風の強い日に 想ふ。

おとといは、終日晴天の下、強い風が地表を渡っていた。

あれは、やがて落ちるべき金木犀の葉っぱを、いさぎよく落としてしまうために吹いた、春何番かでありました、僕の周りでは。

庭で空を見上げていたら、ベン シャーン (1898~1969) には、風の強い日、という題の画があったな、から連想が始まり、

ジョン メイヤー (1977~ ) の
『Waiting on the World to Change』(2006年発表)が、想い出される。

2008年頃に、この歌が収められたCDを手に入れて、よく聴いていた。

世界が変わるのを待つ

僕や友達はみな 誤解されている
信念もなく  手立ても持っちゃあいない って
でも 世界と先頭に立っている者を見てみろよ
すべてが悪いほうに向かっているんだ
で それを叩くに 僕らは無力を感じているんだな

だから 世界が変わるのを待ち続ける

体制を叩くのは  むづかしい
中枢から遠くにいれば なおのこと
だから 世界が変わるのを待ち続けている

もし 僕たちに 権力 ってものが有れば
戦場から隣人を連れ戻そう
誰も 寂しいクリスマスを過ごすこともなく
ドアのリボンもなしさ
テレヴィジョンを信用するのかい?
連中は情報を独り占めにして
好きなように捻じ曲げているんだぜ

戦いはフェアじゃあない って
誰もが思っている
世界が変わるのを待ち続けながら

いつの日か 僕らの世代が
この世を治めるだろう
それまで 世界が変わるのを待ち続けるんだ

楽曲としても秀でていて、かつ、社会へのメッセージ性に満ちた曲。
ウクライナで起きている事態で、なおさら切実に迫る。

音楽と政治、といったらとても硬い話になるけれど、

音楽に、社会を動かす力を託すのは、聴く者(=受容者)の主体性が否定されないかぎり、成り立つ話だと思う。

では。

想い出したら いつも。

たまたま観たTV画面。

草刈 正雄が出ていて、番組の導入部でジャズが流れる。

えーと、えーと、あれ、アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズの
Moanin’〉では、ありませんか。

いい曲は、世に出て65年経っても、ちっともふるびないなぁ。

曲を創ったのは、クインテットのメンバーのひとり、ボビー ティモンズ(ピアニスト)。

彼は、1974年に 38歳で亡くなってしまったけれど、自曲だけあって、冒頭から圧巻の演奏だ。

で、なにを思ったか、マイルスデイビスを、しかも定番で聴きたくなったので、図書館でアルバム『Kind of Blue』(1959年発表)を借りてきた。

もちろん堪能してますが、ところで、10日ほど前のこと。

或る女優の名前が、どうしても出て来ない。

くやしいから、世の資料に頼ることを敢えてしないで、想い出す努力を続けること2日、

ようやくにして、ジャンヌ モロー の名が、ココロに浮かぶ。

前からずっと、物忘れなどは日常茶飯だった僕に違いないのだ。

が、最近はどうも、忘れることに過敏になり過ぎるきらいがある。

などと、自分を慰めながら、映画『死刑台のエレベーター』の、マイルスによるサウンドトラックを聴いたりもしております。

では。

この際、お皿も食べてしまふ。

バート バカラックの訃報に接して、マレーネ デートリッヒを讃えたのが、前回。

バカラックの作品では、もちろん、

『Baby It’s You』(1961年発表 by シェリルズ) が、僕の一番気に入っている曲。

以前、アデルの歌唱で、これを採り上げた憶えがあります。

でも、ここでは、せっかくだから、オスカー音楽賞を獲った
『Raindrops Keep Fallin’ on My Head』(1969年) を聴いてしまおう。

映画『明日に向かって撃て!』(1969年米国) の挿入歌として使用されて、世に出た。

色恋とは一線を画した、こんな歌もあっていい。

雨は降り続くけれど

僕の上に 雨は降り続く。
まるで、ベッドが小さすぎて足がはみでしまう奴のように、
なにもかもがしっくりこない
僕に 雨が降り続いてるんだ。

だから 太陽に 言ってやった。
寝ていないで 仕事をしなよ、って。
いつまで僕の上に 雨を降らし続けるんだ、って。

でも、ひとつわかっていること、それは
やって来た悲しみになんか 僕は負けない、ってこと。
せいぜい 僕が 幸せに挨拶できるまではね。

僕の上に 雨は降り続く。
けれど 僕は 自分をみじめに思って泣きはしまい
不平を言って 雨を止まそうなんて思わない
なぜって、僕は なんだって自分で決められるんだから。
心配は 無用なのさ……。

曲を唄った B.J.トーマスは、2021年5月29日、78歳で没した。

彼にも思いを馳せながら、レイ スティーブンス(1939~)と一緒に演ってる動画で。

では。

そこは, デートリッヒでしょう。

あれは、金曜日の朝だったか、公共放送のニュースで、バート バカラックの逝去を聞いた。

1928年生れの、享年 94歳。

バカラックの経歴を交えながら、『雨に濡れても』でオスカー音楽賞を獲るなど、その業績を語る。

洒落た上品で、ポップな作品を多く生んだ才能。

だが、その報じ方には、やはり、落ち度があって残念。

バカラックがブレイクしたのは 1960年代だったけれど、当時、彼は、すでに30代半ば。

音楽的にはかなりの遅咲きであって、そこまで、ある意味、持ち堪えられたのは、

彼の才能に惚れ込んで、自分のステージの、常任のピアニスト、ディレクターとして使い続けた、マレーネ デートリッヒ (1901~1992年) の絶大なる支えが在ったからに違いない。

バカラック(英語読み)、というラストネームからわかるように、(ユダヤ系)ドイツの出身。

デートリッヒもまた、ドイツ人であった。

バカラックの後ろには、デートリッヒ在り。

そこのあたりをキチンと添えてこそ、天下のNHKではありませんかねぇ。
……、と苦言。

 

凛とした雪の朝は、デートリッヒの演歌を聴くにふさわしい。

では。

スローバラッド を聴きたい (エタ ジェイムズ讃歌)

最近の〇〇は~っ、といって、批判を始めることを、できる限り止めにしたい。

最近だって、よく探せば、いい仕事は、たくさん在るのだから、年寄りの回顧趣味はいかん、とみづからを戒める。

結局は、時間が過ぎて、時代の虚飾や喧騒が剥がれ落ちないと、仕事の良し悪しは見えてこない、と考えることにしているが、

自分が、いつも時間の後からついていく、ってのもなぁ。

そんなことをつぶやいている中、

柳ジョージのソローバラッドに浸りたい、と思いながら、なぜか、エタ ジェイムズ (1938~2012年) に行きついてしまう、といった仕儀でありまして。

要は、ソウルフルな歌唱にうっとりしたいわけです。

『I’d Rather Go Blind』(1968年発表) は、もともと友人の作で、エタがそれを聞き取ってカヴァーすることで世に出た、というのが経緯のようだ。

 この恋は終わり、ってピンと来たんだ

 あなたが 彼女と話し込んでいるのを見た時

 ココロの奥で〈泣きなよ、お前〉っていう声が聞こえたんだ

 そう、あなたが 彼女と歩き回っているのを見た時さ

 いっそのこと 盲目になりたいくらいなんだ、わたし…

破局の、ほとんど確実な予感の唄、というキャチコピーはいかが?

泣きなよ、お前は、英語の歌詞では、Cry Girl

girl は、boy の反対語、とだけ思っていると、この歌をティーンエイジャーの失恋、ととらえてしまうけれど、それは間違い。

girl は、幼子からご高齢までの女性について使うコトバであるから、歌い手の年齢次第で、大人の恋心を表現できるんです。

では。