オルレヤ の嘘。

かと言って、いつも僕が、ウソを吐いているわけでもない。

対家人は、のぞくとして、

言動にウソをちりばめていると、周りの者に要らぬ混乱を惹き起こしてしまうから、どこかで踏みとどまっている。

思うに、根っからの正直者でもある僕は、

幼い児には、

❶自分を良く見せたり、❷取り繕う、❸他者を悪く表現する、このどれか三つをしたいがために、事実と違ったことを言ったり、言うべきことを黙してやり過ごすことはしないように、と教えるだろう。

これらで、一度ウソをつくと、次から次へと虚偽を重ねることになって、自分を窮地に追い込みかねない。

知らないことをは知らない、と平然と言う、これがいちばん。

事実と違うことを言うばかりでなく、

言うべき時に沈黙するのも、またウソであることは、家人からの教え。

で、先日。

お隣の庭を何気に見下ろしていた家人が、あらま、と呟いた。

どうも、我が家の庭から、種が隣地へこぼれたらしく、身の丈1mほどのオルレヤの一群が、いまや、盛んに白い花をつけている。

これはいかん、とお思いになったのか、自分の庭のオルレヤを、早速抜きはじめていらっしゃる。

こっちから侵入したことの証拠隠滅を図り、そして、このまま黙し続ける。

これは明らかに、不正直、つまり、ウソの行ないではあるんだが、

まぁ、いいか。

繁殖力が旺盛でやっかいとはいえ、それなりに美しく、花市場で売っているくらいだから、

と、僕は、共犯を決め込んでいます。

では。

平気でうそをつく男。

借りていた本を返そうと、図書館へ出かけた。

受付で本を差し出した時、うっかりしてポストイットを貼り付けたままなのに気づく。

― こういうことは、お止め下さい。

付箋によって書物が傷むかのように、司書の女性が、それを剥ぎとった。

― これは、申し訳ない、二度としません。

ポストイットを使ってやりくりする知的作業のほうが、たかが本そのものよりはずっと貴重だろうに、と内心思いながら、心にもない事を、平気で口にする。

つまり、これからもやめる気は毛頭ない。

歳を重ねると、こういうことを流せるようになる。

ジョージ オーウェル(1903~1950年、英国作家) によれば、

― 自由になんらかの意味づけをするならば、それは、他人が聞きたくないもないことを、彼に告げる権利、といえるだろう。

とすれば、あの司書の方は、その自由を行使したのであって、僕は、

その自由を尊重するフリをした、というに過ぎないわけか。

では。

廃れてしまえ(願望)。

(季節の憶え☞アネモネ カナデンシスの 白い花が咲き始めた)

ずいぶん久しぶりに首都の電車に乗った。

あいかわらず、8割強の乗客は、ひたすらスマフォ画面を見続けている。

ひと度画面を開けると、投稿される記事、動画は溢れていて、それに付きあっていれば、時間は容易に過ぎてしまう日常だ。

このならわしをですね、保育園に通う頃から身につけてしまうのだからやっかいで、
チョッと覗き込むと、ゲームセンターで延々と遊んでいる会話だったり、飽食の限りをおもしろ可笑しく脚色したり。

大人向けだと、やたらとセンセーショナルに、自分の境遇を貶めて見せておいて、実は、動画でゼニ儲けを狙う、って手合がめだつ。

あるいは、各所から既情報をかき集めておいて、それを好奇心に訴える呼び込みで引きつける手法。

どれもが、程度の差はあれ、そこには、作画する集団の存在がうかがえるから、これは立派なビジネス。

となれば、それなりに根強い延命はしても、あと3年もすれば、見識に欠け、惰性をまわしているだけの動画は飽きられ、廃れるだろう。

残るのは、こういった新鮮な世界を魅せてくれるものだけでいい。

註:高度17,500フィートは、約53km。
ジェット機の航行高度は10㎞内外で、それを遙かに凌ぐので航空法にひっかからないのか?
昇るよりも、安全に戻ってくることに感動します。

では。

A Day In The Life (若葉の西早稲田)

一昨日。

家人の、職業上の講習会へと運転手を仰せつかったので、東京(武蔵野市) まで往復した。

会場は、三鷹駅から数分の場所。

その近くに駐車すると、さて、こっちはこれから、約4時間をどう過ごそう?

ひと駅となりの吉祥寺までいって、その辺りを散策でも、と思って、駅のホームに降り立つ。

と、ちょうどそこへ、地下鉄東西線へ直接乗り入れの電車が入ってくる。

所要時間は20分くらい、ならば、ひとつ早稲田界隈に行ってみよう、となった。

早稲田通りには、古書店が十数軒あるから、そこをひやかそう、という魂胆。

地下鉄早稲田駅から地上に出ると、〈馬場下町〉交差点を、そのまま直進し、穴八幡(神社)を左手に見ながら、早稲田通りを、高田馬場駅方面にむかってブラブラ。

開いている古本屋を、5,6軒はしごした。

近年は、リアル店舗への来店よりも、インターネット上 で古書を求める客が多いと聞くが、お店の話だと、COVID-19流行があって、客足は、ひどく落ち込んでいるらしい。

すべての店で、ご高齢の店主や夫婦が切り盛りしていて、こうなると、古本屋も今や、絶滅危惧種の感。

結局、今回は……、

〇 ピエル キュリー伝 (マリー キュリー 著、 当時の定価 480円)
〇 帝人事件 30年目の証言 (河合 良成 著、 同 590円)
〇 キンダーブック (昭和31年7月1日発行、同 45円)

……3冊を、別々の3軒で購って、計1,750円のお支払い。

我ながら、滅茶苦茶な趣味、と呆れつつも、ちょっとした散財をした気分にはなれた。

明るいうちに帰宅すると、早速、

ソファーにひっくり返えって、ウイルキンソンのジンジャエールを開ける。

で、ボブ ジェイムズ トリオが、原曲(by エルトン ジョン)以上に、そのメロディラインを、素晴らしく奏でる〈Roket Man〉を聴いていた。

こんな3拍子が揃えば、けっこう贅沢な一日。

では。

追悼 ノッポさん。

高齢化社会であるから、訃報は身のまわりに満ち満ちて、そのひとつひとつに思い入れしている暇もないくらい。

けれど、

ノッポさん (高見 映) の死は、こころにグッ、と来るものがある。

享年 88。

教育テレビの、工作番組で、無言で演技していたのを、なんとはなしに観たおぼえしかないんだが、

家人に、

氏が、爪に(透明の)マニキュアをしている、と聞かされ、なかなか配慮ある御仁と思ったことがある。

観る者の視線は、彼の手もとに集中するんだもんな。

逝去が判明したのは先日だが、実は、昨年の 9月10日に亡くなっていた。

死はすべての人間に訪れる自明のものであるから、自分の死で周囲を騒がせることはしたくない。
自分はひっそりと逝くので、半年以上の時が流れるまで死は伏せるように、が故人の意思であった。

そこで、ご遺族は、誕生日5月10日のタイミングを見計らって公表した。

最後まで、配慮をつらぬいた人生……。

では。