労せずして得たものへ 敬意を。

柳多留 (江戸時代の川柳集) の中に、

  駿河者(するがもん)   我が物のごと  富士を言ふ

といったような句が、たしか在った。

労せずもして、もともとそこに在ったものを、さも、我が物顔に自慢することの滑稽を言っている。

で、これを真似ると、

 信濃者(しなのもん)   我が物のごと  槍穂高 

と、皮肉れるのか知らん。

日本アルプスの素晴らしさは、当地在住の者が、たとえば、〈岳都〉とか声を高めなくとも、訪問する方々に十二分におわかりいただけるに違いない。

山岳の感動と讃美は、専ら訪問者にお任せしようではないか。

だいたいが、槍や奥穂高の標高を問われて、即答できるのかいな?  、俺たち。

……以上は、松本山雅が、中部山岳国立公園(環境省)とパートナシップを締結したニュース(12/17リリース) に接し、心に浮かんだこと。

もちろん、この記事は、山雅の活動を否定するものではまったくない。

今年の選手紹介ムービーにも登場いただいた槍ヶ岳などには、アルプス一万尺の使用料も含め、情報発信や広報で、ひたすら恩返しをすべき、と思います。

では。

(写真すべての版権帰属先:オフィスウエストウッド)

なんとなく グリーティングの頃。

喪中により云々、の葉書も、そろそろ一段落しただろうか。

今年も、何通か届く。

特別のホリデーシーズンもない、年末年始がまたやって来る。

グリーティングカードのやりとりもだんだん減って……。

といっても、別に、寂しくも残念でもない、のですけれどね。

ただ、こんな曲を、ふたたび聴きたくなるような日々。

題名の、 It Doesn’t Have to be That Way とは、あんなのは おかしかないかい? という決まり文句なんでしょうね。

―僕たちが別れてしまうなんて、間違ってるんだよ。
寂しい男の背中が、見えるだろう?

クリスマスの季節、元の彼女とよりを戻したい男の未練を切々と……、そんな歌詞です。

果たして、この作戦は、巧くいくんだろうか?
相当に悲観的っぽいところが、曲の魅力でしょうけれど。

では。

 

甲斐だより (小淵沢あたり篇) 

かつて、単身赴任で数年を、山梨県(中央市)で過ごした。

その頃、手持ち無沙汰もあってか、休日、近くに出かけた感想などを小文にして、友人にメールしていた。

題名を〈甲斐だより〉と称して。


註:杖突峠より見る八ケ岳連峰 (2020.3.26)

先日、オフが家人と揃ったので、気晴らしをかねて、小淵沢あたりまで出かけて行った。

小淵沢ICを降り、そこらをうろうろしてから、次に、一般道を長坂まで走る。

八ケ岳、茅が岳、甲斐駒、北岳、それに富士。
贅沢な眺望だ。

昔の記憶と標識をたよりに、長坂ICの近くまで行って、オギノ(スーパーマーケット)に入る。

遠出の時は、地元のスーパーマーケットをひやかすことにしていて、今回もいろいろと興味深かった。

スイーツと、店内調理の惣菜など、かなり興味を惹かれたけれど、そこでは、澤田屋のくろ玉をひとつ、調達する。

家人としては、別にお目当てがあったのだが、今回は果たせず。

そのかわりに、八ケ岳山麓で採れたトマト(ミニサイズ)を入手したようだ。

帰宅後、薦められて食したのだが、これが、かなりの優れモノなのだった。

皮が厚いこともあって、その甘味ともども、ずっしりと味に迫力がある、という感じ。

みると、フルーツトマト〈フルティカ〉の名。

トマトはアンデス高地の原産というから、標高1,000mのあのあたりで栽培するのが本来なんだろうな。

……と、毎年酸っぱいトマトしか育てられない萬年さんは、感心しきりである。

では。

聡明さが 救う。

人生、という旅路にあって、
高学歴とか、学校の勉強ができた、とは違った〈頭の良さ〉に出逢うと、けっこう救われる、というお話し。

今のように気軽にSNSを使える時代でない頃のこと。

知人の息子さんが、米国から帰国することになった。

息子さんからは、〇〇航空の、第〇〇便に搭乗する、という連絡だった。

けれど、遠い信州から成田へ迎えに出向くのであるから、どうしても確認をとっておきたい。

で、その航空会社に電話を入れ、これこれの事情なんだが、搭乗の有無を教えていただけないだろうか?、と訊ねる。

―誠に申し訳ありません、当社は、ご乗客に関する情報は一切開示することはできないのです、と男性の声。

それでも、なんとか、と必死に喰い下がると、しばらく沈黙したあとで、

―そうですね、もしもですよ、私が貴方であったならば、かならずや成田に向かうでしょうね、との返事。

双方に、大人の分別がないとできない会話なんだろうけれど、テロリズムが世界を浸している現在、こんなやりとりは、もはやできない相談かも知れないな。

では。

奥ゆかしき コンバース。

……冒頭で、少々、対長崎戦レビュウに加筆しておきます。

思うところあって、ゲーム後半を観返してみたんだが、攻撃の組み立てでは最後のところでなかなか苦労はしていたけれど、基底部分で、ゲームは山雅のモノだったことが知れた。

長崎の、手馴れたボールの動かしに手こずる場面はあったものの、全体として先手でプレッシャーをかけ続けていたのは、山雅。
したがって、90+5分 の同点弾が偶然にして生まれた訳でもなくて、幾度ものチャレンジの、その先に用意されていた終結だった。

別の言い方をすれば、41分の玉田 圭司のゴールが、むしろ突然変異だったんであって、長崎は、ゲームを通じて自己のスタイルをほとんど全うできなかった、ということ。

守りでは、やっぱり橋内 優也のスピード豊かなディフェンスが効いていて、危機的な場面を幾度も救っている。

劇的な終わり方であったかも知れないけれど、それに至る仕込みが在ったればこそ。
不屈なチャレンジには頭が下がります……。

さて、お話変わって。

最近、コンバースオールスターのハイカットを履いていたら、それをすかさず認めたジョー氏、
―オールスターの(丸い)エンブレムって、どうしてシューズ内側についているんですかね?

さすがは、高校時代はバスケットボールでならしたジョー氏らしい。

たしかにね。

で、調べてみたらですね、これには、とても実用的な理由が在ったことが判明。

バスケットボールという競技特性上、内側のくるぶしを擦過しやすい。

そこで、その部分に、円形の布片(当てもの)を継ぎ接ぎすることで、くるぶしを怪我から守ることにした。

そういう確固たる目的があったらしいのですな。

その伝統を、頑なにずっと守ってきたのが、オールスター。

たとえエンブレムは見えにくくなろうとも、機能性を譲らない保守主義は爽快ではありませんか。

ちなみに、原語(=英語)では、ankle patch  と言う。
ankle はくるぶし、patch は継ぎ布 のこと。

日本語では、アンクル パッチ、との表記でしょうが、発音は、口をムリに横に拡げるようにして、エインクル、と少しくどい感じでよい。

これに対して、おじさんを意味する uncle は、日本語的に淡泊に、アンクル。

まぁ、この年齢になってのコンバースも、また楽しいもんです。

では。

〈コメント〉
☞ジョー 氏より (11/27 18:45)
“CONVERSE ALLSTAR”

カッコイイですよね。
中学の友人が、何人かコンバースのバッシュ履いてましたよ。
中学生当時のバスケ仲間の間では、NIKEは全く人気は無く、ミズノ ランバード、コンバース、アシックスが人気でしたね。
私自身はNIKEが好きでしたので、その頃からNIKEのバッシュを履きたかったのですが、流行りにおされてしまい、ランバードを履いていました。
今思い起こせば、くるぶしの所は分厚く作られていたのを覚えていますよ。
しかし、コンバースの内側のエンブレムは、その様な意味があったとは。
てっきり古くからのデザインをずっと貫いてきただけかと思っていました。
コンバースの歴史を感じましたね。

実は生まれてまだ1度もコンバースのシューズを買ったことがないのですよ。。
1度は履いてみたいオールスター。
ハイカットがカッコイイですよね。