大きいことは,いいことか?

こういった、詐欺めいた質問は、

もちろん、耳目を集めるために提出しているわけですが、

思うに、この問いへの正当な解答は、ひとつしかない。

すべて場合場合による……、がそれ。

舌切り雀の婆さんが、もし善良な者であったならば、

たとえ、お土産に大きなほうのつづらを所望したとしても、

中身は、金銀の宝物であったはず。

神ならば、それを人々と分かち合うであろう、と予見することはたやすい。

近年であれば。

大きくなって、下品になったものは、

自動車メーカー多くの、フロントグリルに置かれる社名エンブレム、

あるいは、ラ〇フローレンの、胸のワンポイントに違いない。

ベ〇ツなど、グリルばかりか、その上のエンジンフードにもエンブレムを配してあって、もはや救いようもない。

さて。

メジャーリーグベースボール(MLB)にあって、2024季、

シカゴ ホワイトソックスは、

年間162ゲームをやって、41勝、121敗。

勝率0.253の戦績を残した、いや、残してしまった!!

最低勝率は、(2リーグ制になってからだと) 1916年のアスレティックスの、

0.235 (2割3分5厘)なので、からくも、そこは回避したものの、

不名誉で、惨憺たるシーズンだった。
(121敗は、20世紀以降の、最多敗戦記録)

これほど極端な記録を打ち立ててしまう裏には、経営的な戦略が働いているに違いなく、

おそらくは、ドラフト指名の優先順位を活用しつつ、まったく刷新されたチーム編成へ移行したいのではないか。

降格や消滅があり得ない老舗なので、きっと息を吹き返すことは間違いない。

で。

あえて屈辱の道を選び、率先して変化しようとするホワイトソックスの姿勢に胸を打たれた僕は、

今しかないタイミングで(記念に)、公式ベースボールキャップを購うことに決めた。

もちろん。

品格と奥ゆかしさを重んずる僕であるから、

S,O,Xを組み合わせた球団エンブレムを、ごく小さくあしらった、それも、クラシカルなシルエットを選んだのでありました。

では。

いまさらポストモダンでもない,が。

それがなんでもかまわないが、ひとつの思想に世の全体が貫かれるような時代、

または。

ひとつの理論で世界を解釈できる時代は、

1990年近辺で終ってしまった、というのが僕の感想。

日本にあって、決定的だったのはおそらく、

中学生がやるような政権樹立ごっこを、やがては、社会を揺り動かしかねない毒ガステロ(1995年)にまで持っていけることが、リアルになってしまったこと。

それは同時に、マルクス主義の終わりも意味していて、

いまやその思想的展開など、地球上のどこにもなく、~主義と自己主張する国家が在るだけ。

日本共産党にしても、看板だけが〈共産〉であるに過ぎない。

そんなのは、綱領をさらりと読んだだけでわかる。

〈反戦〉〈平和〉、こんなのも形骸化して、もうじき死語だ。

……と威勢よくはじめてしまったけれど、

僕たちの日常生活だと、

ほとんどは、メディアとSNSから、

こっちの本当らしいものをチョコチョコ、

次に、あっちの快適らしいものをチョコチョコ拾い集めてきては、

それを周囲に配しては過ごしている。

小学3年生の口癖を借りると、〈都市伝説〉の収集とでもいおうか。

ただ。

他人を屈服させるような支配的な思想的見地を、誰れも持ち得ない世の中、というのは、僕には歓迎すべきこと。

乱暴にいえば、

ポストモダン(超近代)は、いつの間にか終わってしまい、早30年なのだ。

音楽にしたって、

当時は、過去への抵抗と反発だったはずのクラシカルな70年、80年代の曲を、

今、どう料理して(変奏して) 演ってみたところで、

〈今日の音楽〉そのものであって、僕の世代感からだと、

一種、幻聴みたいに耳にやって来る。

もちろん、それを楽しんではいますがね。

では。

時には,真面目に。

家人は、僕のことを、他人を怒らせる存在、と思っている。

揶揄したり、ひとの話にチャチャを入れたりするから。

― そんなことをやっていると、いつか、カッとなった相手に刺されるわよ、と注意される。

ま、不真面目な奴、と評価されるほうが、

偽善者と言われるよりも 100倍は胸を張れるから、僕はそれでいいのだが、

心配なのが、今、小学3年生の孫が、(僕のように)人を怒らせる言動に長けていること。

僕が人生の長い時間をかけて身につけた特質を、

9歳にして、早くも〈強み〉として使っているのだから、この先、彼の人生における懸念材料ではあるまいか?

では。

名利……。

日頃、喫茶店めぐりをしているらしい(頻度は知らない) 同僚があって、

そこのマスターが……とか、そこで遭った常連の客が実は……、とかいろいろと教えてくれる。

そこで。

― でも、さあ。

あなたの話は、誰々は、どんな地位が在ったり、有名人に繋がっている、または、どれだけの資産を成した、そんなことだよね。

まぁ、そういう〈健全な〉上昇志向を否定はしないけど。

……健全、という言葉には、もちろん、多少の皮肉を込めているのですが、

要は。

名利(名声や名誉、利得)を求め、良しとする人生は、どうもなぁ?、と思っていて、

さりとて。

そういうところに走る向きが大半な世の中だからこそ、

そうでない生き方に感動をおぼえたり、いたく心情を揺さぶられるのかも知れない。

これは僕の偏見だが、

積極的に喫茶店に出向いてたむろするなんてのは、

(他に下心がない限りは)ロクな時間の使い方でない、と蔑んでいるからに過ぎない。

註;喫茶yamaga の場合は、すこし事情が違う。

『幕末太陽傳』は、1957年(昭和32年) 公開の映画。

この作品が、その年のキネマ旬報ベストテンでは、第4位(ベストスリー圏外)なんだから、

当時の邦画界には、当代トップクラスのクリエイターが集まっていて、かつ世間の鑑賞を獲ていた、ということか。

ちなみに、同年、外国映画部門の第1位は、フェリーニの『道』だった。

さて。

太陽傳のいちシーン。

遊女(左 幸子、南田 洋子)の乱闘を、

室内から、中庭へ降りて、そして次には、二階屋から見下ろして……と

一気に執拗に追いかけるカメラワーク。

これだけでも、演出の見事さと、応ずる役者の演技にやられてしまうけれど、

その後に。

男ふたり、湯船に浸かる静寂のシーンをそっと挿むところが、実にいいね。

では。

キンモクセイの効用。

今、キンモクセイの花が盛んだ。

玄関から中庭に回っていくと、甘い香りが心地よく漂う。

― あぁ、実に、いいねぇ。

夫婦の意見が、こんなにも一致することはあまりないから、救われた気分になる。

キンモクセイの花は、夫婦和合の秘訣なり   by 萬年

さて。

今回の曲は、

『ペーパーチェイス』(1973年、米映画)から、そのサウンドトラックを。

音楽を、ジョン ウイリアムズが担当していたとは、いままで知りませんでした。(迂闊)

映画は、将来の立身出世をめざして、ハーバードのロースクール(大学院大学)で学ぶ学生たちのお話。
その俗物性が、わりあい巧く描かれていて面白い。

ただ、主人公が、教授の娘と恋仲になる次第は、かなり不自然(強引)で、気になりますが。

では。