぐりよせなければ、ね。
では。