勝ち目のうすい戦いは続く。

註) 既に散った、だいこんの花、白☞紫のグラデーションが美しい。

……山雅について。

八戸戦レビュウから導けることは、

現状レベルのゲーム運びと、ボール運びを続けている限り

(以前からの僕の読みでもあるけれど)

勝ち負けが交互に現れて、最終盤、勝ち数が、負けのそれよりか数個多くなる。

で、3部リーグは、序列格差があまりなく実力フラットなので、勝ち点基準は下がる傾向にあって、

結果、相対、順位がプレイオフ圏内に……というのが、希望的な観測。

それ以上に戦績が上向けば、もちろん、素晴らしい。

ここで。注文をつけるなら。

実直な正攻法に磨きをかけることを、より深めるべきだけれど、

もっと、トリッキーな、別の言い方だと、豪胆な巧妙さ、を追求するべき。

たとえば。

(コーナーキック数はリーグトップなんだから) デザインした セットプレイを立て続けに見舞う。

あるいは。

長野戦のゲーム冒頭でみせたような、基底から組み立てる、と見せかけて、センターバックが猛烈ダッシュ、同時に、大内がロングボールを蹴り上げる、そんな工夫。

それには、肉体的に走れるは当たり前で、フルタイム、頭が相手の予想より素早く回転しつづける〈体力〉が要るだろう、と昨日、書いた。

他にも課題はあるだろうが、山雅の奮戦には、まだまだ可能性があろう。

実は。

それよりも、ずっと苛酷な戦いを強いられているのが、この萬年。

数週間前から、家庭菜園の中を、モグラめが一匹、縦横無尽に走り回り、ミミズバレに土を盛り上げて、トンネルを掘りまくっている。

対し、トラップを仕掛けるなどして、とにかく、庭にだけは入らないようにと苦戦中。

つまりは、いまだに捕獲、あるいは、奴めの逃走には至っていない。

で、昨日やってきた息子が、

モグラとの交信によって追い払うのがいい、という。

訊けば、彼、小学生時代にやった実績があるらしい。

モグラは、縄張り意識が強く、単独で生活している。

その習性を利用して、

地面を叩くことで〈Go Away from Here!!〉のメッセージを送ると、

地中のトンネル上部を鼻先で叩いて、返信してくるのだそうだ。

それを執拗に繰り返して、ついには、根負けしてこの地から去ってもらう、というストーリー。

しかし、まぁ、コップを地面にあてて、さかんに地表を叩き続けるジジイの姿は、これまた、異様であるまいか?

……とは思えども、梅雨の今、なりふり構わず、あらゆる手段を使ってでも、

この希望なき戦いは続くのです。

では。

画業には,腕力も必要。

レンブラント ファン レイン (1606~1669年,蘭の画家) の作品をみると、

かなり大きな画面を、破綻なく構成できている。

たとえば、『夜警』(1642年作)と呼ばれるものは、縦3.6m × 横4.4mのサイズ。

あれだけの画一枚を仕上げるには、相当の体力と肉体労働を要したはずだ。

ただし。

当時、レンブラントは多くの弟子を抱え、工房システムで制作していたから、

画面の細部まですべてを本人が描き切ったのか、どうか?

 

世評が確立された大画家。

人の肖像は巧いから、その方面では繁盛したんだと思う。

が、描かれた人物たちに、あまり素直な共感を抱けない。

何故だろう?

聖書の劇的なシーンを題材にした作品も多いが、それほど心を掴まれるってことはない。

ただし、これは、レンブラントの腕前がどうのこうのではなく、

僕自身の、バイブルの登場人物たちへの、感情移入の貧困なのかも知れません。

でも。

唯一、例外として気に入っている作があって、

タイトルは、『屠殺された牛』(1655年作、サイズ96㎝ × 69㎝、板に油彩)。

こういう題材を選ぶところには、きっと、注文による制約もなかっただろうから、

画家が、心底、描きたかった画のはずで、

つまり。

俺は、単に絵筆を巧く操れる職人ではないぞ、

この物体が置かれた空間こそ、確かな世界、いままでの〈美〉の概念を変えるやる

……みたいな気概、を感じますね。

400年前に描かれた、この一枚には。

では

訃報ばかりで,嫌になる。

俳優のドナルド サザーランド(1935~2024年) が、

今月20日(現地時間?) に死去したことを、22日(日本時間) になって知った。

享年 88。

ニュースを定期的に追っかける習慣の失せた僕にしては、めづらしく早く接する訃報。

2000年前の昔から、

人の誕生は、衆人の目につかずに密やか。

けれど、かと言って、

こう逝去ばかりが目につくと、心が滅入って、どうもいけない。

さて。

サザーランド出演作品を、好んで観るようなファンでもない僕にとっては、

『鷲が舞い降りた』(1977年米映画) の、

ドイツ軍のスパイとして雇われた、IRA活動家、の演技が記憶に残る。

彼の場合、登場人物に成り切る、というよりも、

自分の個性のほうへと、役柄自体を強烈に引き寄せて演ずる、といった風味があって、

それが、なによりの魅力。

だから、ご本人の年齢の積み重ねが、そのまま役に滲み出る……。

ご冥福を願って、せいぜい〈生成りな〉人生を過したいと思う。

では。

キジバトは,巣立った?

庭の金木犀(キンモクセイ)の、

僕の手を伸ばすと届く高さに、キジバトが、小枝を集めて巣を作った。

かれこれひと月も経った先週の15日に、

それまでずっと、巣を守っていたキジバトの姿が消えた。

卵を抱いていたはずだが、無事にヒナが巣立ちしたんだろうか?

僕の素人計算では、一週間くらいは早いように思われたので、

営巣を始めた時季をハッキリさせようと、

記憶をたどるため、その頃に訪問した親族に、日付けを確かめたりしたんだけれど。

記憶よりも記録だったか……、と後悔、先に立たず。

空っぽの巣を見あげては、新しい生命が旅立ちしたことを願っている。

では。

吟味を迫る時代に。

家人から、しばしば苦言されることがありまして。

僕が、なんでも(彼女の発言に対する) 批判から入る、という。

いったん、そうだよね、と受けとめておいて、

次に、おもむろに(しかも穏やかに)、でもね、こんな考え方、観方もあるよ、とやれば、きっとご機嫌を損ねることはないだろうが、

レストランの評価でもあるまいし、

あれもこれも、という生きかたに僕は疑問を持っているので、

今後も同じことをやって、家人のご不興を買うに違いない。

最近。

読みだしたばかりの、デカルト(1596~1650年) の『方法序説』の冒頭には、こうある。

良識(=理性)は、ひとに公平に分かち与えられたものであって、
だれでも十分にそれを備えていると思っているので、自分がいま持っている以上を望まない……

この説の真意がどこにあるのか?

それは、これから読み進めていかないと知れないことだろうが、

こういう書き出しは、かなり魅力的でいい。

というのは、

書かれてから 400年経っても、読む者を、有無を言わせず

〈理性〉といわれているものを吟味させるかのように、誘うからなんです。

もちろん、これは、今現在の、僕の問題意識に、ぴったり来た!、というに過ぎませんけれど。

では。