まどろみと,ちあき なおみと。

土曜日の午後(夕方)。

自室のソファーでまどろんでいたら、

― 父さん、ちおあ きなおみが TVに出てますよ、と知らせてくれる。

― 観たら、きっと泣いちゃうから、止めとくよ。

気を効かせて呼んでくれたんだが、

なに、ほんとは、もうすこし、ウトウトしたかっただけ……。

その後で、居間を通る際に、画面をみたら、

どうも、かつての年末定番歌番組を流しているらしかった。

それも半世紀ぐらい前のやつか。ドリフターズがコントをやっている。

当日、娘や息子の家族が来ていて、総勢10人近くが集うなか、

当時生きていたのは、たったのふたり。

そう遠くない将来、次の世に向かうであろう者への、

これは年末プレゼントなのだと思うと、そのご厚情に泣けてきた。

 

極上のまどろみ、と日本語に訳すのがよいのか、

〈Golden Slumbers〉は、ビートルズが、1969年に発表したアルバムの、最後のほうに置かれた小曲。

だから、この曲も、もう半世紀前に作られた。

タイトルは、マザーグースの童謡の一節から採られているから、

彼らなりの昔語りをしている風な趣きなのかも知れない。

今回は、ブラド メルド―のソロピアノで。

では。

昭和100年,と言うのなら❷(案外マジメ)

1945年8月15日を境に

平和を志向する国と民に生まれ変わった、という幻想に基づいて、

太平洋戦争の惨禍、が被害者の態度で語られている。

現在90歳の御方でも、大戦終結当時は、たったの10歳くらいだったから、

拙い子どもの記憶と印象しか持ち得ていないはず。(彼らは、戦争にも加担していない、加担などできなかった)

であるにもかかわらず、

おそらくは、その後の 80年を通して身につけたもろもろの思想をまじえて戦争悲惨論を語る。

家族や友人が突然に肉の塊になったり、遠方の島に消えたり、たしかに、それはむごいこと。

だが、もしも、〈平和〉を口にするなら、

ひとっ跳びに、殺害と悲惨な風景を持ち出してきて、

だから、平和でないと、と締めくくるのはいかがなものか?

ではなくて。

僕らが見すえるべきは、イジメ、虐待(時に殺害)、差別がすぐそこにある、

平和と呼ばれるようでいて、けっこう危うい日常生活を、どれだけ安穏で、過ごしやすくするのか? に在る、と思っている。

正直に言えばいいのだ。

戦争なんてのは、自分の手の届かないところで始まったし、是非の話もなく生活していたと。

生粋の軍国少年だったと。

……83年前のいまごろは。

数日前のパールハーバー攻撃による戦果でもって、

日本中のほとんどは、ある種の高揚感に浮かれていた。

その中で、これはヤバい!!、と真剣に悩んでいた者がどれだけあったか?

その時代を背景にしたN〇Kのドラマでは、主人公はほとんどそんな人間に描かれているが、あれは、後世の価値観におもねった〈ウソ〉。

まさか、好戦的な人間に描くわけにもいくまいけれど、

そこなんですよ、

この80年間、現実から目を背けた平和論に逃げ込んでいる、というのは。

東条内閣が戦争を継続できたいちばんのエネルギーは、

国民大衆の、あの高揚と戦争支持であったのは、ほぼたしか。

だから、まづ、平和を持ち出すなら、あの感情や気持ち、なにもできなかった自分(追加しました)を、まづさらけ出さないことには始まりませんが、

そこは、口をつぐむ人が多いし、

戦争をあおり、どんな格好であれ加担した者は、たいていが幕の向こうに逝ってしまった。

誤解なきように付け加えますが、ここから昔をみて、あの戦争に協力した者を責めることなど、僕にはできない。

だから、戦場画を描いて戦争に協力したと、藤田 嗣治(画家、フランスに帰化)を追い出したことを、気は確か?、日本よ、と思っています。

……ブツブツ言いながら(稀ですけど)、101年目に向かうんでしょうね。

では。

昭和100年,と言うのなら❶(時にはマジメ)

誰の言葉だったか、

― 歴史を学ぶと、人が、いかに歴史から学んでいないかが知れる。

学校で習う〈歴史〉は、

なぜ?学ぶのか、の説明もなければ、

まして。

おおくは、テストや受験のための知識の暗記に過ぎないから、

少年が、歴史からなんらかの将来的な指針など探せなくて、当たり前な日本。

大人になればなったで、歴史上のスキャンダルを安直に楽しませるよう、メディアが誘導してくれる世だ。

さて、その歴史。

昭和は、その元年が、大正天皇が亡くなった1926年12月25日から1週間のみ、という変則的なスタートを切ったが、

来年は、昭和100年でくくられる時季にあたる。

1世紀、と言われると、あぁ、長大な時間、と思われる。

けれど、

今40歳の人なら、これまでの人生の 2.5倍、50歳ならば、2倍。

自分の人生が、今日まで長すぎてしまい飽いてしまった人なら別だけれど、

要は、束の間のことに過ぎないのです。

で。

昭和時代を、最初の20年と、その後の80年を区分、区別して観方が、特に、〈戦後生まれ〉の僕らにとっては親しい。

たしかに、敗戦による武力放棄(その後修正された)と、絶対天皇制(の国家秩序)の廃棄は、相当大きな変化を、この国に与えた。

けれど、僕は、むしろ、変化しなかったことが大きくて、しかも、そこにキチンと目を向けないことが ここ80年間続いていて、

そのことが、僕らの歴史認識をオカシくしていると思っている。

 降る雪や 明治は遠くなりにけり

これは中村 草田男が、昭和6 (1931年)に作った句。

時間的にいえば、明治が終わってから、20年ばかり経った頃だ。

その20年間が、どれほど中身の詰まったものかは知らないが、

たったの20年前を、遠くなった、と感慨するのは、チト早過ぎないか。

そのヒントは、当時草田男が、30歳そこそこだったことにあろうかと思います。

青春晩期は、老いた感傷が押し寄せもするもの……。

まぁ、それは置くとして、

たかが20~30年前を懐古するほど、日本人は忙しいのか?、我慢ができないのか?

どうなんでしょうね、いまや、多くが80歳まで生きてしまうのに。

では。

市職員は有能であるか?

少なくとも。

先日、僕が、電話で話した市役所(たしか保健課) の担当者は、

かなり優秀で、信に足りる御方でありました。

マイナンバーカードの、電子証明書の更新案内(封書)が、市民課から届いた。

その件は、窓口へ出向いて手続きをすればいいとして、

これを機に、医院の窓口でもらった、厚生労働省のペラなチラシ、

〈本年12月2日から現行の健康保険証は発行されなくなります〉の内容が、

僕のアタマでは、なんとも理解しがたいので、市役所に訊ねてみることにした。

要は、来月以降、医療機関に行って、僕がやること、って何なんだ?、を。

電話口に出て下さったご担当の回答は、次のとおり。

そういう問い合わせはずいぶんある、と前置きして、

……マイナンバーカードを持参して、窓口に置かれたカードリーダーにカードを読ませ、

自分で〈暗唱番号〉(4ケタ)を画面に打つと、

カードを通じて、当人の健康保険加入の情報が閲覧できます。

受診した医療機関は、その情報で、診療報酬を、 保険者と、当人(被保険者)に請求します……。

なーるほど。

僕にとっては、平明かつ、実に、わかりやすい説明であったのだが、

これこそ、

他の人に、小学生でもわかる用語でシンプルに伝えられるのが、

教える者が、案件をホントに理解している証拠、という好見本。

ものごとを簡単にさらりと伝えられる、

そんな聡明さを身につけたいものです、年齢を問わずに。

では。

来るべきシーズン。

2024年は、

11月の 19日になって。

モルゲンロート(日の出光線が、山肌を赤く染めること) が、北アルプス連峰に。
(もちろん、冠雪していないと、ピンクは映えない)

同日。

高ボッチには、樹氷が観られた、

と、憶えに記しておきましょう。

やっと、本来の季節の足どりが戻りつつある、って?

……すると、周囲の風景も、色彩がシンプルに落ち着いてきて、

葉を落とした樹々の庭は、いやに明るく。

これこそ、冬のお楽しみ。

まるで。

たった3つの楽器だけで、これほどに芳醇な音を紡ぐ、ボブ ジェイムス トリオのように……。

では。