その朝。

NHKが、コラム風に

ひとりのJリーガーが、

組織(会社)を創って、子どもたちに食事を提供する活動をおこなっている、とニュースで流していた。

それを観て、家人は、

― あぁ、奈良クラブの、アサカワ、というのか。
対戦するとき(の楽しみ)に、覚えておこう。

そして、数時間もしたら、

山雅公式で、その浅川 隼人が加入することを知って、かなり驚いたのよ。

……と、その日、帰宅した僕は、聞かされたのだった。

これが、敢えて、ニュース報道のタイミングを狙ったリリースだったとしたら、

かなり気の効いた手法、と感心した。

それくらい凝っても、誰も文句も言うまい。

さて。

1/4 早朝の現在で、

チームの退団と入団は、それぞれ 10人と、完全に釣り合っている。

要は、陣容(ボリューム)を、そのまま保持する、ということだろう。

で、去就不明は、ただいま、4人。

帰省、帰国の日程から、単に契約書へのサインが遅れているだけ、とタカをくくっている僕ではあるが、

たとえ、今後出入りがあるにせよ、おおかたの編成は、ほぼ決した、と診る。

それよりも、それよりも。

Jリーグが取り戻した、正確には、DAZNから要らんと突き返された 3部リーグ戦の放映権のこと。

一体、どこに請け負わせるのか、この期に及んで発表もないが、

これ、情報に関する完璧な秘匿作戦、と喜んではいられない。

まったく……、野々村さん。

では。

逃走心に,感謝せよ。

家人が、左手を傷め、蟻ケ崎まで通院することとなり、運転手を仰せつかった日。

千歳橋を渡り、大名町を突き当たって左折すると、

通りが、スッキリと拡幅されていた。

ホテル末廣館や、二の丸食堂はとうに消え失せ、

ああいった風情は、僕らの記憶からさえ、早晩消失するだろう。

― 新しい博物館はどこなの?、と訊かれ、

― さっき通った、植田鰹節屋の南、昔の市営駐車場のところ。

― で、いま、松本城を、特別にライトアップする催しやっているみたい。
広報の表紙にあったやつ。

― あぁ、戦国絵巻を城壁に写す、あれって、ほぼ実写なんだ。

しかし。

おおよそ実戦経験と無縁な松本城に、

いくさ絵巻を映写するなんてのは、最たる皮肉、いわば歴史の捏造。

……1550年、武田氏による信濃侵攻に際し、藩主 小笠原 長時は、さっさと逃走、

侵略者の武田軍は、あるじなき深志城を素通り、そのまま北進していった。

もしも抗戦してたなら、あの城が無傷であるはずもなかった。

もともとが、天守(1504年築城)は、シンボリックな存在。

深志城は政務所で、武闘を意図した林城の支城の格。

竹田軍には、埴原、林、井川の城(砦)では激しく?応戦したんだろうが、いずれも、陥落し、破壊された(とされる)。

つまり。

現在、この街が、あの城でいろいろと商売できるのは、

ひとえに小笠原氏の〈逃げたい心〉のおかげであるから、その軟弱さを責めてはならぬ。

ゆえに、万が一、

山雅の祝勝会を、この城を背景にして挙行するとしたら、

それこそ、歴史の無智にもとづく愚行であって、

もし、やりたければ、

〈闘争心〉の残骸、いまでは、瓦礫さえ散逸した埴原城址を選ぶなら、

5世紀過去の、つわものどもが夢の跡の風情が、まっこと真に迫るのではあるまいか。

では。

自民党は,〈村〉だった。

政権与党を構成している派閥のひとつで、

政治資金として集めた金を、帳簿外で動かしていたことが判明した、という出来事。

法に照らせば、やっちゃあいけない行為なんだろうが、

僕からすると、他人事でもない失笑、くらいの話題か。

なぜ、他人事でないのか?

数年前、家並み順(=ほぼ輪番制)で、常会長を仰せつかったが、

その期の途中で、某団体からの入金(訂正 ☞ 数万円と記憶) があった。

同様の収入は毎年度発生しているはずだが、引き継ぎされた決算書には、一切記載がない。

前年度の役員に訊いたら、それは数人の役員で分けるように言われた(そうした)、という回答。

いやいや、各戸から徴収する運営費も含まれる会計なんだから、

たとえ、その収入が寄付であっても、記載なくちゃあダメでしょう。

なので、役員手当は、自分を含め、規定額を支出し、

従来、使途不明となっていた収入はそのまま記載して、次年度に引き継いだ。

道理がわかると思われた準リーダー的存在を訪ねて、

― あのやり方は社会通念上、通りませんよ、と伝えると、

俺も、そう思うが……、との返答。

要は、おかしいけれど、今は長老に従うよ、ということなんだろう。

最終的には、長老級と論議になったけれど、正当と思う決算をして、次年度に申し送った。

その翌年。

不明朗な会計が認められるような町会(常会は、町会の下部組織) に所属するのは、自分の信義に反するので脱会しますと、書状を、町会長に届けた。

一応、受け取っておきます、と言うから、

組織の責任者であるあなたに届ければ、それが、正式な通知、即、脱会ですよ、と、僕としては、最大限穏やかにお伝えした。

いまでも、役員山分けの図式が続いているのか知らないけれど、続く限り、

年番制なので、常会の皆が順番にそれに加担していく。

各国会議員は、派閥(幹部)の指示だから、それに従った、と言い訳しているが、

親分(長老)の指示が、法律に優先してまかり通るんだから、

僕のあたりの村落共同体と、自民党は、ほとんど変わりない。

ゆえに、寂しい失笑、です。

では。

国民的大歌手を,おとしめる?

僕の助手席に座った者は、否応なく、CDを聴き続けるハメになる。

マイルス デイビスの『’Round About Midnight』(アルバム,1956年発表)を流しておいたら、

隣の小学一年生が、曲のいわれを訊くので、

ジャズの美しさ、即興演奏の緊張感や、自在性、などについて話をすると、

その子、曲想から思いついたか、『お祭りマンボ』(1952年発表) の一節を、突然口ずさむ。

運動会の演目で、この曲に乗せてダンスをやって以来、お気に入りのご様子。

曲名の前には、必ず〈美空ひばりさんの〉とつけるところが、面白い。

この子にとっては、その存在がおぼろであるからこそ、さん付けで呼ぶんだろうか。

君と同じくらいで、歌手としてはじめて(9歳)、

子どもらしくない上手さだったこと、この曲は 15歳の時のもので、

30年くらい前に亡くなった、などと話す。

……たしか、死後、国民栄誉賞が授与されたんだった?

だから、史上、国民的な人気を誇っていたんだろうが、

僕は、世代的になのか、あまりこの人の歌唱に、こころを揺さぶられた記憶がない。

そもそも、一緒に時代を生きた、といった感覚がまるでない。

早熟な上手さは認めるが、年齢を重ねた〈深み〉は身につけないまま逝った歌い手のように思う。

僕の世代感だと、ココロに訴えるにおいては、藤 圭子が格別に良い。

で、日頃、その子が、けっこう助手席に居ることが多いから、

今は、心静逸にと願い、

ジャックジョンソンのアルバム『In Between Dreams』(2005年発表)をかけて、

オアフ島(ノースショア) に住んでいれば、こういう曲が生まれるのかなぁ?、と会話しています。

では。

良きかな、その趣味。

助手席に、小学一年生を乗せて、交差点で停まっていた。

気がついたなら、声をあげるだろうかな?、と思っていると、

案の定。

― わーっ、いまのなんての?

国道から右折して、僕らの脇を通過していってのは、

パブリカ(800)。(1961~1988年間に製造された)

― あれは、トヨタの旧い車。パプリカじゃあないよ、パブリカね、と念を押す。

この子は、旧車には、それはそれは、深いあこがれを持っている。

かつてのミニクーパー (ミスタービーンが愛用した版)が、お気に入り。

この趣味は、おそらく、父親によるなにげない薫陶によるものだろう。

いまのミニは、どこがミニだよっ!、と言いたくなるほどに大きくなってしまったから、

可愛げがないためか、あまり高く評価していない様子。

― 新しいのは、〈地味〉なんだよ、とおっしゃる。

快適、安全性の観点からだろう、世の中の車全般が大型化しているが、

持続可能社会、とか言いながら、これって、どうなんだ?

といっても、この思想、俺たち人類が続けばいい、といった身勝手な欲求にもとづくことだし、

人間が滅びたところで、しゃあないじゃん派の僕にとっては、まぁ、どうだっていいが。

今日の日本車だと、

彼の好みに引っかかってくるのは、ホンダ車の、一部らしい。

で、先日、その子が、トミカの、トヨタ2000GT(おそらく前期版)を、

― しばらく貸しておくね、といって置いていったんだけれど、

はて、2000GTのボディラインとは、こんなんだったっけ?

自分にとって、雲の上、かつ、遠い人づての過去の、馴染みのない旧車については、そんなものです。

では。