判事、と聞けば。


『ジャスティス』(原題、…And Justice for AlI、1979年米国映画) の中、ジャック ウォーデンが演じた、法廷で拳銃をぶっ放す奇人判事が懐かしい。

―このインターネットの時代では、ほんのわづかの部数が流布しただけで、国家機密は取り返しのつかないほど損なわれる可能性がある。本を手にしたのがたった一人でも、熱意があれば、本の内容を近くのコーヒーショップから世界中に公開できてしまう。本書はすでにメディアをはじめ、世界に何十万部もばらまかれた。危害は既に生じてしまい、原状は回復できない。  (BBC訳を改変)

連邦地裁は20日、米政府による、前大統領補佐官の回顧録の出版を差し止める訴えを棄却した。

回顧録が国家を危険にさらしていることは認めるが、出版を止めたところで、もはや大勢に影響なし、との判断だ。

連邦判事が、現実主義的な判決をリリースするのは、いかにも米国、って感じ。

さて、前補佐官の狙いは、現職大統領の再選阻止なんだろう。

ために、大統領が、英国が核保有国なことを知らない、フィンランドはロシアの一部なのか?、と側近に尋ねた、と暴露する。

が、そもそも知識に富んだ聡明な人物が政権トップに座るか?

選挙には、政治でメシを食いたい者たちが参加し、チャンスと資金でレースに勝った者が政権を獲る。

となると、リーダーの暗愚や無知をカヴァーするのが、補佐官の最たる務めだと思うんですがね。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより  (6/30 16:57)
悪口は自分に返る。
人は、他人の悪口を言うのが好きな生き物だ。天気と同じくらい手軽な話題なのかも知れない。どこの職場、学校でも聞かれる。顔の見える身近な相手から、さらには顔の見えない相手にまで悪口は及ぶ。
最近ではコロナの感染症、医療従事者への悪口。悪行を犯した芸能人への悪口。過去には松本サリン事件での河野さんへの悪口等、他人と悪口の共感をもつことで漠然とした不安から逃れ、あるいは他人との優位性を保ち、心の安定を図りたいためなのか。
補佐官の大統領への悪口、政治的意図があるのだろうが政治音痴の私には、別れた彼女が元カノの悪口を言うのと同じレベルとしか思えない。
では、また。

☞萬年より  (6/30 17:33)
―悪口は、その当人の前で言い、褒めるのは本人の居ないところで。
それを信条にしたいものです。

女類と男類。

4月に人事制度が改まり、その概要が給与明細に同封されてきた。

先頭に、同性パートナーに係る特別休暇(忌引)の適用、とある。

対象となる配偶者について、同性パートナーを含めるように拡大します、との説明。

〈配偶者〉の要件は正式な婚姻の有無かいな?、と思いつつ、これも時代か、と思う。

萬年、太宰 治と同様、人間に女性/男性があるのではなく、女類と男類が同じ人間を名乗る、と考えたい。

同性パートナーとは、だから同類で要をまかなってしまうことを言うわけか。

他方、異類間だと、互いの理解不能や、意思疎通のもどかしさは本来のことと思割り切れる。

むしろ、異質な者への敬意も生じ、遠慮ある共存が可能になるではないか。

助手席にあって、時速110km以上でないと高速を使っている意味が無いとか、歩行者用信号が点滅したらアクセルを踏み込んで行ってしまえ、と説く御仁。

これさえも、そういう境地にあれば、たいして腹も立たない。

では。

 

〈コメント〉
☞つーさんより  (6/27 8:51)
女類の美しさは永遠です。
芋虫から、あの美しい蝶に変化するのを完全変態と言うそうだ。人間を名乗る女類も、まさしく完全変態する生き物と言っていいだろう。
種を存続させるため、女類は人生初期、美しく変態する。
私もその美しさにどれだけ魅了されたことか。
神が創造した変態する生物の最高傑作であろう。
ただ、蝶などと違うのは、変態を遂げたあと長命であると言うことだ。
男類と違い、苦労の多い人生を歩む女類に対し、尊敬の念を持ち、優しさと愛情を注ぎ、一生共に仲良く生きなくてはなりません。
決して、爬虫類、両生類と勘違いしてはいけません。
では、また。

 

モンテーニュ その名答と誤算。

老いは、顔よりも心に多くの皺を刷り込む。

ミシェル ド モンテーニュ (1533~1592) の言葉。

幼年の頃は、自分から溌剌とした挨拶ができたのが、成人したら、憮然たる顔つきでロクな挨拶もできない人格に凝り固まる。

家庭と学校で築いた徳が、社会で揉まれるうちに崩れ去っていく見本。

 

美しい女はじきに飽きてしまうが、善良な女には決して飽きは来ない。

こっちのほうは、素直に賛成できない。

こと女性に関しては、美と善良を対比するのは間違っている。

萬年の経験からすれば、〈美〉にはたいてい善良が伴い、〈醜〉にはおおく険悪が連れ添う。

白雪姫の母(美魔女)はごくごく稀な存在。

シンデレラの姉たちこそ、身の回りに多い。

つい最近も職場で、不愛想と非礼の見事な結合に出逢って、妙に納得、感服してしまった。

思うに、モンテーニュ氏は、美形にとらわれる傾向が強過ぎたに違いない。

では。

 

〈コメント〉
☞つーさん より  (6/26 7:23)
くそ爺いの戯言です。
目は一点に集中して、鋭く見つめる。だが決して陰険な目付きではなく、強い意志がその瞳に宿っている。
しかし、人を見つめる目はあくまでも優しい。
顔つきは凛として、鼻筋通り眉は見事なシンメトリー、だが決して冷たい表情ではなく、笑うと太陽のような輝きを廻りに放つだろうなと容易に想像させるものがある。
時折、寂しそうな表情をするけれど、人と接する時は一転こぼれるような笑顔に変わる。
誰にも笑顔を向けて挨拶するがけっして八方美人ではない。
これまで、学校で職場で見てきた本当に美しいと思った女性達である。
では、また。

☞萬年より (6/26 8:29)
さすがです!
美形と感じる最大要素は、顔の対称性(シンメトリー)という研究結果がありまして。
萬年の場合は、下品ゆえに、化粧する女の、鏡を凝視する鋭さにタジタジではあります。では。

ホームベースは空けておく。

4年前、職業野球ではルールが変わり、キャッチャーがホームベース上でブロックすることが禁止された。
三塁線上に立てなくなり、ホームへ駆けこんでくる走者(の足または手)へ、ミットを差し出すようにしてタッグ(触球)する。

それ以前、キャッチャーはボールを持っていれば、ホームベースをブロックしてよかったけれど、その時でも、ベースの一角を空けておくのがルールだった。

走者に生還の道をすべて閉ざすような行為、たとえば、ベース上に覆いかぶさるような守備は許されなかった。

いまの風潮を眺めると、窮地に立った者を徹底して追い込んで、息の根を止める。
それを面白がっている感さえある。

生還のために、ベースの一角を空けるような仁義が社会全体から無くなってしまったかのようだ。

選挙において金銭をばらまいた、というが、むしろ受け取った方の腐敗に目が行ってしまう萬年。

こうなったらほんと、悪として糾弾される側に立ちたくもなる。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (6/20 15:53)
無理矢理、押し付けられたので。
贈収賄と言うのは、互いに公務員でないと成り立たないのだろうか。贈賄側は大きく取り上げられるけど、収賄側は、特に一般人だったりすると、あまり取り上げられない気がする。悪質性が少ないということかな。悪代官も越後屋も平等に裁いてほしいものです。

我が家では、困ったもので、加害者が突然裁判官に変身する。そして被害者である私が断罪される。冤罪を主張しても受け入れてくれない。これでは、一生家庭と言う刑務所に服役してるようなものではないか。自由と三食は保証されてるのですが…。
では、また。
☞萬年より (6/20 16:13)
受け取っておいて、それを漏らす、ってのが卑劣に思えてなりません。
素晴らしき結婚は、盲目の妻と、耳の不自由な夫の間に生まれる。
……、とモンテーニュは言っていますが、どうなんでしょうか?
では。

希望? or 重荷? 【エゼキエル書】

エゼキエル(Ezechiel)は、紀元前6世紀に活動した、古代イスラエル王国の預言者。

彼自身が、バビロンに捕囚された者のひとり。
異国の地で、ヘブライ人を宗教的/精神的に指導した、とされる。

ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画に描き込んだエゼキエル(1508~1512年に制作)は、キッと、横顔をみせて身構えていて、緊張がみなぎる。

さて、彼の手になる、エゼキエル書の第18章20節。

曰く……、子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰す……と。

これ、当たり前のこと過ぎて、ピンと来ないか。

それほどに僕たち日本人は、ヘブライ社会が編み出した法観念の中に浸っている。

ただ、僕らが、血縁から解かれた個人主義社会に生きている、という意識をどれくらい深く持っているかは、けっこう怪しい。

自分次第で、自己の生き方と将来を選びとることができる。
―これを、希望と思うのか、重荷に感ずるのか。

せいぜい30歳を通過したら、今の自分は父母や祖先の仕業でこうなっちゃった、と言い訳は通用しないでしょうね

では。

〈コメント〉
☞つーさんより (6/18 16:09)
親孝行したい時には父は無し