『組曲 : 碧い眼のジュディ』(1969年)

クロスビー,スティルス&ナッシュが発表した。

(僕流に)時代がたぎって煮詰まっていた’60年代の最後に登場した曲。

この3人が集まったことだけでも凄かったのに、少しして、ニール ヤングが加入して、&ヤングとなると、グループの大物感は、もっと増した。

単純にラストネームを連ねたグループ名は、耳にしてかなり格好よかった記憶があります。

この曲は、スティーヴン スティルス(1945~) が、ジュディ コリンズ(1939~ )に振られたことを契機に創った。

失恋を、その痛手からはタダでは起きず、名曲へと結実する、とはアーティストの面目でありましょう。

すこし大袈裟な言い方になるけれど、この曲はたしかに、〈ロック〉がそのジャンルを超え、人々の耳にまで届くようになった記念碑のひとつ。

今回は、かなり上質なカヴァーで。

では。

初夏の雷鳴に。

この前の月曜日、午後4時頃、僕は庭先に居たのですが、

暗い雲が西方に湧き出すと、少しの間、雷雨が当地を見舞った。

後日、職場のモモ氏によると、塩尻では雹が降ったらしい。

この夏、僕が、はじめて聞く雷鳴。

……家人にうながされて家に戻ると、季節がら、この曲を、聴きたくなった。

『Thunder Road』(1975年発表)、ブルース スプリングスティーンの作詞作曲。

自身3枚目のスタジオ アルバム『Born To Run』の冒頭曲だ。

最初に置かれるからには、製作者の、それ相応の気持ちが込められた、と考えたい。

……、季節は 6~7月。

ロイ オービソンは寂しい人に向かって唄っている。
俺もそのうちのひとり。
そう 決して、ヒーローじゃあない。
けれど、俺たちは勝利するために、この敗残の街から出ていくんだ
さぁ、雷鳴の道を疾走して

……と、ハイスクールを卒業したばかりの恋人を、自宅まで迎えに行くと車の助手席へと誘う、そんな歌詞。

今回は、メリッサ エスリッジ (1961年~) が、COVID-19で、Stay Homeを余儀なくされた当時、自宅で、ひとり演っている動画を見つけてきた。

メリッサは、ハイスクール時代にスプリングスティーンに影響を受けて、歌い手を目指すようになったから、ロックンローラーとしての、自身のアンセムみたいなもんですな。

余談ですが、松田 優作 (1949 ~1989年)もスプリングスティーンを好んで聴いていたとか。

なお、時間の惜しい方には、6:30頃から歌が始まるので、そこからを。

では。

無題。

ほぼ麦秋の候。

麦秋も近い季節。

小津 安二郎の撮った作品では、

カメラは、人の腰からすこし下の高さに、ずっと固定されていて、

役者は、そのフレームの中を、

右から左へ、あるいは、奥から手前へと動いて演技する。

封切られた当時、それを観た日本人は、作品に描かれたことを、どのくらい身近、というか自分たちの生活に近い、と実感していたんだろうか?

めったに声を張り上げもせず、極端な生活を過すこともなく、そこには劇的なドラマもない、そんな生き方を。

昔の作品に触れるたび、最近は、そういうことがヤケに気にかかってしかたがない。

では。

変哲もない けれど 名曲 『Baby I Love Your Way』(1976年)

ピーター フランプトン (1950年4月22日生れ) が作った曲。

強烈な印象はないけれど、じわじわと効いてくる、そんな魅力があります。

本人の歌唱よりも、カヴァーにけっこう上出来が多いから、存在感が深まっているのかも知れない。

あるいは、同業者に好まれる楽曲なのか。

こんなピアノによる編曲も好きです。

時代的なこじつけを行なうのなら、煮詰まった60年代が終わり、もっとシックにやろうか、という70年代への流れ込み、そんな気分で好まれた?

では。

松本駅前に 喫茶やまが が存った頃。

六九商店街 (大手二丁目) に、喫茶店があった。

(たまり場、休憩処としての喫茶店は盛りだった)

井上百貨店の前を、松本駅方面に向かって、

翁楼(そば)を過ぎると、アーケード街を横断する。

そのまま、女鳥羽川沿いの道に出た、その左角に。

その名を想い出すのに、数週間かかって苦労したけれど、ようやく

〈ロアール〉という名に辿り着いた。看板のレタリングも、なんとなくだが。

そうだ、間違いない。

(僕が立ち寄る時は)カウンターの中では、女性がひとりで切り盛りしていた記憶がある。

ほかにテーブルが、あったかどうか、店にどんな音楽が流れていたか、は忘れてしまったけれど、客の多くは常連のようで、皆、学生の僕なんかよりは大人に見えた。

入り浸っていた連中がサッカーチームを作り、その水脈が、やがてプロチームに結実したおかげで、

半世紀後の松本の街に、喫茶山雅は、(奇跡的に) 復活した。

でも、あのロアールは決して蘇らないだろう。

時代は移ろいで、当たり前、今の今も。

では。