漱石先生の 秋。

夏目 漱石 (1867~ 1916年) は、俳人としても一流だった。

小説家として名を挙げるもっと前から、秀句を多く詠んでいて、俳壇的にも、それなりの地位を得ていたらしい。

明治32(1899)年。

漱石 32歳。

第五高等学校(後の熊本大学)の英語教師として、熊本に赴任して 3年が過ぎる(最後の年)。

妻帯して、やはり3年目だったが、家庭生活には不穏な暗い影が落ちつつあった。

 

阿蘇山あたりに遊んだ時の句と思われるものを、いくつか拾う。

灰に濡れて  立つや薄と  萩の中

行けど萩 行けど薄の 原広し

野菊一輪 手帳の中に 挟みけり

 

変わり映えもしないまま、さつまいもは何時収穫したらいいんだろう? と思案しては、こんな曲を聴いているのが、萬年の秋。

では。

Come Sunday (鳥取戦プレビュウ 後編)

『日曜日よ、来たれ』(1942年発表、by デューク エリントン) は、安息日を待ち望む歌なんですが、車内では、それを含むトミー フラナガン トリオのCDを聴いていて、急くココロも、だいぶ落ち着きます。

天候もなんとか持つ(曇り予想)ようですし、なにより。

ところで、本記事のタイトルは、当初〈クリーン or  ダーティー〉にしようか、と思っていました。

というのは、リーグ公式記録のひとつ、〈反則ポイント〉において、山雅が最下位であることに気がついたため。

反則ポイントの加算は、主に、警告(カード)の数と、その累積による出場停止によって行われ、逆に、警告がないゲームは、3ポイントの減算となる。

特に、異議、遅延行為によるカードは、別途ポイント1 が上乗せされる。

要は、〈悪質とみなされた、カード呈示の反則〉を数値化したもの。

3部だと、リーグ消化後に、34ポイント以下であれば、フェアプレー賞が与えられる。つまり、ゲーム当り1ポイントが基準値。

現在、山雅は、このポイントが 64。(ブービーは、FC岐阜で、50 )
いちばん少ないのがいわきFCで、− 4。

今シーズンは、この賞は諦めです、山雅。

こういう数値を突きつけられても、身びいきと言われればそれまでですが、観ていて、それほどダーティなサッカーやってる、とも思われないんですよね。

カウンター攻撃を身上とすれば、どうしてもボール奪取から、となるからタックルの回数も増え、カードをもらうリスクも高まるわさ。

それに加え、球際に厳しく、というのがチーム内の規律でもありましょうから。

(当リーグにおけるジャッジについては、敢えて云々しません)

せいぜい、異議、遅延行為については、冷静さを保って、巧く立ち回るしかないか。

かように、反則ポイントの多さは、これを謙虚に甘受することにして、もうひとつの面白い数字を見てみましょう。

これも、Jリーグ公式データによるもので、以前にも紹介した〈反則〉集計。

これによれば、いちばん少ないのが、福島UFCで、260。
次に北Q 266。

山雅は、3番目に少なくて、300。
4番目は、鳥取で、303。

反対に多いのは、順に、FC岐阜 367、AC長野 363、いわきFC 362 。
これが、ワーストスリー。

ここでハッキリするのは、反則数では、カウンター攻撃派>ボール保持派、という傾向。

反則の中にはもちろん、オフサイドも含まれるはず。

だからこの数値の多少を持って直截的にクリーン、ダーティーの議論は出来ない

けれど、カウンター攻撃派であっても、これだけの反則数の少なさからいえば、山雅は、ムダに反則を仕掛けるサッカーはやっていない、としておきましょうか。

断っておきますが、フィジカルの強さとは、反則せず、かつ、されないでボールを運ぶ能力、と僕は思う。

その意味で、横山 歩夢のドリブルは、テクニックよりもむしろ、秀逸なフィジカルの見本と考えます。

で、結論。

本日は、反則数が少ない、上位2チームの対戦。

となれば、クリーンで、しかも、もっとも重要なことには、中断のない前後にせわしないサッカー、となりそう。

ゆえに、ボールがセットされるフリーキック(含むコーナーキック)を、主導権を握れる〈間〉として、十二分に活用しないと。

では。

アキアカネの庭で。

或る午後、庭に居ると、

家人が、ピアノに向かっているのが聞こえてくる。

どうも、ショパンの『別れの曲』をモノにしたいようだ。

たしか、男はつらいよの、どこかで使われていたっけ、あの曲。

そういえば、隣家の娘さん(高校生)、最近まったくピアノを弾かなくなったけど、やめちゃったのかね。

人生の憂さが、音楽で晴れると思っているほど楽天家でもないけれど、楽しくやっているのが伝わってくるのは、聴いていてホッとする。

というわけで、山雅のチャント〈山雅ゴール〉原曲の、洒落たカヴァーを見つけた。

映画『ディアハンター』では、巧く使われていました。

では。

9月の雨、といえば。

年に二度ある雨季。

春のを梅雨と言い、今のを、秋の長雨、と日本では呼ぶ。

一日の中に、陽光があったかと思うと、雲がやってきて、サッと雨滴が降り注ぐのも、またいいものだ。

おまけに昨日は、無花果(いちじく)の熟したやつを樹からむしり取って、そのまま食す贅沢もできたことだし。

あと少し経って、キッパリと天が高くなる頃までは、一日の中に、夏のもえさしと雨と遠い野分が混じった日々を楽しもう。

9月の雨、といったら、ルノワール氏ならば、太田 裕美に決まっているんだろうけれど、僕の場合は〈September In The Rain〉なんだな、これが。

以前にもご紹介した憶えがあるやつを、再度。

実を言えば、由紀 さおりは、役者としてのほうが推しの萬年。

映画『家族ゲーム』(1983年公開、森田 芳光監督、松田 優作主演)で魅せた、母親(と妻) 役の演技、あれは秀逸だった!!

こんなことも、やっぱり書いたっけ?

では。

80年代も まんざらでない?

僕にあって。

1980年代は、J.D.サウザーの『You’re Only Lonely』(1979年8月リリース)で始まった。

このディケイド(10年間)については、その前の70年代に比べると、どうしても、停滞と保守化の年月のように思われて、あまり見るべきものもないような印象を持っていた。

この感じはこれからも変わらないだろうな、とは思うが、

『Just the Two of Us』(1981年2月リリース)といった曲を聴くと、80年代をあんまり悪くも言えないかなぁ?、という気持ちも湧いてくる。

曲が生み出されるのには時流の影響があるにせよ、出来た作品が良すぎた、ってことだけのことかも知れませんが。

では。