毒を食らわば 皿までも? (敬愛の啄木)

一度手を染めたら、トコトン悪事をやりとおす決意、をあらわす諺。

そういったしたたかさは、たとえば、文学者だと、石川 啄木(1886~1912年)を想い出す。

たかだか 26歳で死んだから、青春の傲慢と向こう見ずが、その言動や作風にどうしても垣間見られるので、そんな印象が強い。

啄木の日記を読んでいたら、恩人とも言える与謝野 晶子(1878~1942年)の容姿についても容赦なく書いてあって、笑ってしまう。

友人や知人から借金しまくった結果、残された負債が、現在の金額にして約1,400万円だったという事実が、啄木を、身勝手な借金魔とする評価を作ったようだが、僕に言わせれば、そういうことを調べて公表した、最大貸主(約150万円) の宮崎某の人品のほうだって、どっこいどっこいではないか。

だいたいが、友人に貸す時は、金銭も友情も失う覚悟でそうすべきであろう。

もちろん、後ろ指を指されるような生活(と人格)は、その業績をなんら貶めるものでもなくって、短歌形式を使って彼がやったことは、やはり相当な〈革新〉であった、と思います。

ところで、なんで、啄木なのか?

たまたま、最近、その『時代閉塞の現状』(1910年執筆の評論、ただし刊行は没後) を読んだからなんですが、その末尾は、

― 時代に没頭していては時代を批評することができない。私の文学に求むるところは批評である。

……、で終わっている。

けれどもさ、時代に没頭しなければ得られないものもあるんだろうに、と思いつつ、この一文が僕の中で繰り返されている、そんな今日だ。

生前に刊行された唯一の歌集『一握の砂』(1910年) の中に 。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ

萬年の場合は、せいぜい

友がみなわれより聡(さと)く見ゆる日よ
アイス買ひ来て
妻と獲りあふ

……くらいかな?

では。

早過ぎないか、金木犀。

三日前くらいから、庭に周ると、金木犀の香りが感じられる。

それにしても、9月中旬にその香が漂い始めるとはチト驚く。

僕の感覚では、ここ松本ならば10日ほどは早過ぎるんですね。

もっと秋がひんやりしてから楽しみたい、という身勝手なんです。

それだけ、今年は寒暖の差がくっきりとしているのかも知れません。

そして、毎年のこと、この曲を思い出します。

では。

風について。

坂口 安吾(1906~1955年)に、『風博士』(1931年発表) という短編がある。

6,000字、つまり、400字詰め原稿用紙で、15枚程度の小品。

この作家の名を、世(といっても文壇の世界)に知らしめた作品、と解説されている。

あっけらかんと人を喰った道化的な作風は、今でも新鮮で、読ませる。

ただし、これを書いている作者が、物語の語り口のようなサーヴィス精神に富んでいた、とは考えないようがいいだろう。

堀 辰雄(1904~1953年)の諸作品は、さて、いまでも読まれているのだろうか?

まぁ、その作物をほとんど読んだことのない僕が言えることでもありませんが。

代表作に、『風立ちぬ』(1938年刊行)がある。

その題名は、ポール ヴァレリー(1871~1945年)の詩、『海辺の墓地』(1920年)の一節から、採られたもの。

   風 吹き起こる…… 生きねばならぬ。    (鈴木信太郎 訳   筑摩書房版)

この墓地には、現在ヴァレリー自身も葬られている。

当時、先祖たちが眠る墓石群の中、太陽光の真下で、地中海を見下ろしたヴァレリー氏の、白昼夢にまどろむ姿が偲ばれます。

で、風に関する断片の寄せ集めは、この曲で終わるんであります。

では。

もうひとつの 1966年。

明日対戦する、東京ヴェルディは、その後ろに、1969、と続く。

ヴェルディ(当時は読売サッカークラブ)の創設された1969年は、昭和にすると、44年。

1月早々、全共闘らの学生が占拠していた東大安田講堂を、大学側の依頼により警視庁の機動隊が投入されて、封鎖解除した年。

60年代は、まるで世界の終わりみたいに、世相や事物が沸騰していたんだろうか。

……さて、昨日、1966年について書いのだが、さらに、この曲だけには言い及ぶべきと考え、未練がましくここに追加しておきます。

以前、山崎ハコのカヴァーで採り上げたやつを、やっぱりオリジナルで。

『今夜は踊ろう』(1966年10月15日発売)、荒木 一郎 作詞作曲、そして歌唱。

今回聴いてみて、実に丁寧、かつユニークに作り込んでいることを、しきりに感じている僕。

荒木 一郎は、『最も危険な遊戯』(1978年公開、松田 優作主演)において、犯罪組織の手先として行動する、悪徳刑事役をこなした。

茫洋の下の陰険、そんな性格表出が魅力の俳優だ。

星の光がステキな……、という歌詞を、〈ホッシ― の〉と歌うところ、なんともお洒落、と思いますが、いかが?

では。

シエラカップは 買いである。


(八ケ岳にて 2019.7.21撮影。版権帰属先:オフィスウエストウッド)

9/4 ジュビロ磐田戦において新発売になるグッズ。

その中では、シエラカップが、断然イチ推しのアイテムだ。

カップの底の、Yamaga Camp と銘打ったデザインは、かなり秀逸。

かつ、1,300円(税込み) という価格設定は、良心的。

旧々世代のバックパッカーである萬年からすると、商品開発の対象としてシエラカップを選んだことに、趣味の良さを感じます。

そもそも、アウトドアは、何を持って行かないのか?、と装具を厳しく切り捨てることから始まる。

その精神からすれば、シエラカップこそ、食器、コップ、そしてヒシャクとして、持ち物に加えるべき必須のアイテム。

自然環境にダメージを与えない配慮をするならば、これに、折りたためる小型のバーナー(五徳)と、カートリッジガスをセットにして山野に入っていくのが、バックパッカーの礼節であろう。

材質はステンレス鋼。
飾り気のないカップが、使い込まれて、そこここに凹みや傷が生じてくるにつれて、アウトドアの愉しみが深まってくる。

近年は、軽量化という名の下、チタニウム製のモノが出回っているようだが、価格がはって、しかも、熱伝導がステンレスに劣るモノを敢えて持つ必要もないだろうに、というのが僕の考え。

そこで、シエラカップについてのご見解を、登山ガイドのジャガー氏に訊いてみると、

― そりゃ、チタンでしょう!  あの軽量感は爽快ですよ。
ただし、空焚きをしてしまうとアウトです。、とのご発言。

― そういうもんなんですかね、最近のトレンドは。

と、〈できるだけお金を惜しんで楽しむ派〉の僕は、少々浮かぬ気分なのだ。

いや、なに、フトコロがさみしい自称バックパッカーのひがみに過ぎないんですけれどネ。

ちなみに、このシエラカップは、〈シエラ クラブ〉の会員証の代わりとして支給されたので、この名がついた。

ザックにぶら下げて歩くことが、隠されたプライドだった、とも言えようか。

シエラクラブは、1892年創設の自然保護団体で、サンフランシスコに本部がある。☞ クラブ公式ホームページはこちらから。

そして、クラブの名称は、米国カリフォルニア州東部を縦に走るシエラ・ネヴァダ山脈に由来する(はず)。

山脈の全長が650km、最高峰のホイットニー山は、標高4,418mというから、にいると、ちょっと想像がつかない規模ですな。

カップひとつにも、けっこう深い歴史がある、というお話。

クラブが資金集めのため一般発売したカップを持っているけれど、どこかに仕舞い忘れて困っております。

では。