カーボンゼロに背を向けて (地方政府には内密)

すこし考えれば解かることだが、

現況、ゴミからプラスティック類を除いたら、あとには、食物残渣と紙類しか残らず、その割合は、どうだろうか、せいぜい全体の40%弱ではあるまいか。

ゴミ総量の60%強を、週一の収集でまかなえるとしたら、大したことだけれど、

町会から離脱している我が家では、ゴミの出し方が変わった4月から、

さて、どうしようか?、と思案した挙句、

トレイなどは洗ってスーパーマーケットの回収箱へ持っていくとして、大型のやつは、まとめてラーラ松本へ持ち込む、ことにした。

つまり、包装紙などのコマゴマしたものは、頬かむりして、可燃物として出してしまえ、という魂胆。

ところがです。

はじまって、一週間も経ってみたら、

― トレイひとつひとつ洗うのにだって、(有料の)水道水を使うわけよ、まったく。

と音を上げてしまった家人。

― トマトひとつふたつ買うにも、トレイとラップがついてくるんだから。

― そもそも、上流のメーカーや販売のところで、プラスティック包装をやめるのが先決なのに、その包装代(価格に含む) も払わされ、さらに、捨てるときには、水道代や手間を負担させられる消費者は、往復ビンタをくらっているようなものではありませぬか?

昔どこの商店でも使ってた、〈経木〉(薄い木の皮) を利用するとか?

ま、持続可能なんたらの理念に理解が深く、そして、従順なこの地の消費者は、反対の声も挙げず、このシステムに組み込まれていくんでしょうが、

そこは根が悪人の僕のことだから、すすんで共犯者と成り下がり、違反に対する罰則でにっちもさっちもいかなくなるまでは、このまま、頬かむりを続けるのでありました。

では。

早めにきづくと楽になる? 原理 3箇条(赤で加筆)

なんのことはない。

モンテーニュ(1533~1592、仏哲学者) が、おんなじことを、何百年も前に言っている。

わかっていると、つまらん時間を過さずに済む現実をみっつ、ご紹介。

❶問題(=障壁、悩み) すべてが、解決されるために存在するわけでもない。
 ☞どうしようもない事は放っておいて、できそうなことに集中する

❷自分に、あらかじめピッタリと適合する職業は存在しない。
☞価値観と衝突する仕事に就くこともないが、仕事を高めようとする努力が、自分を磨き、仕事が板についてきたらシメたもの

❸知らないことはわからない、が、わかっていても変わらない、変われないのが、おおかたの人間である。
☞他者を変えようとするなかれ、模範はみづからが示すもので、求めるものにあらず

(註 ❸の前半部分は、ほとんどゲーテ (1749~1832、独文学者)の言葉)

これらの真理を、自分が生きていく具体的シーンごとに当てはめてみて、そして行動を起こせば、ムダな苦労をしなくてよく、時間を効果的に使える、と僕は思っていますが、

ただし、敢えて苦労する道を選ぶのも、また人間なんですね。

実際、二者択一を求められた時、より困難と思われるほうを採ったことが、自分にもあったっけ。

では。

嘘から出でよ マコト。

きっと、感性が古式なせいなのだ。

前日になると、今年はどんな趣向でいこうか?、などと思案する 4月1日。

で、ことしのは、これ。

朝、居間に入っていくと、寝起きの家人に向かい、間髪を入れず、

― ロシアが撤退する、ってさ。

 

なんとも言えぬ反応ではあったから、

― 今年のは、願望をウソにしてみたわけ。

とうそぶいたんだが、不謹慎の誹りもなかったので、ホッとする。

要は、不埒な侵略をネタにしているという意味では、辛い。

その前々日、『シンドラーズ リスト』を再び観て、大泣きしたという御仁でもあらせられるので、この嘘は、けっこう効いたのかも知れない。

人間のココロとは不思議なもので、悲しい時に悲しい歌が要るわけでなく、楽しい時に嬉しい歌を求めるわけでなく。

ジョー氏から奨められた森田 童子の曲は、先日ご紹介した他にもうひとつあるから、ここで引用しておきます。

もちろん、今日の話題とは、なんの脈絡もありません。

では。

君のともだち。

6、7歳の男子が好きなモノというと、きょう日は、ダイナソー、すなわち、恐竜というのが多い。

研究分野で続く新しい発見と知見が、若い好奇心と感動を触発している。

これは、わかる。

が、話を聞いていると、ウルトラマンとか、ウルトラセブンといった名が平気で出てくるわけです。

あと、キン肉マン、とか。

どうも、TVや雑誌で、リバイバル視聴しているらしい。

自分なりのヒーロー、ヒロインを持つ、というのはわけるけれど、

ウルトラセブンなんてのは、せいぜいいい歳をしたオヤジが、回顧趣味で愛でるべきものじゃないだろうか?

クラシックなものを尊重するのは好いとしても、

いまだに60年前のヒーロー(架空)を引っ張り出して来るなんてのは、この分野での創造力、企画力の衰退を、意味してはいませんかねぇ?

では。