
ついに!!、
家人が、この春、庭に、ルピナスを導入したのである。
ことあるごとに、あの花房が、
爬虫類の皮膚のよう(蛇腹) だと、忌み嫌っていたのだったが、
どんな心境変化なのか。
思うに、イングリッシュガーデン風にするには不可欠な花、と思い直したんだろうか?
ところで、ルピナスは、仏蘭西語だと、Lupin。(発音は ☞ ルパン)
引退した怪盗アルセーヌ ルパン(初代)は、彼の庭園に、ルピナスを植えていた、と物語にある。
では。

ついに!!、
家人が、この春、庭に、ルピナスを導入したのである。
ことあるごとに、あの花房が、
爬虫類の皮膚のよう(蛇腹) だと、忌み嫌っていたのだったが、
どんな心境変化なのか。
思うに、イングリッシュガーデン風にするには不可欠な花、と思い直したんだろうか?
ところで、ルピナスは、仏蘭西語だと、Lupin。(発音は ☞ ルパン)
引退した怪盗アルセーヌ ルパン(初代)は、彼の庭園に、ルピナスを植えていた、と物語にある。
では。
1890年の2月。
サン レミに在った精神病療養所で生活を送っていた、フィンセント ファン ゴッホ (1853~1890年)に、弟から一通の手紙が届く。
生れた長男には兄と同じ名をつける、という文面。
ゴッホはすぐに、新しい画の制作に取りかかる。

画家自身が、快作と認めたこの画は、弟家族に贈られ、
現在は、ゴッホ美術館(@オランダ)が所蔵する。(サイズ73.3㎝×92.4㎝)
蒼空を背景に、アーモンドの樹と、その枝に咲く薄紅色の花。
ヘブライの伝統では、アーモンドは、春一番に咲くことから、〈先駆け〉の表象を与えられている。
療養所から眺める風景の中に、たまたま花を咲かせたアーモンドの樹が在って、ゴッホが、それを題材に選んだに過ぎない、とは思うが、
通俗な評論はきっと、甥っ子の誕生と命名に、
希望と喜びを感じたゴッホが、春の誕生のシンボルであるアーモンドを選んだ……とでも、こじつけるだろう。
実は。

拙宅の庭にも、アーモンドが植わっていて、この7日に開花。
花より団子好みの僕のことゆえ、種子、すなわち、アーモンドの実がなったら食してみるじゃん?、と家人に提案した。
すると、
― 日本で売られている苗は皆、ビター(苦い)種で、その実は有毒、と聞いたよ、とのご返事。
猛毒らしいから、さすがの僕も、ただただ、樹と花を眺めるだけの日々を送っているのです。
こんな曲でも聴いて……。
ユタ ヒップ(1925~2003年)は、ドイツ出身の女性ピアニスト。
なかなかの味わいですよ。
曲は〈Dear Old Stockholm〉(1956年のライブ収録)
では。

邦画ではあまり記憶がないのだが、
欧米の作品だと、
乗ってるクルマで、登場人物の階級、知性、職業、ケチ、放蕩なんかを、巧く表現しているのに出会う。
例外は、刑事物。(社有車ですから)
でも、そのまた例外が、コロンボの、プジョー403 だったりする。
たしか、カミさんは、新しいワゴンかなにかが、愛車だったような。
さて。
上の写真は、ビル フリゼールのアルバムジャケットを、そのまま転載。
(わかったら、著作権で告訴されるかも)
ガス ステーションには、僕のご幼少の、ここでは書けない悲しい思い出があって、
反面、それゆえに、懐かしい情景。今でも、時々思い出す。
給油所が、ロマンティックに、そして、リアルに出てくるのは、
ミュージカル映画『シェルブールの雨傘』(1964年、仏西独合作) の結末。
雪の舞うラストの色彩美は、始めて観た当時、さすが、仏蘭西、って思った。
そのフランスもよくわからずしての頃だから、若気の至りです。
あの結末。
かつての熱き恋人が、その後、それぞれ家庭を持って数年が経ち、給油所で再開する設定。
現実は、男女どっちに苦く、悔恨はいづれにありや?
― つまらん深刻ぶった論評が、湧きそうですが、
そんな答えを、映画は出そうとしていないし、観る者にも求めていないように、僕は思うんですがね。
で、現実の僕は、と言へば、
直進するつもりで、信号が黄色に変わった交差点で、
― どうして?、いまのは行けたでしょ。
と、助手席の小学一年生に詰問されては、
― いやいや、右折しようと前に止まってた車の横に、あまり間隔もなくて、
しかも、向こうからは、強引に右折しようとする対向車が来てたじゃん、
と、エクスキューズに、忙しい。
では。

路上で、善意による不法、といった行為を、けっこう目にする。
たとえば、自分のレーンが渋滞していないのに、(交差点、駐車場などに)右折しようとする車を先に行かさせようとして、停車する。
道路交通法上、ルール無視。
(前車の停止を) 予想もしていない後続車にとっても、きわめて危険。
けれど、ご本人は、自分が善意の人と思ってやっているから、始末に負えない。
職場のアベちゃんと話したら、彼の御父上も、よくやっているらしい。
たとえ、渋滞した対向車線のすきまに入れてくれる親切心であっても、
右折するほうは、車列の陰からやってくる自転車や歩行者には、細心の注意を払わないと、
〈サンキュウ事故〉の加害者になりかねない。
(この場合、道を譲った方に、事故の過失は問えない)
現在存命で、ステアリングホイールを握れる人々は、おおかたが教習所に通ってライセンスを取ったと思うが、基本的なルールを見逃して免許をもらったのか?
それとも、長年のカーライフの中で失念したまま、今日にいたったか?
他方、その真逆の不法行為。
最近は、青☞、のある信号交差点が増えているから、だいぶ良くなかったが、
直進車をヒヤリとさせて、右折する者。
右直同士の優先性を知ったうえで、命がけでダッシュ右折なら、まだ可愛いげもあるけれど、
ヘーキで当たり前のように、直線を横切っていくドライバー。
これはいけません。
しかも、きっと、いれてよ!!、と強調したいんだろう、
パッシングをしたりする。
(☞ありがとう、の意味でパッシングを使用する者がいるが、パッシングは、たとえば米国では、相手を威嚇する時にやるので、
海外ではご法度。
下手したら、相手が、ショットガンを持って運転席から降りてくる)
先日もこういうのに遭遇したが、
こういう場合、
いままでは助かったね、でも、次は保証できないかも、と思って心配になる。
では。

ステアリング操作に、そこそこ機敏に反応してくれて、
走る、曲がる動作に、フラストレーションを感じず、
路面をしっかりとつかんでいる感覚が、腰や手に伝わってくる。
……それ以上は、〈車〉には望んでいない。
自動車の基本性能が向上している昨今、
だから、僕は、きわめて謙虚な車乗りだろう。
最近、車を変えた家人が、
― あたしの場合、車とのつき合いは、ス〇ルにはじまって、ス〇ルに終わる
…… と感慨深そう。
里山に近い坂のあたりに住んでいれば、一年中、アウトドアライフをやってるようなものだから、4駆、という保険はかけたくなります。
試しに、家人の新しい車を運転してみたら、
信号が青になると、〈前車発進〉とインジケーター内に表示される。
いいんだよ、こっちは一呼吸おいて出るんだから。
連続したカーブを、中央線ギリギリをトレースして抜けようとしたら、〈はみだし注意〉の警告音が鳴りだす。
他者の迷惑にならないような、自由な走行意思に楯突くような手厚さが、果たして、装備として必要なのだろうか?、と思うが、
これがウリになるような世情なんでしょうかね?
では。