『Tupelo Honey』

ヴァン モリソン (1945~ ) が、1971年に発表した曲。

テュペロ ハニーとは、高級な蜂蜜のことらしいが、詳細は知らない。
tupelo、とは、ミズキ属の、落葉高木。

米国では、ブラック ガムとも呼ばれていたようで、ミシシッピ州には、その樹名にちなんだ、tupelo という名の街がある。(日本語では、テューペロと表記される)

同州の北東部に位置していて、ここから国道8号線を北へたどると、メンフィス(テネシー州)に至る。

人口30,000人ちょっとのこの街は、なんといっても、エルヴィス アーロン プレスリー(1935~1977年) の生地として有名だ。(彼の墓地はメンフィスに在る)

市の観光課のホームページも、エルヴィスゆかりの地、一色。

グーグルマップのストリートビュウを使えば、エルヴィスの、白いこじんまりした美しい生家が観られるし、その周辺で、のどかな田舎道をドライヴできますよ。

陶磁器に 茶を淹れよう
僕のために ティーバッグを浸してくれないか
世界中の海の その深い蒼に それを落とすように
君は まるで テュペロハニー のように甘美で
最上級の天使……

曲の発表当時、ヴァンは新婚時代の只中だったから、こんな詩が書けたに違いない、とか言ったら、それこそ、身も蓋もないか。

では。

500マイルも離れて。

君が乗り遅れても 私は この汽車で行こう

何百マイルも離れたところに 君は 汽笛を聞く

100マイルを ひとつ  ふたつ  みっつ よっつ
そして いつつもたどったところへ

遠く 故郷から離れてしまった  この私

着替えのシャツも持たず  お金もなくて
どうして 家路をたどれよう

500マイルも離れてしまったいまは……

では。

雪の名残りに。

まさに、昨日のこと。

これ、もう物置にしまわないと、と思っていたのは。

一夜明けたら、それを使って、愛車のフロントガラスの雪を払っているとは。

明日のゲームが、もしもホーム戦だったら、今頃は大騒ぎしているんだろうなぁ。

今年は降雪が週末にかかることが多いから、雪の朝はよけい静かでいいや。

と、そうそうに家の中に入るのでありました。

おんなじ白でも、今は、こっちのほうに憧れます、ずっと。

では。

『ふとした旅人』

原題は『The Accidental Tourist』。

1988年の米国映画。

邦題は『偶然の旅行者』で、見事なほど工夫がないんです、これ。

この作品が、この国であまり注目されない理由のひとつでなないか、と勘繰りたくもなるんですね。

で、勝手にタイトルのように訳出して見た次第。

旅行ガイドブックのライター役で主演した、ウイリアム ハートが、3月13日に亡くなった。(1950~2022年)

誕生日の7日前、との訃報。

享年 71歳だった

凶悪犯に息子を殺害された痛手から立ち直れないでいる主人公、という設定がまづあって、

その日常に、ふとして入り込んで来た、かなり奇妙な行動をとる子持ちの独身女性(ジーナ デイビスが演ずる)に、戸惑いながら惹かれて行く進行。

― となれば、ハートの持つ〈受け〉の演技の巧さが、存分に発揮されること、これはもう観ていて、一番のお楽しみなんです。

冒頭のシーン。

たしか、ベッドに置かれた空の旅行鞄に、パサッと、畳んだボタンダウンシャツが抛られる。

で、それが、ブルックス ブラザーズ。

最初に、主人公の趣味や素養をあらかたを示してしまおう、という脚本だ。

こういうところが、アメリカ映画らしい。

乗ってるクルマや服装でさりげなく、主人公の人となりを描写できるというのは、社会の成熟というものでしょうか?

1980代がだんだんと押し迫っていく憂鬱、そんな感じの映画を想い出しながら、一瞬の安逸に沈みたいものです。

ご冥福をお祈りしながら。

では。

已むに已まれぬ 不正直。

海の向こうの騒乱をみながらも、さて、自分の足許を見つめないわけにもいかぬ。

Global Firepower というところが、毎年、核兵器をのぞいた軍事力ランキングを発表している。

その国の、人口、軍事費、兵力、陸海空の保有兵器、戦略視点からの地理など、50項目を数値化して、順位づけしているらしい。

最新のそれによれば、我が日本は、第5位なんである。

だから、上には、第1位の米国からはじまって、露、シナ、インド、の4つの国しかない。

ちなみに、ウクライナは、22位。

武力はこれを持たない、と内外に宣言したものの、その後、冷戦下の集団的な安全保障体制に組み込まれる過程で、あくまで防衛力とかいいながら、再軍備。

結果、堂々たる軍事力を持っているのですよ、僕らの祖国は。

もちろん、持っていることと、これをどう使うべきか、ということがセットではっきりしていないといけないけれど、

どうしようもなかった、とはいえ、やっぱり国を挙げての不正直だったわけで、これからは、この事実をキチンと受け止めて進まなければと、特に、有為の世代に向かっては、期待を込めて言いたいものだ。

核アレルギーを含め、臭い物に蓋をするような態度でウダウダとやってきたベビーブーマーの世代(1946~1964年生れ) の思想を、葬り去ってしまう迫力でもって。

穏やかな平和愛好者がすむ列島、けれど、ひとたびこれに攻撃を加えた日には、激烈なる反撃を覚悟しなければならない国。

だから、アンタッチャブルな日本として、国際社会では生きて行く。

これからの道はこれしかないだろう、とは前にも書きましたけれどね。

では。