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まんねんしきにちじょう

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カテゴリー: 街へ

投稿日: 2020年6月27日2020年6月27日

女類と男類。

4月に人事制度が改まり、その概要が給与明細に同封されてきた。

先頭に、同性パートナーに係る特別休暇(忌引)の適用、とある。

対象となる配偶者について、同性パートナーを含めるように拡大します、との説明。

〈配偶者〉の要件は正式な婚姻の有無かいな?、と思いつつ、これも時代か、と思う。

萬年、太宰 治と同様、人間に女性/男性があるのではなく、女類と男類が同じ人間を名乗る、と考えたい。

同性パートナーとは、だから同類で要をまかなってしまうことを言うわけか。

他方、異類間だと、互いの理解不能や、意思疎通のもどかしさは本来のことと思割り切れる。

むしろ、異質な者への敬意も生じ、遠慮ある共存が可能になるではないか。

助手席にあって、時速110km以上でないと高速を使っている意味が無いとか、歩行者用信号が点滅したらアクセルを踏み込んで行ってしまえ、と説く御仁。

これさえも、そういう境地にあれば、たいして腹も立たない。

では。

 

〈コメント〉
☞つーさんより  (6/27 8:51)
女類の美しさは永遠です。
芋虫から、あの美しい蝶に変化するのを完全変態と言うそうだ。人間を名乗る女類も、まさしく完全変態する生き物と言っていいだろう。
種を存続させるため、女類は人生初期、美しく変態する。
私もその美しさにどれだけ魅了されたことか。
神が創造した変態する生物の最高傑作であろう。
ただ、蝶などと違うのは、変態を遂げたあと長命であると言うことだ。
男類と違い、苦労の多い人生を歩む女類に対し、尊敬の念を持ち、優しさと愛情を注ぎ、一生共に仲良く生きなくてはなりません。
決して、爬虫類、両生類と勘違いしてはいけません。
では、また。

 

投稿日: 2020年6月26日2020年6月26日

モンテーニュ その名答と誤算。

―老いは、顔よりも心に多くの皺を刷り込む。

ミシェル ド モンテーニュ (1533~1592) の言葉。

幼年の頃は、自分から溌剌とした挨拶ができたのが、成人したら、憮然たる顔つきでロクな挨拶もできない人格に凝り固まる。

家庭と学校で築いた徳が、社会で揉まれるうちに崩れ去っていく見本。

 

―美しい女はじきに飽きてしまうが、善良な女には決して飽きは来ない。

こっちのほうは、素直に賛成できない。

こと女性に関しては、美と善良を対比するのは間違っている。

萬年の経験からすれば、〈美〉にはたいてい善良が伴い、〈醜〉にはおおく険悪が連れ添う。

白雪姫の母(美魔女)はごくごく稀な存在。

シンデレラの姉たちこそ、身の回りに多い。

つい最近も職場で、不愛想と非礼の見事な結合に出逢って、妙に納得、感服してしまった。

思うに、モンテーニュ氏は、美形にとらわれる傾向が強過ぎたに違いない。

では。

 

〈コメント〉
☞つーさん より  (6/26 7:23)
くそ爺いの戯言です。
目は一点に集中して、鋭く見つめる。だが決して陰険な目付きではなく、強い意志がその瞳に宿っている。
しかし、人を見つめる目はあくまでも優しい。
顔つきは凛として、鼻筋通り眉は見事なシンメトリー、だが決して冷たい表情ではなく、笑うと太陽のような輝きを廻りに放つだろうなと容易に想像させるものがある。
時折、寂しそうな表情をするけれど、人と接する時は一転こぼれるような笑顔に変わる。
誰にも笑顔を向けて挨拶するがけっして八方美人ではない。
これまで、学校で職場で見てきた本当に美しいと思った女性達である。
では、また。

☞萬年より (6/26 8:29)
さすがです!
美形と感じる最大要素は、顔の対称性(シンメトリー)という研究結果がありまして。
萬年の場合は、下品ゆえに、化粧する女の、鏡を凝視する鋭さにタジタジではあります。では。

投稿日: 2020年6月20日2020年6月20日

ホームベースは空けておく。

4年前、職業野球ではルールが変わり、キャッチャーがホームベース上でブロックすることが禁止された。
三塁線上に立てなくなり、ホームへ駆けこんでくる走者(の足または手)へ、ミットを差し出すようにしてタッグ(触球)する。

それ以前、キャッチャーはボールを持っていれば、ホームベースをブロックしてよかったけれど、その時でも、ベースの一角を空けておくのがルールだった。

走者に生還の道をすべて閉ざすような行為、たとえば、ベース上に覆いかぶさるような守備は許されなかった。

いまの風潮を眺めると、窮地に立った者を徹底して追い込んで、息の根を止める。
それを面白がっている感さえある。

生還のために、ベースの一角を空けるような仁義が社会全体から無くなってしまったかのようだ。

選挙において金銭をばらまいた、というが、むしろ受け取った方の腐敗に目が行ってしまう萬年。

こうなったらほんと、悪として糾弾される側に立ちたくもなる。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (6/20 15:53)
無理矢理、押し付けられたので。
贈収賄と言うのは、互いに公務員でないと成り立たないのだろうか。贈賄側は大きく取り上げられるけど、収賄側は、特に一般人だったりすると、あまり取り上げられない気がする。悪質性が少ないということかな。悪代官も越後屋も平等に裁いてほしいものです。

我が家では、困ったもので、加害者が突然裁判官に変身する。そして被害者である私が断罪される。冤罪を主張しても受け入れてくれない。これでは、一生家庭と言う刑務所に服役してるようなものではないか。自由と三食は保証されてるのですが…。
では、また。
☞萬年より (6/20 16:13)
受け取っておいて、それを漏らす、ってのが卑劣に思えてなりません。
素晴らしき結婚は、盲目の妻と、耳の不自由な夫の間に生まれる。
……、とモンテーニュは言っていますが、どうなんでしょうか?
では。
投稿日: 2020年6月18日2020年6月18日

希望? or 重荷? 【エゼキエル書】

エゼキエル(Ezechiel)は、紀元前6世紀に活動した、古代イスラエル王国の預言者。

彼自身が、バビロンに捕囚された者のひとり。
異国の地で、ヘブライ人を宗教的/精神的に指導した、とされる。

ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画に描き込んだエゼキエル(1508~1512年に制作)は、キッと、横顔をみせて身構えていて、緊張がみなぎる。

さて、彼の手になる、エゼキエル書の第18章20節。

曰く……、子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰す……と。

これ、当たり前のこと過ぎて、ピンと来ないか。

それほどに僕たち日本人は、ヘブライ社会が編み出した法観念の中に浸っている。

ただ、僕らが、血縁から解かれた個人主義社会に生きている、という意識をどれくらい深く持っているかは、けっこう怪しい。

自分次第で、自己の生き方と将来を選びとることができる。
―これを、希望と思うのか、重荷に感ずるのか。

せいぜい30歳を通過したら、今の自分は父母や祖先の仕業でこうなっちゃった、と言い訳は通用しないでしょうね。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより (6/18 16:09)
親孝行したい時には父は無し

親が子の将来に期待するのは当たり前だし、子もそれに応えたいと思う。しかし、そう上手く人生は運ばない。必ずと言っていいほど、それを負担に感じるようになる。自分の事で恐縮だが子供の頃私も、特に父親からかなりの期待を寄せられ負担に感じた時期があった。そんな父は、私への失望を抱きながら亡くなった。そんな事が書いてある当時の父親の日記を読んでかなりショックを受けたものだ。
また、私自身、結構紆余曲折の人生を歩んだため母親にもかなり心配をかけた。今は母親も気に入っている奥さんを連れて月1回訪ねることが、せめてもの親孝行と思っている。
自身の性格を顧みて、親のせいだと批判的に思った時もあるが、自分で築いてきた性格、人生は全て自分の責任。
寧ろ親は子の成長を支えてくれた唯一無二の存在であると、今は思う。
では、また。
いつも、そしてこれからも、的を得ていないコメントで、お許しを🙏

 

投稿日: 2020年6月15日2020年6月15日

上高地の顔に叱られるの巻


―萬年氏がブログで、二輪草として紹介した花は、このくらいの背丈でしょう?

ジャガー氏が、大人の膝くらいの高さで手を水平にしてみせる。

―そう。50センチほど。
とにかく繁殖力がハンパなくて、相方なんか目の仇です。

―やっぱりね、じゃあ、これですよ、これ。
二輪草はそんなに高くならないし、葉もギザギザでありませんからね。

……と、スマートフォンで画像をひとつ見せてくれた。

どれ、どれ、おぉっ、これだ。


その名とは、アネモネ カナデンシス (Anemone canadensis)。

キンポウゲ科イチリンソウ属。
アネモネとは、ギリシア語で〈風の娘〉。

―二叉一華(フタマタイチゲ)にも似てますが、あれは、北海道にしかないし……、とジャガー氏。

とにかく、これではっきりした。

上高地と、そこのニリンソウと、ジャガー氏には、この場を借りてお詫びし、これでさんぽうよし。

でも、いったい誰が、これをニリンソウと言い出したのかな。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より
我が家の平和を守るため (6/15 6:43)
写真を良く見たら、我が家の庭に秋の初め頃咲く、「秋明菊」に良く似ている。菊の仲間かと思っていたが、調べたら「キンポウゲ科イチリンソウ属」であった。あの見事な花は、実は萼片だそうだ。
花言葉は「薄れゆく愛情」だとか。どうりで我が家の庭にどんどん繁殖するはずだ。毒性もあるらしい。我が家の平和を守るため抜かなくてはならないだろうか。
では、また。

☞萬年より (6/15 7:35)
つーさん へ
外来種を、和名に合わせようとするためか、呼称の混乱があるような気がします。魚についても同様ではないでしょうか。
薄れゆく愛とは、深まりゆく空気感のことですよ、きっと。

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