イタチごっこを笑い飛ばす。

それが、お国の名誉のためなのか、指導者としての権威アップなのか、または本人と家系の稼ぎのためなのか?

とにかくどんなことをやっても、クロをシロと言い張ってでも、競技会でトップを獲りたいのだ。

これって、追いつめられた学生諸君が眠眠打破を使って、徹夜でレポートを仕上げたり、愛を込めとか言って旦那に、タウリンの入った清涼飲料を飲ますのと、ほぼ同じノリで投薬しているんだろう。

若年だからどうのこうの、オリンピック委員会からの派遣ならば参加可だとか、ダブルスタンダードが組織の都合で推し通される事例は、この世にゴマンとあるわけで、こういうときに、さも正義をかざして責めるのも、大人げない。

とか言いいながら、チャイコフスキー、ピアノ協奏曲第1番(変ロ短調)を聴いているだけなんだけれど……。

註:『父と娘の歌』(1965年 日活)、シーっ!と、引用。

では。

温かく,おちょくる。

もともとは、関西方面(越後も) の方言だったんですな、おちょくる、って言葉。

見下した態度で他人に接すること、を言うらしい。

これを露骨にやる者は、周囲からは、きっと愛されないだろう。

他人を攻撃するのは止めておくほうが、身のためだし、平和にも貢献する。

けれど、ある領域にあっては、上品に、かつ、批判的に遊んでみる、つまり、おちょくってみるのも楽しい。

楽曲に新しい解釈を施し、光を当てて蘇らせる、というのは、ライ クーダ― が地道にやってきたことであって、彼の音楽の最大の魅力だが、そんなようなことをやりまくっているサイトを最近見つけて、楽しんでいる。

そこから、ひとつご紹介するが、これを聴いていて、『Help!』(1965年発表) は、ビートルズにとっても、ロックンロール史にとっても、相当に画期的な曲だったんだなぁ、とふと、思えてきた。

この前触れた、チューリップや井上 陽水にとっては、ここらが音楽的ルーツでしょうかね。

〈Your Mother Should Know〉をなぞるような編曲。

演奏後の挨拶まで真似てみせて、いとお洒落なり。

では。

雪に……、 

愉快を感じて勇み立つようならば、きっと精神が若いあなただろう。

追慕、忘却といった気分に沈むようならば、十分に齢を重ねた証拠に違いない。

こうなったら、雪とはあまり縁のない世界のことを偲ぼうと思い、ライ クーダーのことを想い出したので、この曲を聴いてみる。

もともとは映画『The Border』(1982年米) のために作られたようだ。
サウンドをライが担当していて、この曲は、ジョン ハイアットらとの共作。

ジャック ニコルソン(主演)が、メキシコへの出入りに絡んだ組織的な腐敗に挑戦する 国境警備隊員を演じた。
ハーベイ カイテルが汚職に手を染める同僚役で、なかなか魅せる。
アメリカの不機嫌、みたいなものが通俗的にリアルに描かれていた。

国境を越えて  〈Across the Borderline〉

ずっと聞かされてきた場所がある
街の通りが金で舗装されている とか
そこは 国境を越えたところにあるんだ
自分に その順番が回ってきたら
やがて 君は知るに違いない
見い出せるどころか 失うことになるってことを

約束の地に着いたはずなのに
希望のすべてが 両の手から滑り落ちてしまえば
思い返そうとしても 時すでに遅し と悟るのさ
こんなに遠くやってくるための労力を報うため
ただ この場所で またやり直すだけ
そう 君は 国境を越えてしまったんだから

リオグランデ河を 行ったり来たり
砂に刻まれた無数の足跡は 
誰にも わかりはしない物語
大河は  僕たちの生きざまと死にざまを映しながら
吐息のごとく 流れ下る
次に国境を渡るのは誰かって 教えておくれ

悲しみの暗闇にあって
僕たちは 今日越えなければならぬ
もっと先へ、と名づけたこの河を

けれど プライドを捨てたところに 希望は残る
それは君を  国境を越えよ と 突き動かし続けるんだ……

生きているといいことがあって、こういった、最近のカヴァーに触れることができる。

では。

爺いとスイカの頃 ?

同僚の、孤高の長距離ランナー、ルノワール氏の、

履き込んで絶妙にくすんだ、スニーカー(白) をロッカールームで見かけたので、それを絶賛したら、

― 虹とスニーカーの頃、ってやつです、とのご返事であった。

わがままは~、と煽ったところで、若き世代に通ずるはずもなく、

せいぜい、ジジイとスイカの頃?、くらいにしか聞こえないだろうね。

ルノ氏によれば、この曲が登場する以前は、ズックといっていたけれど、これを境に、スニーカーという言葉が一般化した。

それって、彼ひとりの都市伝説じゃあないの?、と思うんだけれど。

僕は、と言えば、チューリップあたりには、世代論的に、音楽的なルーツが知れている感があって、あまり身を入れて聴いたためしがない。

これは、サザンオールスターズにも言えて、こっちは、歌自体は別として、やっていることが、もっと陳腐に思えてしまう。

高校時代からの友人、K君の年賀状には、
― 昨年は登山ばかり、次々に出てくるビートルズのリマスターCDを聴きながら絵を描いてます、とあった。

悠々自適な生活なんだろうな、きっと。

いまだその境地に達しない萬年は、ビートルズをこんな風に仕上げているものに心惹かれます、最近は。

なお、フィービー スノーは、2009年に60歳で亡くなった。

では。

尋常でないもの、それは恋 『Tennessee Whiskey』

恋愛感情が、およそ正常な心理でないことは明白なり、

これ、誰の言葉だったっけ?

昔は 酒場へ出かけていって
酒が 唯一の愛すべきものだった俺
ところが君がどん底から 俺を救い出した
はるか遠くへと 連れ戻してくれたんだ

君は テネシーウイスキーのように 芳醇で
ストロベリーワインのように 滑らかで
ブランディグラスのように 暖めてくれる

ハニー、いつも君の愛に浸っていたい俺なのさ……

歯の浮くような文句が歌詞となり、しかも、それを何回も聴いていられるんだから、やっぱり、恋なんてのは、どこか狂っている感情ですな。

クレイジーラブ、なんて言葉があるくらいですから。

カントリーミュージックの古典 (といっても1981年発表) だった曲。

それを、2015年、アルバム『Traveler』で、クリス ステイプルトン (1978~ )が、スローテンポなロックンロール調 (これをR&Bとも言う)のバラッドに仕立てて、カヴァーしてみせた。

今回は、そのステイプルトン版の、カヴァーを。

あえて言えば、ホンキ―トンクなジャズピアノが、最高!

では。