訃報、またひとつ。

ひとつの詩の一節を、想い出している……。

野のなかに小鳥の死骸があるように わたしの頭のなかは死でいっぱいだ

わたしの頭のなかに死があるように 世界中の窓という窓には誰もいない

(『幻を見る人』(1946年 田村 隆一  より)

 

デヴィッド クロスビー(David Crosby)が、1月18日に亡くなった。

1941年生れの、享年 81歳。

彼の、高音のヴォーカルが好きだ。

バーズ(The Byrds)時代の、『ミスター タンブリン マン』(1965年発表)を聴く。

もともとボブ ディランが書いた曲だが、バーズの演奏のほうがポピュラーではあるまいか。

タンブリンマン氏よ、何か一曲演ってくれないか?、で始まる、なんとも他愛のない歌詞。

それを、なんだか突き放したように醒めて歌うところに、60年代を感じてしまう。

というのも、かなり牽強付会な解釈だとは、思いつつ。

(註;マントを羽織って、リズムギターを演奏するのが、クロスビーです)

では。

ひたすら音を楽しむ、それだけ。

『You Are So Beautiful』は、

ジョー コッカ― (1944 ~ 2014) の歌唱が、定番扱いになっていて、カヴァーヴァージョンも、多くはそれをトレースしている。

けれど。

もともとは、ビリー プレストン(1946 ~ 2006) が、ブルース フィッシャー(1954 ~)との共作として、彼のスタジオアルバム (『The Kids & Me』(1974年))で発表した曲。

その歌詞の一節。

You are so beautiful to me、の〈to me〉がいやに効いております。

今回は、Lucky Chops で。

優雅、かつ、洒落たアイディアに溢れた演奏には、実にウキウキします。

では。

悲しき恋のはずなのに 『SUKIYAKI』

上を向いて歩こう、という日本語題名がある。

けれど、ここでは、SUKIYAKI

国境を越えて愛唱される魅力が在るらしいのだ。

それがなんなのか?、僕には、正直わかりませんけどね。

失恋の唄。

かつての嬉しい日々を、今は、泣きながら歩いては、星空を仰いで想い出す。

鼻濁音が、これほど耳に心地良いのは、この国ではもはや、かような発音が稀になってしまった、ということなんでしょう。

(ただし、あまりに鼻に抜くような歌唱法が、作詞者(永 六輔)の激怒を買ったとか)

 

では。

寒い日の ホンネ。

凍った畑土に、鍬を入れていたら、

無理な力が加わったものとみえて、刃が、クサビもろとも、柄から抜け飛んでしまった。

土の中にまぎれたクサビが、どうしても捜し出せないまま、始めたばかりの作業も終わり。

新しくおろし立ての鍬だったのに……。.

にわか農夫の悲哀、というやつです。

こんなことを言い訳にして、ソファーに寝転がっては、好きな曲を聴いている冬の一日。

最近の寒さと同じように、心に沁みる旋律。

では。

それでも届く年賀状。

こっちが勝手にやめてしまっても、

年賀状で、ご家族の成長など、近況をお知らせくださる方々がいらっしゃる。

まことに、ありがたいことだ。

で、年賀状をもらった僕は、7歳の児と連れ立って、近くの空き地で凧揚げを楽しんでいた。

真っ青な空に、赤いカイトの好対照。

帰ってくると、ソファに寝転がって、モンテーニュ(随想録)を読んだり。

― 我々は死の心配によって生を乱し、生の心配によって死を乱している。

― 本当をいえば、我々は死の準備に対してこそ備えているのだ。

……、これだけを抜き出すと、その言っていることが正確に伝わらないうらみもあるけれど、

それにしたって、聴くに値することを書いたものだ、モンテーニュ氏は。

バッハ生誕(1685年)の 93年前に、モンテーニュは亡くなった。

もしも、その音楽を聴いていたなら、どんな感想をもらしたんだろうか。

特に、ゴールドベルク変奏曲なんかについて。

その中から、隣とした第30番を、グレン グールドで聴いている。

では。