僕の緑化作戦 (耕作篇)。

画像版権所属先 ☞ オフィス ジョータイム

晴耕雨読、といった洒落た生活を送りたいが、

それはかなわず。

勤務の合間をみては、自家製の農作物を得たくて、畑をつくっている。

いわば、アマチュアのにわか農家に過ぎない僕だけれど、

良い産物を手にするには、その土壌が豊かでないとならぬ、といった原理をここ数年でつくづく知った次第。

そこで。

この4年ばかりは、庭に落ちた枯れ葉を集めて、自給自足とばかりに、それを畑の土に埋め込んでいる。

今年は、さらに、耳学問に終わってはならじ、と、

掘り起こした畑土のうねの条ごと、

枯れ葉を敷き、その上からヌカを注ぎ、さらに石灰窒素を播いて、土を掘り戻しておいた。

さぁ。

あと4箇月はこのままで、

夏のために、今は、土を静かに休ませておこう……。

では。

たまには、ためになるかも?

〈情念〉はものを感じさせるもので、見させるものではない……
      (モンテスキュー 『ローマ盛衰原因論』より、〈〉は筆者の強調)

たしかにな。

感情に浸って観ていれば、

ゲームの良し悪しと帰結は、プレイヤーの心持ち(熱心と不熱心や怠慢)次第と、平気でいい出すわけだ。

なかなかに、考えさせられる言葉を残したモンテスキューは、

1689年生れで、1756年に 66歳で没した。

バロック音楽の作曲家 ヨハン セバスティアン バッハ(独)は、
1685年に生まれて、1750年に他界しているので、この二人は、まったくの同時代人。

はたして。

モンテスキューは、バッハの音楽を聴いていたんだろうか?

さて。

モンテスキューは、また、ボルドー(仏)で、ワイン農場を経営していた領主(男爵)であった。

さて、さて。

そのボルドー(人口は松本市とほぼ同じ) を本拠とするサッカーチームが、

FCジロンダン ボルドー

クラブ創設は 1881年。

日本は当時、 時代が明治になって14年目、まだ日清戦争もやっていない頃。

長い歴史の中、

2021/2022シーズンに、20年間とどまったリーグ アン(仏1部リーグ)から降格。

その後 2シーズンを、リーグ ドゥ(2部)で戦っていたけれど、

一向に財政問題(4,000万ユーロ☞ 72億円!!の大赤字)が好転せず、

ついに、昨年7月、ボルドー商業裁判所に破産申請をおこなう。

結局は、仏サッカー連盟の裁定によって、

2024/2025季から、フランス全国選手権2 (4部リーグ相当)に降格となる。

クラブの解散は回避したものの、

プロ球団の看板はおろさざるを得なかった。

フィールドマネジメント(戦績)がどうのこうの以前に、そもそも、

クラブ経営がマトモでないと、企業としての望む地位など得られないのは世界共通のこと。

ネイビーブルー(濃紺)のクラブカラーの地に、

胸元に、キリスト者の衣装(スカプラリオ)を象徴するV字を染め抜いたユニフォーム。

せっかく42,000人収容の専用スタジアムもあるんだから、

いつか、トップリーグに戻ってもらいたいクラブだが、

そのいつかは、何時なのか?

では。

心にとめないことの 価値。

伊丹 万作 (1900~1946、映画監督、脚本家、画家)は、

その文章が、平明で簡潔、とにかく、読ませる。

亡くなる前の 8年ほどは、病臥(結核)の生活だった、と聞く。

その奧さんは、

亭主の稼業とする映画を、

観ないことはなかったが、それほど興味もなかったらしい。

或る時、原 節子が、伊丹をその自宅に見舞った際、

― どなたさまですか?、と応対したくらいだった。(と万作が書いている)

〈原 節子〉と聞いてもピンとこなければ、この女優が、1930年代から 50年代にかけて、日本映画界でどれほど売り出していたのか?、調べることをおススメします。

古代ユダヤの王ソロモンは、(その著書と伝わる『伝道の書』の中で) 言う。

人の語るすべての事に心をとめてはならない。
これはあなたが、自分のしもべのあなたをのろう言葉を聞かないためである。
あなたもまた、しばしば他人をのろったのを自分の心に知っているからである。

こういう境地には、なかなか達せないものだろう。

けれど、身につける価値のある人格に違いない。

もちろん、

僕が、家人の言うことをロクに訊きもせずに、トンチンカンな失敗をして叱責を受けているような失態とは、

まったく違う、もっとハイレベルな話なのだが。

では。

生きのびる目当て。

師走になったので。

互いの生存を確かめるのと、

(年賀状を配した身だから) やんわり、年末の挨拶にかえて、

旧友ふたりと、メールでやりとりをした。

来年は、東京で、

アンドリュー ワイエス展があり、

ダヴィンチ(ルネサンス)の作品が観られそうなので、それを狙って、お会いしましょうか?、と送ったら、

ひとりの方からは、

ファン ゴッホ (夜のカフェテラス)も愉しみにしてる、

それと、ワールドカップも、と返信があった。

そうなのか。

すると、僕的には、一年かけての3大美術展として、そこまでは、生きのびる目当てになる。

ワールドカップのほうは、Jリーグが秋春制となるタイミングと重なるから、

いままでと、ひと味違ったものになるのかな。

ただし。

ご贔屓のチームがあると、

どうしたって、そちらに目が行くから、

一歩醒めて観てしまうんだろうなぁ。

では。

ふもとの生活の今。

強風の日が続いたおかげで、

庭の木々が、その葉のほとんどを落とした。

で、そろそろ。

枯れ葉を集めては、畑土に埋める作業が、僕を待っている。

……ところで、先週のこと。

二日連続で、きつねを見たのである。

双方が、孤独な姿で。

まづは。

我が家の上の、畑の細い道をたどっていくのを。

以前から、この道を過ぎるのを目撃しているのだが、

今回は、昼間で見通しもよかったから、

その後を、すぐに追ったつもりで、庭から道に上がって遠くを眺めてみたが、

100mくらいを見渡しても、姿はなかった。

次の日は、会社からの帰り道。

僕の運転するクルマの直前を、市道を横断しようとしていた奴が、

こっちを認めると、あわてて身をひるがえし、どこぞの家塀の向こうへと消えてしまった。

かつては、昔ばなしの中にしか登場しない、と思っていた、きつねや、たぬき。

約20年前からこっち、彼らを頻繁に目撃するようになったのだから、

それを追いかけるように、つぎは、

クマが、僕らの日常生活に踏み込んで来たって、すこしも不可解でもない。

では。