伝言板は どこへ消えた?

この前、伝言、に絡めて語ったら、それを読んだ ルノワール氏が、

― それだったら、『私鉄沿線』でしょう!!

と、盛んに煽ってくるんです。

歌詞の一節、〈伝言板に君のこと、ぼくは書いて帰ります〉を強調しながら……。

五郎岳氏による、1975年発表の、珠玉のヒット。

でも、しかし、不義理にも僕は、しれっと ルノ氏を裏切ると、JR『中央線』のほうに走ってしまおう。

最近、チェアマンが、声だし応援可の検証に着手したい、などと発言なさるから、山雅の入場アンセムの元歌として、いまは余計に、恋しいわけです。

ところで、駅構内の伝言板、この国からは完全に姿を消したんでしょうかね?

では。

極楽トンボの 『Days Like This』

ヴァン モリソン (1945~ ) が、1995年に発表した曲。
同名のスタジオアルバムに収められた。

まるで、秋空の上のほう、風に乗って気まま、暢気に浮遊している(ようにみえる) 蜻蛉のごとく、
お気楽に生きる者を、侮蔑を込めて、極楽トンボ、と呼ぶ。

戦争が海の向こうで始まった途端、キチンとした軍備がなければ、とか、原子力を使わないでどうやって電気まかなうのか、とか、議論する者が増えだす

すると、いままでそう言ってきた身としては、この期に及んで、振り子を急に戻しなさんな、極楽トンボらめ、と思う。

もちろん、Easy Going ドラゴンフライ、で暮らしていければ、それがいいに決まっているから、
日本はこれから、せいぜい、海原上の孤立、という地政学的な立場を存分に活かす武装をしておいて、他人マネでない、自分流な外国とのつき合いをしないと。

なんだったら、こちらから出て行くことはするが、ほとんど入れない、という理念と主義を巧く運用する、って手もありだけれど、それには、相当の智恵と犠牲も要す。

なぜなら、経済成長を疑わない経済、1億人以上の人口を喰わせ、かつ、そこから税金を巻き上げて成り立つ国家、といったものを前提にしたシステムだと、都合の良い〈鎖国〉は、とても無理だから。

究極として、日本人が考えるべきは、俺の死に水、一体誰に取ってもらうか、という ライフスタイルであって、いわば、〈死生観〉をハッキリさせるということ。

COVID-19への対応、マスクするしない、死者の値のとらえ方、多勢に無勢でも武器を執る、今起こっている、こういった事象を、日本人がキチンと捉えられないのは、西欧の死生観への無理解、つまり、自らの死生観への無知による。

現在の日本人は、とにかく、生身の、生物的な〈死〉を怖れ嫌うのみで、〈理念のしての死と生〉が曖昧になっているんです。

……、とか、いろいろ切りもなくなるから、やはり、極楽トンボを決め込んで、聴くに限る。

こんな日もあるさ

いつも雨降りばかり でもなく
不平を言う奴が だれもいない
一瞬にしてスイッチが入るように すべてが上手くおさまる
…… 母さんが言ってたよ、こんな日もあるさ って

くよくよすることも なく
誰もがせかせかして いない
ユダがやったように 君を売るような者はない
…… 母さんが言ってたよ、こんな日もあるさ って

なにか答えを求められも しない
君を利用する者が 現れない 
ジグソーパズルのピースが ピタッと合ってしまうなら
こんな日があるっ て 憶えておこう

正直に生きて だますこともせず
一杯食わせようと たかって来る者も なく
君の生き方に チャチャが入らなかったならば
こんな日もあるって  憶えておかないと

他人から 踏みつけられることもなく
僕のことを 解かってもらえる 
ものごとが どう変わっていくかが 心にピンと来たら
…… 母さんが言ってたよ、こんな日もある ってね。

では。

『ジョニーへの伝言』(1973年)

前回記事からの尻取りゲームみたいな感じで、たどり着く曲。

歌詞が秀逸。

― 気がつけば寂しげな街ね  この街は、という一節。

これが、感情が表出される、ただ一箇所として、特に効いてます。

同じ作詞家のものでは、『さらば涙と言おう』(1973年) や、『白いサンゴ礁』(1969年) も好きだけれど、これが一番かな。

この曲とか、『石狩挽歌』(1975年) は、突然それだけがそこに在る、という感じで、流行り歌の中に屹立している。

1960~70年代をクラシカルとみる態度は、僕の中でそうそう消えそうにない。

では。

『Speak Like a Child』

ハービー ハンコック (1940年~) の、同名タイトル(1968年発表) のアルバムに収められている曲。

親しみやすいメロディ。

落ち着いた雰囲気の ホーンセクション。

ピアノに、表情豊かに美しく語らせている、っていう感じがいい。

子どものように語ろうよ、と言っておいて、このアルバムには、別に、

『Goodbye to Childfood 』という曲も入っている。

子どもの頃に さようなら……。

6歳になったばかりの子が、積み木遊びをしていて、青と黄色のスティックが並んだら、

―ウクライナだ、これ、と独りごとのように話す。

彼、将来になって、この戦争をどういう気持ちで、振り返るんだろう?

では。

やるからには,シのゴの言うな。

昨日、職場のクレ君が近づいてきて、やおら言うには、

― スペインやドイツのファン&サポーターはもう、楽なグループに入った、と喜んでいるそうですよ。
彼ら、決勝トーナメント進出を、ほとんど確実視しているらしい。

確かにな。

予選4ゲームやって、ジャパンと、コスタリカorニュージーランドの勝者、この二者から、手堅く2勝と、見込んでいるんだろう。

でも、なにが起こるかやってみないとわからないのも、サッカー。

そのドイツにしたって、2018ロシア大会では、メキシコ、韓国に敗れてグループリーグで姿を消しているのだ。(註: たとえ、2014年大会の優勝国であっても)

そうだな、日本としては、あと6箇月の時間をかけて……、

❶前回大会でメキシコが魅せたような、鋭いカウンター攻撃に磨きをかける。
つまり、それが出来るプレイヤー選考と、メカニカルなまでに、いくつかの手法を確立する。
こちらの攻撃回数はきっと多くないので、必殺的なレヴェルでないとならぬ。

❷より優秀なゴールキーパーを選任する。
おそらくは、シュートを休みなく20本以上は打ち込まれるのだから、キーパーばかりでなく、身体を張れるディフェンスの確保。

参考までに、メキシコがやって魅せた得点シーンがこれ。(38秒あたりから)

まったく惚れ惚れしますが、これくらいのクオリティがなけりゃ崩せません。
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あれから4年経ってみたら、当時の開催国露西亜は、今やほとんどすべての国際大会から排除されていて、時代の変化というものこそ予想がつかないけれど、

果たして、入場アンセムには、どんな曲が採用されるんだろう?

あの時は、『Seven Nation Army』(by ホワイトストライプス 2003年発表) が使われたが、このタイトル、なんともご時勢に似合い過ぎていて、具合がいいのか悪いのか。
七つの国の軍隊、とはね……。

今回はそれを、2 CELLOS によるカヴァーで。

2018年、キエフで開催されたUEFAチャンピオンズリーグ決勝、スタジアムでこの曲を演奏したのが、彼らだった。

ピチカートで演奏されているリフレインはユニークで耳に残るから、この曲は、スタンダードナンバーになった。

では。