すべては 過ぎ去る〈All Things Must Pass〉

……、と言いながらも、次の世が在る、と思っている人がかなりの割合を占めるのが世界の民族のおおかた。

だから、彼等は、現世でおしまい、を信奉する極東アジアの某民族ほどには、この世の命に汲々としない、ように見える。

いや、もっぱら生物的な命に執着しているようなこのお国であっても、実際のところ……、

いまだ、検査によって判明した! 感染者数、死者数を、ルーチンでマジメに報道はしているが、保健所等のマンパワーも追いつかなくなっているらしくて、接触者の追究の範囲は、同居の家族まで、となっているらしい。

クラスター?、だから、どうしたの?、って話。

要は、言ってることは、仰々しく立派に見えて、その実、やってることは、いままでのインフルエンザと大して変わりないように、対応がだんだんと骨抜きになる。

なに、僕はそれを責めているのでは決してなくて、そうであって当たり前、いや、むしろ、どんどんそうすべき、と思っている派。

政治リーダーにしても、立場があるから深刻ぶって語っているだけで、およそ迫力もあったもんじゃあない。

処置できる医療機関を限定したままで、高波が来るたんびに、現場は大変だ、疲弊している、をいつまで繰り返すんだろう?

職場の同僚がふたり感染した、と聞いた。(で、ここ数日は離職)

発熱以外の詳細な症状は不明だが、結局は自宅療養であるならば、風邪や季節性インフルエンザと、対応のどこが違うんだろう?

あと何年後、生き残ったら、こっちを振り返って僕たちは、この3年越しの騒ぎを、どのように語っているんだろうか?

この曲だって、ジョージ ハリソン (1943 ~ 2001) が発表してから、51年。

半世紀なんて、過ぎてみれば、束の間さ。

では。

それでも 図書館は使える。

この前、某公共放送だったか、
熱中症対策として、涼しい図書館で過ごすのもひとつの手、とか言っていた。

そういう発想は、否定しない。

けれど、個人個人の都合を知らないでおいて、軽々に電波に乗せて、こういうアイデアを推奨するのは、マヅイでしょう。

僕が、個人的に友人に話すのとは、わけが違う。

誰もが、図書館の近くに住んでいたり、気軽に自動車などで移動できるわけでもないし。

炎暑の中、ライブラリーにたどり着くまでに体調に異変をきたしたりしたら、どうするの?

また、COVID-19感染防止のため、図書館によっては、滞館時間を、例えば 1時間程度に制限している場合もあるのだから、ダラダラと涼まれても困るだろう。

……ところで、このように他人の冷房の恩恵にあずかる場合は多く、開架図書、つまり、書棚に並んでいる書物を抜いて来て、どこかに座って見て時を過ごすことになろう。

けれど、僕のようにこの先短い年齢になると、ただ漫然と目についた本を手許に取って楽しむ、という時間が惜しい。

したがって、図書館には、あらかじめ読みたい書籍を確保するために出向くことがもっぱらだ。

だから、むしろ書庫に仕舞われてある本を調べ、それをオーダーすることが多い。

さらに、図書館の利便はもっと他にあります。

❶地元の図書館に所蔵していない書物であっても、それを所蔵する他の図書館から、〈現物〉を取り寄せてもらうことができる。

これを、図書館間貸し出し、という。

特に、郷土資料、特定地方の歴史を読みたい、なんてのには使える。

そのような書物は、館外貸出をしていないものが多いけれど、この制度を使えば、取り寄せてもらった図書館内での閲覧はできるし、(ルールに従った)複写が可能。

❷さらに、多くの(中央レベル)図書館は、国立国会図書館デジタルコレクションにへのアクセス権を持っているから、申請さえすれば、館内のパソコンに案内され、画面から簡単に、稀少な書物を閲覧、複写できるというわけ。(註:個人的にアクセス登録も可能)

上記❶❷については、相談窓口へ行って、その旨を尋ねてご覧なさい。

ほとんどの場合、親身になって対応してくれる(というのが僕の経験)。

これを、総じて、レファレンスサーヴィス、と呼ぶ。

以前、メールでもって、ある資料の所在有無などを尋ねたら、それに関し、丁寧な返事を手紙でもらった。

それくらい、少なくとも!!、長野県における司書の方々は、仕事熱心で礼深く、有能でいらっしゃる。

たとえ一時であってもですよ、職業的な専門家に、まるで、自分専用の秘書のごとくに働いていただく、ってのは、かなりの贅沢ではありませんか?

もちろん、そこには秘訣がありまして、当方も丁寧、かつ、平明に要件をご説明申し上げるのがコツ。

鐘は、叩き方次第で、美しい音も出すし、不快な音で鳴ることもある、ってことです。

……、しかしです。

マイルスデイビスのトランペットは、いつ何時聴いても、陶然となりますね。

これ、1952年あたりの録音。

いまから 70年前ですぞ。

だから、それがどうした?(So What ?)、でいいんですけどね、これも、図書館から借りているんです。

では。

夏の 往来。

居残らない者、なんて題名が、そもそもいけなかった……。

記事を投稿したその日に、#5 前 貴之 が、レノファに完全移籍とは。

3年ぶりに、山口に復帰。
レノファは今季、決して楽なリーグ戦を戦っているわけでもない。

だから、かなりのチャレンジを引き受けたね、前よ。

来季、2部リーグで再会したいプレイヤーが、またひとり増えた。

で、昨日は、熟年のご婦人3人から相次いで、その移籍に絡んで、落胆の声を聞くはめに。

あぁ夏に来て、また夏に去る、年増ゴロシの 良い男。

ふざけた都々逸で、喪失感をイナてみても、歌われることのなかったチャントが切ない切ない。

夏の移籍期間で、実質的なアウトが、これで 5名。

このくらいの員数を出して、所帯を整えるかな?、と思っていた。

ただ、加入が、たとえ、ひとりくらいあってもいいか?、と。

でなけりゃ、〈往来〉(行ったり来たり) の二文字が成立しなくなる。

指揮官が、誰かに声掛けしている、とか、勝手の妄想を、許してもらいたいものだ。

けれど、本日12日で、ウインドウは閉じる。

さてさて。

ついでに、すこし早いけれど、逝く8月を惜しみながら。

では。

呆けたアタマで かもめはかもめ。

仕事から帰宅して、ソファにひっくり返ったら、そのまま眠りに落ちたようだった。

まだ明るい部屋の景色。

一瞬、翌朝が来ているのか?、という錯覚と絶望感で、目が醒める。

こういう焦り、僕にかんしては、しばしばなんだが、昨晩知らぬ間に起きたらしい停電のせいで、時計がリセットされてしまい、時刻が、皆目わからない。

それでもって、『かもめはかもめ』の節回しで戯れ唄しながら、再設定。

午睡は午睡、
長寝や、夢や
ましてや、疲れはとれない。

ボケたアタマが外界に馴染み始めたので、ルーチンのメールチェック。

山雅から、いわき戦チケット代金(7/23) 払い戻しについてのメールが入っている。

重要、という表題で。

手続きは、来月25日からひと月間なのか?

まぁ、いいや。

こっちは、追ってメールが来るまでは、放っておけ。

それより、すんなりと想定した通りの代替日(8/7)になった、第18節だよ。

参戦どうしようと、早々に悩み始める夜。

では。

チャントよ、ふたたび。

来月以降に解禁されるであろう、声だし応援に備えてなんでしょう。

ウルトラスマツモトの方々が、(チャントが歌えなくなってから)新たに加入したプレイヤーのチャントを、このところ続々、You Tube上に発表して下さっている。

まっこと、時宜にかなったプレゼント。

加えて感心するのが、それらが既に、4桁の再生回数を積み上げていることで、こういう熱心な予習態度こそが、山雅ファン&サポーターの美徳。

これぞ、原点回帰の、狼煙上がる、と言えましょう。

ところで、多々良 敦斗 (現ラインメール青森) のチャント。

その原曲は、『Seven Nation Army』(2003年発表、by ホワイトス トライプス) のギターリフの部分、なんですね。

ベースのように響くリフは、萬年的には、『Honky Tonk Women』(1969年発表、by ローリングストーンズ) のリフほどの魅力はないしても、それでも、かなりユニークで、傑出している。

この曲は、2018年FIFAワールドカップ(@ロシア)では、ついに、入場アンセムに採用されるまでになって、サッカーの世界では、もはや特別の曲。

という背景があるんで、2 CELLOSのおふたりは、皆様ご存知の、有名チームユニフォームをまとって演奏、というわけなんですな。

さて、この曲は、短めのチャントだけで使うには、チトもったいない。

なので、できれば。

ゲーム中の、特定なシーンに際し、定番的に歌えるチャントにしたらいいんじゃあないか?、と思うんです。

となると、入場アンセム、ゴールアンセム、ヴィクトリーアンセムの他、となりますけれど、
たとえば、(前後半) キック オフ時は、如何なもんでしょうかね?

(もちろん、誰かのチャントで復活してくれるだけでも大歓迎)

では。