Our Home……。

 

週末が近づいたからだろう。・

今朝(金曜日)出社したら、複数の方々から、

アルウィン使用停止の件について、話しかけられた。

こういう健全な関心を寄せていただけることは、まっこと有り難いこと。

― うーん。施設管理者(長野県)にしてみれば、屋根(架台)について、まづは、スタジアムのすべてを精査するのでしょうしねぇ、と僕。

― でも、ホームが使えないのは、ダメージでかいでしょ。

― (移動と観客収入にとっては相当マイナス)、

けれど、アウェイのほうが、チームがノビノビやれるのでは?、なんてね。
かならずしも、ホーム声援が、チームを後押ししているのか?、疑問でもありますし。

今季ここまで、アウェイ勝率は、ホームのそれの半分の 20%であるから、

アウェイ絶対的に不利、と言いたいが、これも途中経過なんで、

終わってみれば、どっちかに優位性がハッキリ出るとも思われない。
(2024季は、まるで双子のように、ホームアウェイ勝率が 40%で合致)

今季は、いま時点の全体勝率が、30%程度だから、

そもそも議論にもならないか。

『Our House』(1970年9月発表)は、

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング (略して、CSN&Y) の楽曲。
書いたのは、グラハム ナッシュ。

どちらかと言えば、凡庸な曲だと思うけれど、

彼らが寄って創りあげると、ここまでに聴くに堪える出来となる、という見本。

 

悲観的にも、楽観的にも、どちらにもならない、なれない気分で、聴いている。

ここでは、Walk Off The Earth によるカヴァーで。

 

では。

もしも監督だったなら (栃木SC戦レビュウ❶)

60分を過ぎて、田中 想来を投入。

5 – 3 – 2、いや、より攻撃的に、3 – 5 – 2 へと布陣変更をおこなったのは、

疲れが出て、オープンなゲーム展開となる頃合いを狙った、

満を持しての作戦であった、と好意的にみるとしても、

登録のメンツからだと、林 誠道は 90分間使うのがミエミエなのですし、田中は(おそらく)エナジー満タンなんだから、

そして、僕からすれば、

今季の山雅は〈先行逃げ切り〉が現実的な選択肢なんだから、

ゲーム冒頭から、(ツートップで)やったらどうか?、とふたたび愚痴の繰り返し、ですわ。

事実。

栃木ディフェンスの疲労はともかく、

布陣の変更によって相手を振り回すことで、

攻撃のギヤアップと、ボール動かしの自在度は、あきらかに、高まったわけです。

……以上が、萬年のもしも、ですが、

北ゴール裏同志の、チノ氏の見解は、

(僕が監督だったなら、との前置きで)、

菊井は、(陣形が間延びしやすい?)後半になってから、投入する

来季も、早川氏がやるつもりならば、そこを見据えてもらって、

ゲーム前半は、

走って走って、ピッチをかき回せられるタレント。

つまり、佐相 壱明、前田 陸王を運用すべき。(その手法を定番化する)

まぁ、#10には、絶対的な価値を置いてるんでしょうけれどね。

……ゲーム後評価会は、こんな、ふたりの仮想指揮官としての談義となりました。

ツートップでやる利点は、フォワードの連携によって、相手ディフェンダーに背走と、マークにおける混乱を惹起できること。

さらに、左サイドを田中が走ることで、

菊井が、そのひとつ内側で、ボールを捌くことができること。

チームのクロス王とはいえ、菊井がサイドに出っ張ったら、中央での組立てができません。

さて。

……動画は、兄上のご冥福を祈りつつ、僕からのサーヴィスの気持ち。

あぁ、オーセンティックに、生成りで過ごしたい……。

では。

天邪鬼は こう思ふ。

― あなたは、いっつも!、あたしの意見を否定するところから入るわね。

と、手厳しく言われ続けている。

僕としたら、

それって、アタリマエのようでも、ちょっと吟味してみないか?、の心算で立ち止まっているのだが、

相手がハローと言ったら、グッドバイ。グッドバイで、こっちは、ハロー。

☞ よって、アマノジャク、という烙印。

……さて。

伊豆半島の東海岸に住む方々は、よほど清廉潔白な人生を歩んできたためであろうか、

清廉潔白を、他の人にも求めて果てしない。

多くの者に、

咄嗟のウソや、誤判断にしがみついたあげく、窮地に立つか、

はたまた、生涯そのことを想いだしては、苦い思いの経験があるのでは?、

と、そんなことのきわめて多い僕は、決めつけている。

小学校の 4、5年のこと。

教室に落ちていた鉛筆を、自分のモノと名乗り出る者がなかったばかりに、

担任がクラスひとりひとりの筆箱を調べ、トコトン犯人捜しをしたことがある。

……結果、僕がその当人ということで、ずいぶん叱責を受けたのだが、

子供ごころに、変につまらんことに執着する奴だ、と教師を哀れに思った。

昔から、教師を敬わないために、彼等から敵視されることが多かったのは、

僕の弱点(例外的な教師もいる)。

本塁突入の決意をした者に対し、ホームベースの一角を開けられないような人格は、指導者になっちゃあいけません。(萬年語録より)

学歴を詐称することは、よろしくないこととは思うが、しかしそれを、

ああだこうだ言うのは、学歴を、よほど偏重する者だろうし、

僕なんか、大学なんか出ていなくたって、首長になれるというのは、

誇るべき希望のひとつではないか、と思っている。

こういうのはですね、誰かが、本人を舞台の袖にでも呼んで、

つい、口から出てしまったのだろうがさぁ……適当な詫びでも入れとけよ、

と諭して、事態を、周辺の皆で、ウヤムヤにしてしまって(収拾)、

早く、次に進んだらどうだろう?、時間と経済と労力のために。

世の中、もっと大切なことが、いたるところでウヤムヤにされてますぜ。

……以上、マジメな向きからは、決して是認されぬこと請け合い……ね。

では。

こんな曲を想い出した。

ローストポークの下準備をしている家人に頼まれて、

庭から、

タイムとローズマリイを、それぞれ 4、5本づつ手折って持って来る。

ひょっとしたら、次の世でも、こんなことをしているような感が、急に胸に来た、

陽光の、秋。

折角だから、それらのハーブを読み込んである曲を。

映画では、UCLA(カルフォルニア大ロサンジェルス校)のキャンパスの設定だと思ったが、記憶が、定かではありません。

では。

或る日の食卓。

僕は非番、家人が留守の日だったので、

独りで、家で過ごす。

すこし、大袈裟にはなるけれど、

アメリカの曲『Lonely People』(1974年発表) の中の、

all the single people の、そのひとりになったような気分……。

そこで。

お昼は、なににしようか?

たしか、ポンちゃんラーメンのみそ味が残っているから、それを、

キッチンタイマーで、マジメに3分で茹で上げる。

副菜は。

昨日採ったズッキーニを、輪切りにして4枚、

それと、さっき収穫したナス二つを3枚におろして、フライパンに並べると、オリーブ油でサッと炒める。

切り口に、しんなりと透明感がでて来たら、できあがり。

それに、ヒマラヤン岩塩をふりかけて、

ラーメンのほうには、長ネギを切ってトッピングして、いただきます。

……宮沢 賢治の、

〈日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き〉(原文はカタカナ) といった

つつましさで過ごすには、

食べることを、生活の中で、適切な地位に置きたい、と願う。

仕事にするならいざ知らず、

食通や、美食が、大きい顔してまかり通るようでは、

文明の廃頽、人倫の衰退であろうから。

ところで。

『Lonely People』は、ビートルズ『Eleanor Rigby』(1966年)に触発されて作られたらしいです。

では。