夏目漱石とピアノ。

明治42 (1909) 年、6月 21日(月)。

職業作家一本の生活となってから 2年が経ち、

当時、42歳であった夏目 漱石は、

この日の日記を、

雨。とうとうピヤノ(原文のママ)を買ふ事を承諾せざるを得ん事になつた。

……と始める。

つづいて、ピアノの値段が、四百圓。(☜当時の、現在だと600~800万円に相当)

奧さんからは、

その購入資金には、『三四郎』の初版二千部の印税を充てたらどうかと提案され、いやいやながら、〈よろしい〉と承諾した。

子供がピヤノを弾いたつて面白味もなにもわかりゃしないが、何しろ中島先生が無闇に買はせたがるんだから仕方がない。(原文)

……と愚痴をこぼして、日記を終えている。

中島先生がどういう人かは知りませんが、

漱石が、この時、我が子に与えるピアノにあまり価値を見い出していなかったことだけは、知れる。

で、今回は。

漱石先生へのあてこすりでもないけれど、

高名なピアノ曲を、フジコ ヘミングの演奏で。

モーリス ラヴェルが、〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉をピアノ曲として発表したのは、1899年。

だから、漱石には、聴くチャンスがあった。

が、この作家が生前、この曲に接した、という話は、僕の知る限りでは聞かない。

では。

町の新顔 〈New Kid in Town〉

ジョン デヴィッド サウザーが、一昨年9月に、78歳で亡くなったに際して、

はて、彼に、(ブログで) 弔意をあらわしたのかどうか?

こういう記憶が怪しくなるのは、僕のまわりで、訃報が多くなったせいとしておこう。

サウザーが、ジェームス テイラーに、曲とコーラスを提供した、〈Her Town Too〉を、

僕は、テイラーのアルバム〈Dad Loves His Work〉(1981年発表)で聴いていたが、

この曲に、サウザーがいちまい嚙んでいるなんてことは、長い間知らなかった。

アメリカの、さして大きくもない町に生きる人々について、

静かに、坦々とつづる、その語り口は、サウザーならでは、です。

今回は、イーグルスのメンバーとの共作〈New Kid in Town〉(1976年発表)を、

2008年に、セルフカヴァーしている動画を見つけたので、それを。

R.I.P. ジョン。

では。

半世紀後の セルフカヴァー〈America〉

東京に住む友人と、アンドリュー ワイエス展(@東京都美術館) 観覧の日程をつめていたら、

いつしか、話題が、川島 芳子に及んでしまう。

この名を知る人は、特に、春秋に富む若い世代には、ほとんどいないだろう。

― 川島芳子って、松本に縁があるんですか。知りませんでした。

― 松本の寺には墓があって、旧宅跡には、看板だけ。現在の松本蟻ケ崎高校、かつての松本高等女学校に在籍、馬で通学していたエピソードがあるよ。

その昔。

日本が、米国に対して戦争をふっかけた1941年に。

ポール サイモンは、生まれた。

1968年 (ポール26歳)。

母国アメリカを、恋人とふたりして長距離バスで探しに出かけるんだ、という歌詞の曲を、

タイトルもそのまま〈アメリカ〉として発表。(サイモン&ガーファンクルとして)

時は経って。

それを、御年 75歳のポールが歌っている動画を見つけた。

生みだしてから、半世紀しての歌唱。

これが、なかなか聴かせるんですねぇ。

飾り気のない、絞り出される〈肉声〉の切実、というのか。

年齢をかさねることの重み、なのか。

このところ、なにかとうるさく立ち回っているU.S.A。

いったいアメリカという国がみせる自信とは、どこからくるんだろう?

そんなことも思いながら……。

では。

しんみり聴くセルフカヴァー〈Brandy〉

Brandy ( You’re a Fine Girl )……。

ルッキンググラス(ロックバンド名)が、1972年にヒットさせた曲。

とある港町(ウエスタンベイ)の酒場で働く、ブランディという名の女性と、船乗りたちの物語。

いままでも、このブログで採り上げているのは、

つまりは、ブログ主が、偏愛してやまない曲。

今回は、曲を作った張本人のエリオット ルーリー (バンド結成者) が、

アカペラのバッキングコーラスをつけて、セルフカヴァーしているやつ。

南長野で聴いたリトルなんとかも、

それなりの歌唱力はたいしたものですが、

皆さん用意は出来てますかぁ~?!、的な声の張り上げには、

ジジイはついていけなくて、まことに残念。

むしろ、あれ、アカペラ(伴奏なし)で演ってもらったら、もっと迫力が出た、と思う。

で。

今の僕は、こういう洒落た編曲で歌ってもらうと、心が落ち着きます。

では。

キース ジャレットとは。

ジャズピアニストのキース ジャレット(1945~ )は、

病気によって、もはや演奏が行えない様子で、事実上の引退らしい。

たまたま愛車では、今、ケルンコンサート(アルバム 1975年発表)が流れていて、

それを聴いていると、

キース ジャレットとは、僕にとってどんな存在だった(過去形ですみません!!)のか? といった、

マコトに、形而上学的な問いが浮かんでしかたがない。

彼が紡ぎ出した音楽をすべて網羅して聴いた者でもなく、

青年時代のケルンコンサートは、格段に新鮮に受け止めた僕からすると、

ケルンと、マイバックペイジスと、マイソング、それとゴールドベルク変奏曲が、どうやっても、守備一貫してつながらない。

(仕事としての) 取り組みが、なんだかバラバラで。

もちろん、一貫するしないなどとは、まったくもって僕のタワゴトで、余計なお世話に過ぎません。

では。