松本駅前に 喫茶やまが が存った頃。

六九商店街 (大手二丁目) に、喫茶店があった。

(たまり場、休憩処としての喫茶店は盛りだった)

井上百貨店の前を、松本駅方面に向かって、

翁楼(そば)を過ぎると、アーケード街を横断する。

そのまま、女鳥羽川沿いの道に出た、その左角に。

その名を想い出すのに、数週間かかって苦労したけれど、ようやく

〈ロアール〉という名に辿り着いた。看板のレタリングも、なんとなくだが。

そうだ、間違いない。

(僕が立ち寄る時は)カウンターの中では、女性がひとりで切り盛りしていた記憶がある。

ほかにテーブルが、あったかどうか、店にどんな音楽が流れていたか、は忘れてしまったけれど、客の多くは常連のようで、皆、学生の僕なんかよりは大人に見えた。

入り浸っていた連中がサッカーチームを作り、その水脈が、やがてプロチームに結実したおかげで、

半世紀後の松本の街に、喫茶山雅は、(奇跡的に) 復活した。

でも、あのロアールは決して蘇らないだろう。

時代は移ろいで、当たり前、今の今も。

では。

あと一世代が過ぎても。

今から30年後くらい、つまり、2050年頃になって、ビートルズの楽曲で聴かれているのは、

『Here , There and Everywhere』(1966年発表) あたり(他にもあるが!) なんだろうな、と思うようになった。

一世紀はもつであろう、その普遍性、と格好をつけて言ってはみるが、

現在、ビートルズを聴いている、たとえば50年代の人々が、その頃は晩年を迎えているのだから、当たり前といえばそれまでなんですけどね。

ふたりのジャズピアニストが、それぞれの流儀で演っているのを、しみじみと、雨の日にでも聴いています。

ふたりとは、ビージー アデル(1937~2022年)と、ブラド メルドー(1970~) 。

では。

いつもだったら、いま頃盛り?

季節の憶え、4/13、庭のハナミズキが、小さく開花。

見上げると、隣家のつばくろ(4/2飛来)が、電線に3羽止まって、こっちを見下ろしてなにやら話している。

山 雅治は、名前に、yamagaが紛れているから、馴染み深いのであります。

僕自身は、桜を愛でることも、観桜も、ほとんどしない無粋人ではあるが、

彼の作『桜坂』(2001年発表) はここ30年の中でも、かなり傑出した曲、と思っている。

失恋を語っている歌詞。

どの程度のつきあいだったか?、いまだ未練が残るようだけれど、恋の成就のためにどれだけ奮闘したのか、疎遠になって久しいのか?、そんなことは一切ぼかされている曖昧さ。

そんな不満も、卓越なサビのメロディーの中に消えてしまう。

面食いなのに、家人は何故か、この歌手が好きでないらしく、この曲を聴こうとしない。

少々真っ正直に過ぎるけれど、こんなアレンジだったら、オリジナルの臭みも感じずに、ココロに入ってくるのでは?

では。

嘘から出でよ マコト。

きっと、感性が古式なせいなのだ。

前日になると、今年はどんな趣向でいこうか?、などと思案する 4月1日。

で、ことしのは、これ。

朝、居間に入っていくと、寝起きの家人に向かい、間髪を入れず、

― ロシアが撤退する、ってさ。

 

なんとも言えぬ反応ではあったから、

― 今年のは、願望をウソにしてみたわけ。

とうそぶいたんだが、不謹慎の誹りもなかったので、ホッとする。

要は、不埒な侵略をネタにしているという意味では、辛い。

その前々日、『シンドラーズ リスト』を再び観て、大泣きしたという御仁でもあらせられるので、この嘘は、けっこう効いたのかも知れない。

人間のココロとは不思議なもので、悲しい時に悲しい歌が要るわけでなく、楽しい時に嬉しい歌を求めるわけでなく。

ジョー氏から奨められた森田 童子の曲は、先日ご紹介した他にもうひとつあるから、ここで引用しておきます。

もちろん、今日の話題とは、なんの脈絡もありません。

では。

『僕たちの失敗』と。

自分が生まれた、その前に作られた曲を見つけてきて、気に入ると、僕に教えてくれるジョー氏。

今回は、森田 童子 (1952 ~ 2018)の、『僕たちの失敗』(1976年)。

こういう優しい、メロディアスな曲に惹かれるのが、やはりジョー氏らしい。

先日、助手席に6歳の男児を連れて、開墾地の山道をドライブしていたら、

突然、その児が、一軒の庭を指さして、

― なに、あれ、ミニクーパー?、と叫ぶから、

あれはね、N360といって、ホンダの車、と答える
(彼はミニクーパーが、最近のお気に入り)

車体は、オリジナルの黄土色(キャメルカラー)、フェンダーには、(おそらく)いすゞベレットの砲弾型ミラー、ナンバープレートもついている。

歌も、車も、まるで突然、 1970年早々の、あの!!時代にタイムスリップしたかのような一瞬。

では。