2部に比べると、ゲームが、8つも少ないリーグ戦。
DAZNの中、どうしようもないような解説が入らないことには案外に慣れてしまい、かえって、スッキリしているけれど、
15日2週間もゲームにご無沙汰とは、なんとも切ないことです。
……、ということで、こんな曲を聴いて、第7節に備えております。
リーグ戦も、5分の1 を消化する、という大切な節目でもありますしね。
では。
2部に比べると、ゲームが、8つも少ないリーグ戦。
DAZNの中、どうしようもないような解説が入らないことには案外に慣れてしまい、かえって、スッキリしているけれど、
15日2週間もゲームにご無沙汰とは、なんとも切ないことです。
……、ということで、こんな曲を聴いて、第7節に備えております。
リーグ戦も、5分の1 を消化する、という大切な節目でもありますしね。
では。
この前、伝言、に絡めて語ったら、それを読んだ ルノワール氏が、
― それだったら、『私鉄沿線』でしょう!!
と、盛んに煽ってくるんです。
歌詞の一節、〈伝言板に君のこと、ぼくは書いて帰ります〉を強調しながら……。
五郎岳氏による、1975年発表の、珠玉のヒット。
でも、しかし、不義理にも僕は、しれっと ルノ氏を裏切ると、JR『中央線』のほうに走ってしまおう。
最近、チェアマンが、声だし応援可の検証に着手したい、などと発言なさるから、山雅の入場アンセムの元歌として、いまは余計に、恋しいわけです。
ところで、駅構内の伝言板、この国からは完全に姿を消したんでしょうかね?
では。
ヴァン モリソン (1945~ ) が、1995年に発表した曲。
同名のスタジオアルバムに収められた。
まるで、秋空の上のほう、風に乗って気まま、暢気に浮遊している(ようにみえる) 蜻蛉のごとく、
お気楽に生きる者を、侮蔑を込めて、極楽トンボ、と呼ぶ。
戦争が海の向こうで始まった途端、キチンとした軍備がなければ、とか、原子力を使わないでどうやって電気まかなうのか、とか、議論する者が増えだす。
すると、いままでそう言ってきた身としては、この期に及んで、振り子を急に戻しなさんな、極楽トンボらめ、と思う。
もちろん、Easy Going ドラゴンフライ、で暮らしていければ、それがいいに決まっているから、
日本はこれから、せいぜい、海原上の孤立、という地政学的な立場を存分に活かす武装をしておいて、他人マネでない、自分流な外国とのつき合いをしないと。
なんだったら、こちらから出て行くことはするが、ほとんど入れない、という理念と主義を巧く運用する、って手もありだけれど、それには、相当の智恵と犠牲も要す。
なぜなら、経済成長を疑わない経済、1億人以上の人口を喰わせ、かつ、そこから税金を巻き上げて成り立つ国家、といったものを前提にしたシステムだと、都合の良い〈鎖国〉は、とても無理だから。
究極として、日本人が考えるべきは、俺の死に水、一体誰に取ってもらうか、という ライフスタイルであって、いわば、〈死生観〉をハッキリさせるということ。
COVID-19への対応、マスクするしない、死者の値のとらえ方、多勢に無勢でも武器を執る、今起こっている、こういった事象を、日本人がキチンと捉えられないのは、西欧の死生観への無理解、つまり、自らの死生観への無知による。
現在の日本人は、とにかく、生身の、生物的な〈死〉を怖れ嫌うのみで、〈理念のしての死と生〉が曖昧になっているんです。
……、とか、いろいろ切りもなくなるから、やはり、極楽トンボを決め込んで、聴くに限る。
こんな日もあるさ
いつも雨降りばかり でもなく
不平を言う奴が だれもいない
一瞬にしてスイッチが入るように すべてが上手くおさまる
…… 母さんが言ってたよ、こんな日もあるさ って
くよくよすることも なく
誰もがせかせかして いない
ユダがやったように 君を売るような者はない
…… 母さんが言ってたよ、こんな日もあるさ って
なにか答えを求められも しない
君を利用する者が 現れない
ジグソーパズルのピースが ピタッと合ってしまうなら
こんな日があるっ て 憶えておこう
正直に生きて だますこともせず
一杯食わせようと たかって来る者も なく
君の生き方に チャチャが入らなかったならば
こんな日もあるって 憶えておかないと
他人から 踏みつけられることもなく
僕のことを 解かってもらえる
ものごとが どう変わっていくかが 心にピンと来たら
…… 母さんが言ってたよ、こんな日もある ってね。
では。
前回記事からの尻取りゲームみたいな感じで、たどり着く曲。
歌詞が秀逸。
― 気がつけば寂しげな街ね この街は、という一節。
これが、感情が表出される、ただ一箇所として、特に効いてます。
同じ作詞家のものでは、『さらば涙と言おう』(1973年) や、『白いサンゴ礁』(1969年) も好きだけれど、これが一番かな。
この曲とか、『石狩挽歌』(1975年) は、突然それだけがそこに在る、という感じで、流行り歌の中に屹立している。
1960~70年代をクラシカルとみる態度は、僕の中でそうそう消えそうにない。
では。
ハービー ハンコック (1940年~) の、同名タイトル(1968年発表) のアルバムに収められている曲。
親しみやすいメロディ。
落ち着いた雰囲気の ホーンセクション。
ピアノに、表情豊かに美しく語らせている、っていう感じがいい。
子どものように語ろうよ、と言っておいて、このアルバムには、別に、
『Goodbye to Childfood 』という曲も入っている。
子どもの頃に さようなら……。
6歳になったばかりの子が、積み木遊びをしていて、青と黄色のスティックが並んだら、
―ウクライナだ、これ、と独りごとのように話す。
彼、将来になって、この戦争をどういう気持ちで、振り返るんだろう?
では。