仕事について その❸

夢の中、道でチラシを拾った。

で、なんとなく読んでみる。

見出し〈おすすめ商品をそろえました〉
熱中症、新型コロナ感染症対策には緊急に対応してくださり、感謝申し上げます。
なお続く暑さを乗り切るため、社員各位におすすめの商品を用意してお渡しいたします。
会社の予算で購入して、準備出来次第お渡しします……とか書いてある。

下方にはいくつかの品物が載っていて、希望に〇をする方式らしい。

だいたいがこういう文書は、総務あたりで起草するんだろうが、こうも達意から遠い文章は、久しぶりだ。

まづ、いけないのは、無償配布なのか?、費用負担があるのかが、読者のあたまに冒頭でキチンと入らない。
文の最後になって、会社予算、と有るので、そこまで読んでようやく、これってタダかいな?、となる。

でも、おすすめ商品をお渡しします、はないわ。

進呈するのならば、〈商品〉という言葉はマズイ。
たとえ、会社が取り扱っていようとも、感謝のお品、賞品くらいでないと。

会社施策への協力への御礼はともかくも、暑さをしのぐ、ってのは大義名分としてなんだか弱い。
後になって、タダより高いものはない、にならなければ良いけれど……。

そんな社員の声が聞こえてきそうな気がした。

下命してこの文書が上がってきたら突き返し、書き直させ、なんとか合格圏になるまで添削するのが、部下の能力を高めるべき上司の務めだろう。

短い文章ひとつを作る作業のなかにさえ、仕事のクオリティを上げるチャンスはころがっている。

チラシ?

もちろん捨ててしまいましたよ、夢の中で。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (9/2 12:33)
文章の恥は書き捨て?
会社から、無償で何らかの品物が頂けるとは、夢のような話しですね。あっ、夢の中の話でしたね。
機会を戴き毎回のように駄文を書き送る私、文章を創るのは本当に難しいと書くたび実感しています。
自分の言いたい事、思っている事を文章にするには、どんな言葉を使ってどう繋げていけばいいのか。
微妙なニュアンスを伝えるには、どの単語を選び、どう使えばいいのか。
会話なら相手の表情や返事によって、内容を補正できるけれど、文章は書いて外に出したら補正はできない。
さらに、出来た文章を読み返すとまるで内容が無い事が多い。
思う事を心の中から引っ張り出し、文章にして外から眺めると、思っていたことは実はこんなに下らないものだったのかと思うことがしばしばある。
悩んだ時、それを文章にして遠目に眺めて見るのも解決の手段になるのかも。
それでも、産みの苦しみを経て産んだ子はどんな子でもかわいい。世間からどんなにか冷たい目線で見れても、頑張って生きてほしい。そんな気持ちで手離しているわけです。
駄文を書くは、今や老人の生き甲斐。内容が伴わずとも広い心でお許し願いたい。
では、また。

☞萬年より  (9/2 15:30)
選ぶことができる表現は、それこそ無限ですから、完成は幻想、と考えたいものです。
何事も、完璧主義はいけません。
せいぜい60~7%で合格圏、でまいりましょう。

仕事について その❷

―どうして、そんなに頑張るんだ?、と訊かれ、イチローはこう答えたらしい。

―僕が、一体いくらもらっていると思っているんです?

自分の価値を高める、という仕事の本質が、気の利いた表現で返されている言葉だ。

この発言がちっとも傲慢に聞こえないのは、ひとつの真実を衝いているからに違いない。

つまり、お金をくれるから働いてやるんだ、というのは大いなる間違い。

でなくて、働いたからこそ、お金がもらえるという原理。

ここのところを勘違いしていて、時間から時間まで働いているばかりで職場における信頼と存在感がいっこうに高まらない人々は多い。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (8/25 16:22)
一人で生きていける人間はいない。
以前の職場で、いじめにあっている同僚がいた。家族のため簡単に辞めるわけにはいかないから、兎に角我慢すると言い張る。仕事の本質以外で気をつかう職場は多い。私にも突然挨拶を返さなくなった同僚がいる。何度か再生の努力はしたが、相手が変わらないので再生の努力をやめたら却って楽になった。人が一人君との交わりを断ったのだぞ、君はさびしくないのか、そう心の内で投げ掛けた時もあったが今はどうでもと言う感じ。
職場で純粋に仕事に集中している人は見れば解る。自分も見習ってと思うが、どうもなかなか…。
では、また。

一糸乱れないことの 異常。

TVで、高校野球の試合をやっていた。

COVID-19で中止になった夏の甲子園の代わりにせめて、ということか、〈交流試合〉との見出し。

それなりの強豪同士の対戦らしいが、改めて〈甲子園の偉大〉に思いが及ぶ。

おそらくは、某新聞社の宣伝が動機で始まった年中行事。

が、いまや、野球部が在れば、いかなる進学校といえど、その階層的な勝ち抜き戦に組み込まれ、そこに疑問も感じないところが、すごい。

もちろん、仕掛けた新聞社のほか、あらゆるメディアが報道してくれる。

応援部や吹奏楽部、夏はほとんど、野球部の私設応援部の体だ。

ラジオ体操は、だらだらやると見苦しいけれども、かと言って、一糸乱れぬ整然を強要されてもカチンとくる。

青年の家に泊まってるんじゃないのだから、タオルの畳み方ひとつを、とやかく言われたくないんだが、しかし、交戦は避けたい平和主義者の萬年。

家人への口ごたえは止め、布の耳を丹念に揃えるのであった。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (8/14 15:50)
小さな心遣い 忘れずに。
一糸乱れぬと言えば、北朝鮮やナチスドイツ、最近では、日体大の行進を思い出すが、あれはプロパガンダであり、見せ物と言ったもの。
現実を生きる上で、一糸乱れぬはいけません。
私は、家事が結構好きで食事を作る以外何でもするのですが、わざと完璧にはやらない。そうでないと奥さんも困るし、家の中が整然とし過ぎては空気が和まない。丸く掃いてなんて文句を言われる位が丁度いい。
文句を言われれば頭を下げて、髪を切れば褒め称え、料理を食べれば旨いを連発、重い買い物袋提げて帰宅すれば玄関に駆け付ける。
会社ではなかなか出来ない、小さな心遣いを家では見事に実践している。
これくらいの事で、我が家は平和が保たれている。
では、また。

☞萬年より  (8/14 17:09)
直近、ある事実に気がつきました。
COVID-19への対応が比較的に上手くいっている国の政治リーダーのほとんどは、女類出身の方々であることを。
つまり、明快な単純化による政治手法、の勝利ではないか?
これをジャガー氏に話したら、
―だったら、東京都の場合は、どう説明するの?
と言われ、この方の政治手法は、極めて男類的思考によるんですよ、と苦しい返答をした次第です。

ふたたび 鳥類 vs 女類。

―また、今日もひとつ ! 、と家人。


いちじく(無花果)の樹になった実を、鳥が来てついばんでいる、と嘆く。

野生の敏感は、人類の始祖が前を隠した大きな葉陰の果実をも見逃さない。

たしか昨年のいまごろも、同じように憂いていたっけ。

それを収穫して生計を立てているわけでもないから、とは思うが、実ったものは、ひとつでも惜しくなるらしい。

年を追うごとに実は立派に成るから、なおさらか。

先手を取っていくつかもいだが、いまだ未成熟だったようで、家の中で熟すのを見守る覚悟。

バナナじゃあるまいし、と思ったけれど、どうも追熟はなかなか難しい模様。

―こうなったら、来年は(樹全体を)ネットかなんかで覆わなきゃ、と息巻いている。

裏庭における収穫闘争は、いましばらく続きそうだが、どちらに軍配が挙がったにせよ、自然の恵みを独占する仕業はあまり感心しない。

あれほど長期間、地球を占有した(と科学者は主張する) 恐竜でさえも、(200万年かけて)滅亡したそうだから、ひとつの類が地上を支配し続けるなんてことはあり得ない。

その恐竜の末裔である鳥類と、女類の覇権争いを、出来るならば我関せずにいたいと願う、この頃。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (8/13 15:04)
支配される振りして 妻を支配して
長雨のせいか、今年の果物は甘さが足りないようだが、我が家でも先日戴いた桃が程よく熟成するのを待っている。
長年の観察と経験から、女性は確かに独占欲が強いように思う。
男としては、人間的に程よく熟成した女性に独占されるのは、いたって心地よいものであるが、
最近では明らかに熟しすぎた我が身内、その独占欲はいつの間にか支配欲に変わってしまったようだ。
では、また。

☞萬年より (8/13  15:30)
アリストテレスは、
絶対的権力は、絶対的に腐敗する、と言っています。
ですから、絶対的に限りなく近いけれども、絶対的でない支配。
そういう境地をめざすべきでしょう。 
いや、絶対的でない隷属、と言うべきでしょうか。

意味なきルーチン は聞き飽きた

感染者が何人、という事実は、それを淡々と知れば良い。

どこにいったら、統計的な数字を確認できるのかがわかっていれば十分。

やれ最多とか、連続何日とか、煽るような形容詞はそろそろ止めにしないか。

国民もそれほど阿呆じゃないから、数字の羅列ばかりが続くと、お上や報道の上っ面なのが透けてきてウンザリだ。

感染者数を数えているステージはとうに過ぎて、もっと深い分析によって僕たちの生活の方向を探さなければいけない。

……似たようなことは、数日前に、専門家が発言したらしいが。

感染者数の意味することと、目標から導かれる対策、それを知りたい。

対策といっても、家庭と社会生活の決まり事を超える高度な内容だ。

民の理解力をナメてはいけない。

この数字でいけば、医療体制がどうなるのか、集団感染を突き止めてつぶす今のやり方の有効度はどうなのか、どこに流行り病と生活の調和点を置くか等々。

国として、COVID-19を、いかほどの病として定義するのか?
季節性インフルエンザと重篤性をどのように分けて考えるのか?

重症化がある程度抑えられていれば、一定の感染推移を、社会戦略として許容せざるを得ない、という考えだってありだ。

感染数が少ないに越したことはない、というのはもはや答えにもならぬ。

そこまでを突っ込んで、地方政府はキチンと発信すること。
感染状況の感想で終わるような今の会見は、リーダーの無能オンパレードではないか。

いよいよ困ったら、非常事態宣言を持ち出してくる?

国民の自発的な自粛意識に頼るしか手がないのならば、その前に、事実分析に基づいた戦略と戦術の説明をしっかりしてくれよ。

これが病災だからまだしも、次は砲弾が飛んでくる厄災だってあり得るんだから。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (8/10 15:46)
我が青春の呻きを聞け。
今から45年ほど前、高校3年の秋季体育祭での話。
大変暑い日だった。体育祭終了後、生徒達は校庭の隅にある水道の蛇口に殺到した。翌日から腹痛、下痢で休む生徒が続出した。原因は赤痢であった。地域の人に伝染させないため休校の措置はとられず、普段通りの授業となった。その合間に、1日2回保健室で検査となる。保健室でパンツを下ろし、前屈みの姿勢をとらされ両手で肛門を拡げる。不埒にも、クラスの女の子もあんな格好をさせられるのかと妄想したこと、若気のいたりとお許し願いたい。そこでの検査で陽性となると即、隔離病棟へと、連れていかれた。(今は隔離はない)
検査は、ガラス棒を肛門におもむろに差し込まれると言うものだった。すると思わず「あっ」と呻き声が出てしまう。情けない限りである。
私は感染を免れたが、その後秋は深まり冬を迎え、翌春、東京に出て本格的に大人の階段を昇り始めるのである。
では、また。

☞萬年より  (8/10 17:30)
青春時代とは、アッケラカンというのは稀で、むしろ暗鬱なものですが、それにしても、すざまじい集団感染でしたね。
上水は、次亜塩素で殺菌してあって、蛇口から出る水質は自治体で保証してあるはずですが、もしや、井水だったんでしょうか。
貴重というべきご体験かと存じます。