遅かりし 盛岡冷麺。

僕の場合。

(それを職業にしてもいないので) 食べ物や食事が、人生の関心事ベストスリーに入ってくるようだと、お終いだろうな。

できれば、ジョン スチュアート ミル(1806~1873年、英国の哲学者) の言葉、

― 満足な豚であるよりは、不満足な人間である方が良い。
同様に、満足な愚者であるよりは、不満足なソクラテスである方が良い。

……、を心のどこかで範として生きたいゆえに、食欲の満足を専一に求めることに、なにかしらの罪悪感がぬぐえない。

と言っても、たまには、食品に感銘を受けることも、あっていい。

昨日。

高温多湿の天候が続いたためか、

昼ご飯にほとんど意欲が湧かないままに帰宅すると、

家人が、〈盛岡冷麵〉を作って、待っていてくれた。

取り寄せ注文をしてあったものが、先日届いたので、とのこと。

地元の有名店(繁盛店?)が、テイクアウト用に調製したものを、そのまま調理したという。

食物に関しては、あまり関心がなく、ゆえに、きわめて知識不足の僕なので、

冷麺と呼ばれるメンの食感、キムチを使っていること、スープがさっぱりしていることなど、初めて知りました。

減退した夏の食欲には、夏野菜をふんだんに使うなどすれば、贅沢な一品でありましょう。

包装には、イーハトーヴ云々、と宣伝文句が記してあるが、

このメニューは、その死後30年後に考案されたから、生前の賢治は食べられなかったわけか。

ただ、惜しむらくは、これが3週間くらい前であれば、

グルージャ盛岡を〈喰って〉準備万端で、ゲームに臨めたのに……。

では。

善良な同乗者について。

横に座っている者が、くるまの運転に与える影響は、けっこう大きい。

高速道路を走っていて、ふと時速90㎞にスピードダウンすると、

― こんな(遅い)んじゃあ、高速使ってる意味、ないじゃぁないの、

とお叱りを受ける。

あるいは、歩行者用信号が点滅を始めたので、アクセルを緩めたら、

― このまま、なんで行かないの !

はたまた、
― ほら、あそこに! 、と脇見を強要されたりで、たまったもんじゃあない。

 

数日前、友人(差し障りあるため、名は秘す) の奥さんが、自動車事故を起こした。

信号のある交差点に進入した際、左方から来た直進車と出合い頭に衝突したのだ。

友人は、この時、助手席に搭乗していたが、交差点にさし当った処で、

― あぁ、この交差点のたもとは、今は、花壇になってるんだ、と信号も注視しないで、漫然としていた。

で、次の瞬間、自分の側からアウディが突っ込んできて、ビックリ、唖然。

信号が青に変わったから自分は発信したのだ、と奧さんは主張したようだが、

自車のドライヴレコーダの画像で確認すると、当時、信号は赤、だった(らしい)。

どこの交差点だったのか?、教えてもらって、ピンときた。

そこは、僕の通勤経路で、交差点の数十メートル先には、信号が 2つ、川をはさんで、こっちの堤防と向かう岸に、それぞれ設置されていて、

事故が起きた交差点の信号よりも、2~3秒(おそらく)早く、2つ同時に青になるようプログラムされている。

推定だが、奥さんは、手前の信号を見落としてしまい、向かうの信号ふたつが青に切り替わったのをみて、つい発進してしまったのではないか。

友人には、

― ともかく、 君が (自分で)運転する気持ちで信号を見ていたら、事故は食い止められたかもね、と言ったんだけれど、

彼もまったく同意見。

あれこれと運転に口出する者。

他方、さしたる注意を払わず座って風景を観ている者。

どちらが同乗してくれれば、ドライヴァーは救われるんだろう?

では。

今さら,今でさえも。

アルベール カミュ(1913~1960年) の小説『ペスト』(1947年刊) 。

ペストとは、自分たちの所業とは、まったくおかまいなしに襲ってくる厄災の象徴。

それに立ち向かうための人間の連帯が、多様な人物が絡んで描かれている……。

登場人物のひとりに、小説家志望の公務員がいて、

彼は、帰宅すると毎晩、小説を書き進めているらしく、ひとつの文章をいくども推敲していることを友人に熱心に語る場面が挟み込まれる。

独白に近いような会話が、人物の名前も、具体的なセリフも忘れてしまったのに、読後何十年も経って、ふと頭の中に蘇ってきた。

文学作品の不思議、あるいは、現実のなにかに触発されて起動する記憶の不思議さ。

そんな折、1970年代の楽曲をカヴァーしている動画を見つけ、ずいぶん懐かしくもあり、その上質さに驚いている。

もともとポール マッカートニーのアルバム『RAM』(1971年)、あれは、かなりの名盤だろう、と思っているので、それをこんな素敵なカヴァーで聴けるなんて、嬉しい限り。

それにしても、『ペスト』の発表から、『RAM』までに流れた歳月が、たったの20年とすこし……なのか。

今さらながら、でも、今でさえ、価値あるものは、僕の周りにけっこう多い。

では。

モグラ戦記 2023。


(タチアオイ 6/24開花)

『ガリア戦記』は、

ユリアス カエサル(B.C.100~B.C.44)その人が、
ガリア戦争(B.C58から7年間) について記述した書物。

指揮官として、(現在のフランス) 遠征における戦況を、元老院に報告する体裁と目的だったらしい。

ところで、6月の、10日間ほど。

萬年は、我が庭へのモグラの侵攻(遠征?) に苦しみ、楽しまない日々でありました。

そう、哺乳綱、真無盲腸目(しんむもうちょうもく)、モグラ科の、あのモグラのこと。

相手はおおよそ地中に住んでいるから、実物を見たことはいままでの人生に、一、二度くらい。

今回だって、姿を現さない相手との、2週間弱のバトルであった。

夜昼かまわずに、庭のあちこちを、縦横無尽にトンネル(モグラ塚)を掘りまくり、途中、地上をうかがったのだろう、ところどころに穴を残す。

坑道にそって、植栽の根元が浮き上がってしまったり、庭土がボコボコと見苦しい。

さて、どうしよう?、となって、

モグラは駆除(=殺害)してはいけない生物であることをはじめて知る始末。(駆除には、行政の許可がいるらしい)

ゆえに、日本では公けには、モグラを殺生する商品は売っていないのです。

― なに、自分の庭の中でやることなんだからさ、黙っていればいいのよ、

と家人に励まされ、無い知恵を絞り、殺害までを視野に入れ、拙宅から退散してもらうべく、いろいろとやった、その試行記録は、ざっと、

●地中への振動策 ☞ ホームセンターにて、単一電池4つで、間欠的にブルルンと振動する筒状のものを購い、2箇所に埋め込む。(案外高価なので、2つのみ)

●火攻め ☞ 車載用の発煙筒を買ってきて、これに着火、トンネル出口の穴から突っ込んでみる(2回× 5分間燃焼)

●水攻め ☞ トンネル出口の穴へ、水撒きホースから、大量の水を放射する (出口が水で満たされるまでひたすら注入)

●音攻め ☞ ペットボトルを利用した風車を8本、トンネルの上から突き通すように設置、風が吹くとカサカサと回る、ファーマーズガーデンで、ひとつ 100350円也。

●同じく音攻め ☞ 盛んに威嚇し合う猫の鳴き声、または、ネズミが嫌う周波数の音を、YouTubeから録音し、それを、機会あらば、坑道に向け再生した。

●ヤス攻め ☞ モリとも。フィッシング用の魚突き(四又)を、盛り上がったトンネルの真上から、端から端までを間隔狭く、突き刺して歩いた。
(ただし、手応えや、切っ先への血液の付着は、認めず)

……、以上を、我ながら熱心、かつ、残酷に繰り返したのですが、人件費、交通費は別として、投下費用は、おおよそ、13,000 16,000円前後。

で、なにが奏功したのかは、モグラに訊けないために不明なるも、

昨日まで5日連続で、新旧トンネルの掘り返しの痕跡が、まったく認められなくなって経過中。

まさか、モグラ殿、庭のどこかで天寿をまっとうしたとも思われませんけれど、

この防衛と反攻戦から、私が得た教訓とは、

対モグラ戦においては、彼のメンタルヘルスを損なうこと、その一点に集中特化すべき、これであります。

今後、庭の修復は、コマめにやっていくとして、8本のカラフルな風車は、しばらくの間、そのまま立てておくつもり、悪趣味ですが。

以上、ささやかな戦記ひとつでした。

では。

ベリーで,もめる。


ミヤマウスユキ草 (エーデルワイス) の花。

ブログを読んだ家人から、クレームがついたんである。

曰く、熟したジューンベリーの実は、酸いこともなく、甘い、とのご指摘。

で、さっそく庭に出て、紫いろに熟れたやつを選んで、ほうばってみたら、

たしかに!、甘い甘い。

どうやら、がさつな僕であるから、急いて、いまだ熟さないような実を食べたんでしょうね、きっと、と、この一件を落着させた。

過ちを改めるに、ためらってはなりません。

したがって、読者諸氏よ、食べごろのジューンベリーの実は甘い、

と、ここにお詫びして訂正いたします。

さて。

息子宅の敷地には、他人の背丈以上のジューンベリーが、ひとつ植わっていて、

数日前、その実から作った、自家製ジューンベリーのジャムをいただいているのです。

ブレッドに塗り挿むなどして、これから、ゆっくりと楽しもう。

では。