なぜ,その実況が評価されるのか?

この前の相模原戦。

その実況は、DAZNの(松本山雅のホーム)番組制作委託先である、

信越放送アナウンサー、平山氏が担当した。

僕の知るかぎり、2回目かな。(昨季の宮崎戦以来)

この方、山雅のゲームのほとんどで、ピッチレヴェルで取材しているのを、

DAZN画面をとおしてお見受けするので、ふだんからサッカーには精通してしまう担当業務をこなしている(と思われる)。

で。

もしも、平山氏の実況が、高評価を獲ているとしたら、

それを祝しながら、僕の感想を少々。

〈なぜ評価されるのか?〉(その要因の大きいほうから番号順に)
❶それが、3部リーグのゲームであること。
このリーグ戦放送には、解説者を設けていないので、
(プレイオフは例外)

(平畠氏をのぞき)実況は、地元局アナウンサーが受け持ち、

データ紹介、ゲーム様相の追いかけなど、すべてをこなす。

そこには、解説者への質問や忖度がなく、

聴き手、受けたまわり手といった、消極的な役目も排除される。

つまり。

全部ひとり(影にスタッフは居るだろうが)でこなす覚悟があるだけ。

そこに、使命を完結しようとする爽快さを、僕らは感ずる。

❷女性による実況が、現実、いまだレアであること。

だから、好奇の対象であり、視聴者の耳には新鮮。

(これは、女子サッカーが、女性による実況と解説がもっぱらであることとの表裏一体で、露骨な性区別だ)

平山氏は、ゴールの瞬間、この人としては最大限の腹の底からの〈だみ声〉のつもりだろうが、

これにしたって、その高音で細いトーンが、男性のそれとは、隔絶している。

……あと何年か経って、女性による実況が日常化し、それ自体、誰もどうとも言わなくなる、そういう世界がきっと来ます。

そしたら、こんな記事が成り立つ現在が、あり得ない、と将来からみて蔑まれることだろう。

さて、余録。

2部リーグより上は、そういうわけで、DAZNは解説者を有するけれど、

これがけっこう、聴くに堪えずに煩わしい場合がある。

特に、ゴールが決まった瞬間の、

うわぁぁぁっ!、といったような喚声、あれこそは、いただけない。

本人は、その場を迫力づけしようとしてるんだろうけれど、

もともとサッカーでメシを喰って来たんだろうから、

前代未聞のゴールならまだしも、

大の男が、人前で軽々に発するのは品格に欠ける行為。

こういうならわしこそ、絶滅してもらいたい。

そこを冷静、平然、坦々としのぐ解説者が、支持されることによって。

では。

嫌われるには訳がある。

やはり雪もようとなった、3月5日。

かねてより自分に課してあった義務を果たしに、

松本美術館へ出かけていった。

当日は非番、しかも、この天候ならば、会場も閑散に違いない。

ゆえに、心おきなく〈仕事〉ができよう、と踏んだのだ。

撮影が許可されているロートレック展の、出品された素描を、とにかく我が物にとする仕事が。

結論からいえば、

全部で 300枚弱をデジカメに撮り込み、パソコンにフォルダーとして保存した。

ロートレックの、(石版画の線描の)下絵、いわば、舞台裏みたいなものが、どうであったのか、

どこまで対象をとらえようとしていたのか、いなかったのか?、

そのテクニックはいかほど?

そんなことを伺い知れる機会はメッタにない。

撮影は許可します、どうそ。

といっても、何点かのポスターをのぞき、くまなく写真に写し獲られる事態を、主催者側、

すくなくとも、会場の監視員が、あらかじめ想定しているはずもなかろうから、

思ったとおり、有形無形の牽制が入る。

展示台に、スタンド型フォトフレームに入って置かれた素描群。

これを接写するには、いきおい、台の端に肘をついてカメラを固定する体勢になってしまう。

これをやっていたら、すかさず、

― はい!、展示台に触れるのは止めましょうね。

まるで小学生を諭すような口調で、教育的な御指導が、ジジイに向かって放たれる。

招かれざる〈客〉を、不興を押し殺し、やんわりと封じ込めたい気持ちは、痛いほどわかる。

あれだけ接写していれば、作品に近づき過ぎとの理由で、退場も宣せられたように思う。

ただ。

こっちも、1,600円と、千載一遇のチャンスを逃したくないから、

約1時間の静かな闘いが、続く、雪の日であった。

自分にとって、特に、自分だけにとって、大切なものを死守しようとすれば、

傍からみると、かように、ぶざまな光景になるものだが、美術館のご担当には、その忍耐に感謝しよう。

では。

満月にさようなら。

昨晩の午後8時近く。

友人からショートメールで、

― 今晩、満月はっきりです、と挨拶が届く。

14日は、望月(もちづき、満月のこと)だったのです、今月一度の。

旧暦だと、昨日は、2月15日(きさらぎの15日)に当るので、

西行法師(1118~1190年3月) が、吉野(奈良県南部)の桜を詠んだといわれる、あの歌、

 

 願はくは花の下にて春死なん そのきさらきのもちづきのころ

 

と季節的には、ドンピシャの当夜。

桜花の頃に、満ちた月を眺めながら、この世を去りたい、

と詠ったとおりに、西行が死去したことを、

昔むかしの、日本の文芸人は、感動をもってとらえていた、と聞きます。

では。

すべてプライドは〈悪〉である。

松本平を、中山地区あたりの、東山山麓線(県道63号)から一望する。

夕暮れ時、街の灯が点り始めると、

背景には、アルプスの青い山並みが雄大に、デンと在って、

……そのコントラスト、あれは、まさしく絶景に違いない。

家人や息子には、これが決定的〈ふるさとの〉風景なのだそうで。

ところが、

同じ美しさも、僕にとっては、慣れ親しんではいるけれど、

これぞ〈ふるさと〉、とはならない。

いままでの人生で、十数回住むところを変えて来た身からすると、当地に長く居ても、

故郷と、イチオシできる場所がないのが、いやはや。

だから、或る土地(=街)に関して、格別のプライドを持つことも、おおよそない。

どこの場所でも、好きになれる部分と好きになれないところがある、ただそれだけ。

こういう感じは、そうだなぁ、

〈転校生〉になってみないと、なかなか承知できないのかも知れない。

 

さて、日曜日の対長野戦。

友人で、長野在のカナさん(仮名)が、妹さん親子(母/息子)と、計 3人で、アルウィンで観戦なさる。

姉妹ともに、松本で勤務した経験があることもあるが、

カナさんは、北ゴール裏で、僕たちと一緒に、

つまり、ホーム自由席で、観戦したいのだそうな。

南と北でどうのこうのとか、いい加減にしてもらいたい僕からすれば、こういう感じが好ましい。

煽り文句としての、プライド of 〇〇 は、広いココロでゆるしてあげるけれど、

それに乗っかって青筋立てて騒がしいのには食傷する。

もっとも、

大人の遊びごころで、仲良く喧嘩してみせて盛り上げるのは、歓迎だ。

そして。

それぞれのゴール裏をのぞき、

主催者(=山雅)は、すべての座席を、いまのように混合(服装自由) にしておき、その趣旨を強く押し出すべきではないか。(全ゲームで)

そうすれば、

閑古鳥が鳴いているにもかかわらず、

バックスタンドをアウェイ観客に開放しない某クラブの狭量さが、ミゴトに浮き立つし、

そのクラブが、もしも上位リーグを望むならば、

今のうちからミックス席を設けて観戦者管理に慣れておかねば。

では。

パンツひとつに主義をとおす。

 

― ねぇ、これなんか、どう?

家人が、CO-OPのカタログのページを指し示して、訊いてきた。

みると、チノパンのようだ。
ふん、ふん……。だが、いけない。

ウエストの脇がギャザーのようになっていて伸縮する構造だ。

中高年向けに快適さを訴求した仕立てなんだろうが、

いい齢をした大人が、こういう安逸に堕すのは、ダンディズムの放棄ではなかろうか。

― いや、やめとくわ。
これ。ラインが、僕の体形に合わないように思う。

隣りを連れ添って歩くジジイが、

短パンに黒タイツとか、アデ〇ダス風(アデ〇ダスではない)トラックパンツをお召しになるのを、

あってはならないチョイスと、忌み嫌う家人が、

そやつに、フツーのスラックス(長パン)を履かせたい魂胆を、

僕は、もちろん、承知しているので、

ことさらに、やんわりと、お断りするのであった。

アデ〇ダス流呼称だと、トラックパンツ。☞ジムスラックス?

僕の愛用は、実は、

しま〇らの、婦人用Lサイズで、2本ラインが、サイドに入っているやつ。

女性対象だから、ひざ下が細く、腰回りに余裕があるカットになっていて、

176㎝の僕にも、丈も含めて、まことに違和感なく着まわせる。

僕は、同じものを 3本持っていて、変わりばんこに使うが、生地にへたりも来ず、もう数年来の重宝だ。

価格は、アデ〇ダス1本に対して、8本は購えるから、実に買い得感あり、

別に 3本ラインに執着もないし。

……しかし、まあ。

山雅の 60周年コラボウオッチを辞退するのとはわけが違うから、なんとかせねば。

服飾メーカーのサイトをいくつかあたり、

今はセールス価格になっていて、

家人ご推奨のものとほぼ同額帯の、リネン風なネイビーのスラックスを選ぶと、

― これ、注文していいかな?

案の定、お許しが下りたが、

でも、はじめて試すメーカーなんで、

指定のサイズがしっくりとくるかどうか?

今は、それを気にしながら待つのであります。

では。