贅沢をすこし 秋に。

(画像版権所属先: オフィスウエストウッド)

アウェイ沼津のスタジアムで、〈のっぽパン〉を売っていた。

おそらく、静岡県人なら、その姿と味は誰もが知っているパン。

なぜか手は出なかったんだが、単身赴任で富士市に住んでいたから、懐かしさを憶えた。

さて、身近の。

小〇パンの〈牛乳パン〉は、

いまや、予約しておかないと購えないといった、オカシナことになった。

たかがパンなのに!!……、と義憤さえ覚える僕であった。

が、さいわいに家人が、

市中某所で、それにまったくひけをとらない、そう、むせるくらいに濃いホイップクリームを挟んだ品物を発見。

もちろん、牛乳パン、と銘打ってある。

で、いまは、それを週一くらいで楽しんでいる。

くわえて、今週は、スチューベン(葡萄)二房を、久方ぶりに食せたから、

もう、これで、この秋に思い残すことはなくなった。

満ち足りた愚者であるよりは、満たされないソクラテスであれ、という格言を信奉している僕ゆえに、

特に、食物については、わづかの関心で生きていきたい、と思う。

では。

おとなの狭量。

小学一年生が、片仮名を憶えだした。

テスト用紙をみせてもらうと、

答えに書いた セ―タア、のアの字を、教師がばってんで消して、〈ー〉と朱く訂正してある。(長音表記の練習)

長じて世にあれば、セエタアと表記しようが、一向に構やしないのだけれど、

― 先生が、こうやって直してあるのだから、〈ー〉と憶えておこうか、

と教えたが、こういった正確さは、今の彼にはむしろ有害であって、

あくまで、学校内教育の、画一性に同調しなければならない。

ゆえに。

― こういうふうにのばす、アア、イイ、ウウ、エエ、オオは、みんな

〈ー〉と、一本棒で、書くんだよ、としておいた。

拗音(ヤ、ユ、ヨ、ワ)を小さく書くのも、同じように教えた。

なんと狭量で、不自由な世界。

年齢や住むところで、ひとくくりに集めて教えを授けるやり方は、すべてにおいて、

幼い魂に、画一な行動と従順を、容赦なく押しつける。

そして、その手際の良さに、安堵する。

押しつける側が、かならずしもフェアでありえない生身の人間なんだから、なおさらに辛い。

では。

ジョー氏、旅立つ。

一昨々日、ジョー氏はひとり、旅立った。

かなり長い休暇を取って、生まれ故郷の、北九州(小倉)へと。

少々気ままな、自動車での行き帰り、と聞いた。

ご亡母の墓参、という名目らしいけれど、

きっと。

小倉の街角を経巡っては、いまはもう廃れ、消失してしまった光景を懐かしんでいるのではなかろうか。

資さんうどんからは消えたメニュー。

もとは、だだっぴろい駐車場であった場所に立つ、ミクスタの容姿、

仕舞ったお好み屋の跡地、そんなものばかりを……。

空ではつながっているのに、長く思いを馳せながらも、なかなか辿りつけない場所は、誰にでもあるものだ。

では。

うかつでした !! (長野戦プレビュウ❶)

なんということか !!

(おそらくは) 地上波局からの時間枠上の要求でしょうが、

ホーム長野戦は、13:00キックオフ、なのだった。

(端から14:00と踏んで) それに気づくのが遅れた僕は、

当日の勤務を短く切り上げたとしても、後半戦あたまからの、アルウィンご参戦なのだ。

願わくば、冒頭から飛ばすであろう山雅が先制している状況で、ゲートをくぐりたいが、果たして?

最初から全開、ってのは、山雅ウオッチャーの確信でして。

前後半開始15分は飛ばす、ってのが、我らがほとんど定石。

〈守功一体型〉は、まづは相手守備の追い込みから入るから、自然とそうなる。

で、ここでチャンスを逃がして無得点だったり、

または、相手にあわせて、ガサツで緩慢なサッカーになると、痛い目に遭うのがならわし (例 : この前の盛岡戦)

つまり、相手の出方にはお構いなしに、とにかく自分流のサッカーで押しまくれ、に尽きます。

ただし。

押しまくる、といってもですよ、

無理な体勢での競合、反射的なボール蹴り出し、不正確なワンタッチパスをやると、それがそのまま、相手へのプレゼントボールになってしまいがち。

たとえ、3部でも、それが命取りにつながるから、要注意。

アウェイの時も指摘しましたが、そうしないためには、ムダに熱くならないことです。

(もちろん、煽るのが仕事のお方もいるのは理解するけれど)

ァン&サポーターや周囲の、泡立つ心情はどうでもよい。

コレオも企画しえないような低い参集力のスタジアムなどに、プレイする者は、忖度など要らぬ。

やたらと突っかけて来る(であろう)相手の場合は、尚更のことで、
(長野は、リーグでもトップクラスで、ファールが多いので)

とにかく怪我だけは、負っちゃあいけません。

積み上げてきたものをひたすら信じ、冷静、沈着、計算づくでやらないと、ゲームをモノにできませんよ。

勝つ決意、なんていう言葉を、敢えて口にする必要もなし。

サッカーは、そもそも全手段(=強みのすべて)を動員し、どこが相手であろうが、勝つためにやるのですから。

では、後半からアルウィンで。

岳都よ。

ある筋から……、

上高地は、老舗山小屋の、嘉門次小屋。

ここで、いままで所有していた、嘉門次が愛用した猟銃一丁、ウエストンから贈られたピッケル等を、

新装なった松本市博物館に、その寄贈を申し出た。

が、しかし、お断りされたので、

大町市山岳博物館に贈った……との話を聞いた。

僕らは、昨年小屋に立ち寄った折に、手に取らせていただいた。

ただ、それだけのこと。

でも、ただそれだけのこととして、書き留めておきたい。

あぁ、そして、しみじみと。

Autumn In New York を聴こう。

あぁ、チェット ベイカー。

では。