時に無言で、

過していたい日もある。

 

ザ バンドによる、最後のスタジオ録音アルバム『The Islands』(1977年発表) は、なんの熱意も感じられない仕事( = 駄作 ) と評されているらしい。

たしかに、そんな印象が否定できないが、

やっつけで演っても、これだけできてしまうのなら、それもまた良いではないか。

……でも、何故、アイランズ、と複数形なんだろう?、と思いながら、黙って聴いている。

では。

このタイミングこそ。

外交上、かなり巧妙に計算されていた、とは言え、

時季といい、出向き先といい、歓迎されないはずがない

このほど、ここ10箇月間、侵略者との苛酷な戦いを続ける国のトップが、米国を訪問した。

西欧的な価値観を同じくしたい者として、友人の地へみづからが赴き、彼への感謝を表すには、絶好のタイミングに違いなかったのだ。

この友人にとっては、家族が集い、愛と平和について心を向ける、そういう季節なのだから。

なんとなく贈り物をし、なんとなくおごった食事をするだけの極東の僕等には、そこらの心情など、心底わかるはずもなかろう。

黄と青の配色をみると、これ、ウクライナ国旗だね、と子供が憶えてしまった年。

これもまた、辛い話ではないか。

では。

失われないものを求めて。

ジョー氏は、その年代にはめずらしいほど、回顧趣味の気質を持つ (と思う)。

懐かしさへの深い愛の持ち主、というべきか。

思うに、小倉(北九州)という、かつて時代の栄華を誇った街に生まれ育った生い立ちが影響している。

今年、上田方面へ秋を楽しみに出かけた際、その地で、昔ながらのスーパーマーケットを見つけ、早速、画像を何枚か送ってくれた。

動画も送ろうとしたが、こっちは、容量オーヴァーで叶わなかったらしく、

おそらく、ご自身のインスタグラムでは公開しているはずだ。

同行した奥様曰く、価格的には、それほど特筆すべきほどでもない。

けれど、今からずっと昔の市場へとタイムスリップした感覚に、感動したんでしょう。

たしかに、画像を見る限り、ノスタルジック。

画像を分かち合ってくれたジョー氏への義理を果たすため、〈蠅取りテープ〉なんぞを持ち出してきて、家のキッチンに吊り下げていた僕からすると、

道の駅や、ファーマーズガーデンなる仕掛けが、現在、昔ながらの地場産品を見てまわる楽しみを提供している。

もちろん、その市場の〈やる気〉こそが、生命線には違いない。

先日、富士宮のファーマーズガーデンへ出向いたが、体育館のような建物内の活気と盛況には、感動してしまった。

富士宮人ならば、ここと、ドラッグストアを使えば、日用品の要は足りてしまうくらいに、野菜、海鮮、惣菜と、とにかく種類が豊富。

客をほどよく放っておいてくれる一方で、店内のマネジャーらしき人物が、マイクを通して、おすすめ品やら、時間帯の値引きなどの情報を、聞くにわずらわしくなく紹介している。

おかげで、旨い富士宮焼きそばを味わえたし、ゆず湯も楽しめています。

では。

その日が 再び巡り来る (人麻呂を想う朝)

およそ 1,300年近くは仰ぎ見られてきた天体の運行について、寄り道でもいたしましょう。

東の野にかぎろひの立つ見えて  かえり見すれば月かたぶきぬ

(読み: ひむがしの のにかぎろいのたつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ)

万葉集巻一、歌番号48。

軽皇子(のちの天武天皇 683~707年) 一行が、安騎野に(狩猟で)宿った際、随行した柿本人麻呂が歌った短歌。

狩りは、林が(落葉によって)明るく、見通しがよい冬季にするのがならわし。

とすれば、歌われた情景、すなわち、

東の方には曙光が射し始め、振り返ると中空にあった月は西に傾きつつある

、といった景色はいつごろ現れるのか?

こういう疑問を持つ者がやはり居るらしくて、

現在では、西暦695年前後の、陰暦11月中旬というのが、おおよその定説。

今年に当てはめると、おそらくは、12月15日から2日間くらいのことだろう。

今日の朝。

強風のせいで霜は降りなかったものの、寒風が、それはそれは厳しく、屋外に5分も居たら、手足がしびれてしまった。

よくもまぁ、こんな寒い中に野宿したもんだ、と奈良朝の宮廷人の忍耐が知れた。

短歌そのものは、ダイナミックな情景描写として楽しむとして、

安騎野行の一連の歌が、万葉集の冒頭近くに置かれたのは、やはり、大和朝廷統治の権威を広めたい狙い、と思う。

政治と文学、というテーマは当時から在ったんですな。

軽皇子は、14歳という異例の若さで(天武天皇として)即位したため、祖母の持統帝が、太上天皇となって後見役に就く。

彼の治世に、大宝律令は完成、〈日本〉という国号も確定したらしい。

1,000年以上の昔の、単なる朝ひとつ。

いまでも人の心に迫ってくる、これこそ、古典の魅力でしょうか。

では。

煤払う日の 訃報。

一念発起した? 家人が、居間やキッチンまわりの整理整頓に着手していて。

かなりすっきりした空間が生まれ、喜んでいる。

ただ、文具や日用品が、ほとんど仕舞われてしまったので、これから、その在り処をいちいち訊かないと、ちょいとメモさえできない。

そんなことから、話題が大掃除に及んで、

― 年末の大掃除はね、あれは、新年に神様をお迎えするための神事なんですよ、と家人。

(そうか、盛大に掃除するだけだったら、なにも寒中を選ぶ理由はないわけだ)

― なるほど。でもね、宗教心皆無の日本人には、通用しない話だな、今や。

昔の江戸の街では。

年の瀬の煤払いは、12月13日と決まっていて、江戸城から始まり、武家屋敷、商家、庶民の家に至るまで、この日に皆が大掃除をやった。

   あくる日の  夜討ちもしらず  煤払ふ

翌14日未明。

赤穂浪士のテロによって主が殺害された吉良邸。
その御屋敷でも、大掃除に追われていただろう、という川柳。

ところで、昨日、仕事中に。

ジョー氏が、佐藤 蛾次郎 (俳優) の死を教えてくれた。

寅次郎マニアの彼にしたら、ココロにまたひとつ風穴が空いたようなものか。

訃報の話題ばかりだよなぁ、最近は。

でも、こんな曲で、現世の終わりを奏してもらう、ってのもいい。

そう言えは、ここで素晴らしいソロを演っている、ピー ウィー エリスも、昨年、この世を去っているんだった。(1941~ 2021年9月23日)

では。