Long Long Road 。

英語をすこしかじった者にもわかるような曲名と、平明な歌詞。

リンゴ スター が、先月発表した新譜アルバムの中の一曲だ。

85歳になっても、こうして活動している姿は、

たとえ、その活動期のほとんど最後のほうか、または解散後に、

ティーンエイジャーとしてビートルズと出逢った僕からしても、嬉しいニュース。

人生とは、長い長い道をたどるようなこと。

行きつきたいところへと向かうタフな道。

鏡の中を自分をみては、ここまでたどり着いたのを不思議に思う

君が戻ってくれてなにやら変わり

君なしでは、僕は、深海に沈んだようなもの。

……みたいな歌詞が、生粋のカントリーミュージックで歌われる。

しかも。

サーヴィス心の、きわめて旺盛な動画まで公開されているから、

それを、ヴィンテージカーの好きな小学4年生と一緒に観た。

僕の車では今、アビーロードが流れているので、

この曲のリードヴォーカルはだれで、だれが、今も生きていて……などと、説明している。

では。

ホンモノの Summertime。

きっと。

前に採りあげているだろう曲。

でも、まぁ、いいや。

毎年、同じことを、こうやって繰り返していても

ホンモノは、何度でも聴くに堪える。

また、この歌唱がなかったら、

ジャニス ジョプリンのサマータイムもなかったことだろうし。

エラ フィッツジェラルドによる、1968年のライブのようです。

では。

語るに落ちた……。

― シュートが、ポストやバーに嫌われまくってなんともですが、この次こそ、ゴールをお願いします。いわきには、行きますんで。

と、ご本人には、お伝えしておいたのですが、

旅程を計画していて、

なぜ、ハワイアンスタジアムなの?、とわからずに、

旅の相方に訊くと、

かなり以前から、いわきの地では、フラなどを盛んに催している、との答え。

いわゆる、町おこしのために取り入れて久しい、ということなんでしょうか。

― でもさぁ。それって、とってつけた不自然な話でもって、ハワイを〈騙る〉に等しくないかい?

― 他人を貶めるにもほどがある。口に気をつけなさい!!

ピシャリ、言われてしまった。

たしか、マタイ伝には、

口に入れるものよりも、口から出すものが人を汚す、とあったっけ。

考えてみれば、

飛騨山脈のことを、他所の山々の名を勝手にとってつけて、

北アルプスと、ヘーキで呼んでいる者が、言えた義理でもない。

おまけに、アルウィンとか。

ひたすら、自分の卑しさを反省……。

お口直しに、

ハワイ在のミュージシャン、ジャック ジョンソンの名曲を聴きながら、

いわき往復の計画でも詰めるのです。

では。

あまのじゃくと花ざかり。

やれ、桜だ、み吉野だ、と。

この時季、あたり前に過ぎるお題目で、陳腐なこと。

横を通り過ぎる時は愛でもするが、

わざわざ出かけて行ってまでして、観桜はしないかな。

と、うそぶいては、

新古今和歌集の〈冬歌〉のところをめくっていたら、

駒とめて袖うち拂(はら)ふかげもなし 佐野のわたりの雪のゆふぐれ   (藤原 定家)

が目につく。

おそらく、これは、

同歌集の〈春歌〉に収まった、親父である、皇太后宮大夫俊成 (=藤原俊成) の作、

駒とめてなほ水かはむ山吹の はなの露そふ井出の玉川 、を意識しているんだろうが、    (☞山吹の花に露がしたたる清流で、乗る馬に水を飲ませよう……の意)

なかなかに、技巧的な一首。(定家の得意顔が、目に浮かぶ)

袖に降りつもった雪をうちはらう馬上の殿上人(公家)、といっておいて、

瞬時に、そんな姿はみえないけれど、と打ち消してみせる。

ゆかしき華やかさの、突然の否定。

寂寥として暮れかかる、なにもない冬の野が、いっそう引き立つ効果。

作者が、言葉によって読み手を翻弄する手法のひとつだ。

調べれば、このネガティブなトリックはきっと、定家より前に開発されていると思いますが、

近くでは、石川 啄木や、寺山 修司も使っているから、

日本短歌、あるいは、日本的抒情に存する、根っこのひとつなのかも知れない。

では。

夏目漱石とピアノ。

明治42 (1909) 年、6月 21日(月)。

職業作家一本の生活となってから 2年が経ち、

当時、42歳であった夏目 漱石は、

この日の日記を、

雨。とうとうピヤノ(原文のママ)を買ふ事を承諾せざるを得ん事になつた。

……と始める。

つづいて、ピアノの値段が、四百圓。(☜当時の、現在だと600~800万円に相当)

奧さんからは、

その購入資金には、『三四郎』の初版二千部の印税を充てたらどうかと提案され、いやいやながら、〈よろしい〉と承諾した。

子供がピヤノを弾いたつて面白味もなにもわかりゃしないが、何しろ中島先生が無闇に買はせたがるんだから仕方がない。(原文)

……と愚痴をこぼして、日記を終えている。

中島先生がどういう人かは知りませんが、

漱石が、この時、我が子に与えるピアノにあまり価値を見い出していなかったことだけは、知れる。

で、今回は。

漱石先生へのあてこすりでもないけれど、

高名なピアノ曲を、フジコ ヘミングの演奏で。

モーリス ラヴェルが、〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉をピアノ曲として発表したのは、1899年。

だから、漱石には、聴くチャンスがあった。

が、この作家が生前、この曲に接した、という話は、僕の知る限りでは聞かない。

では。