ふもとの生活の今。

強風の日が続いたおかげで、

庭の木々が、その葉のほとんどを落とした。

で、そろそろ。

枯れ葉を集めては、畑土に埋める作業が、僕を待っている。

……ところで、先週のこと。

二日連続で、きつねを見たのである。

双方が、孤独な姿で。

まづは。

我が家の上の、畑の細い道をたどっていくのを。

以前から、この道を過ぎるのを目撃しているのだが、

今回は、昼間で見通しもよかったから、

その後を、すぐに追ったつもりで、庭から道に上がって遠くを眺めてみたが、

100mくらいを見渡しても、姿はなかった。

次の日は、会社からの帰り道。

僕の運転するクルマの直前を、市道を横断しようとしていた奴が、

こっちを認めると、あわてて身をひるがえし、どこぞの家塀の向こうへと消えてしまった。

かつては、昔ばなしの中にしか登場しない、と思っていた、きつねや、たぬき。

約20年前からこっち、彼らを頻繁に目撃するようになったのだから、

それを追いかけるように、つぎは、

クマが、僕らの日常生活に踏み込んで来たって、すこしも不可解でもない。

では。

世間知らずの大騒ぎ。

レストランらしいお店に沿って歩いていたら、

なんと、ちょうど僕の眼の高さを、

灰色の猫が一匹、悠然と歩いているではないか。

― おいおい、あれ、生きてるよ!!、と並んで歩く家人に言う。

以前。

相方が、とある喫茶店で、

カウンターの上を猫、つまりは、その家の飼い猫、が歩いているのを眼にして、

二度とあそこに入るもんか。(要は、食品衛生の欠如)、と繰り返し話してた記憶があるので、

これこそ、その光景の再現ではないか!、と僕は言いたかったんである。

けれど。

その時、家人は、一向に僕の指摘に同調もせずに、

― これが、猫カフェね。

インバウンドの観光客にも、ずいぶんと人気らしいわ。

 

……たしかに。

店内には、けっこうな数の猫が居て、

ところどころに、くつろいでいる人類が、数人いらっしゃる。

入り口の看板には、時間料金が書かれてあった。

 

世事に疎いとは、まったくこのことで、

翌日、このことをジョー氏に話すと、

当たり前のように、ここら辺のお店を教えてくれて、

しかも、それほど新しいトピックでもない、とのことだった。

では。

弱者と強者と……。

僕らは、日常の中で、

なにかを評して、強い、弱い、と言う。

が、そのことがらについて、

丹念に考えてもいない。

つまり、悟性の光を当てているわけでもないから、かなり主観的であることがほとんどだ。

強い=善、弱い=悪、が、ちっとも成立しないことの多さよ。

これが、

スポーツ(競技)の世界になると、

勝利した者を強い、敗れた者を弱い、と評せるので、すこしはスッキリする。

スポーツの良さとは、そうやって断じてしまえる、済ませられる、ことなのかも知れない。

……某介護施設において。

生活保護制度の受給下で、施設で被介護生活を送っている女性(60代後半らしい)が、

その施設で働く女性を指して、

― 77歳にもなって、こんな仕事で働くんて、あの人、よっぽど生活に困っているんだねぇ、と語った。

こういった話を聞くと、いろいろ考えるところはあるけれど、

人生何十年もやってると、それぞれに理解できないような地点にたどり着くものだ。

では。

高齢化時代の終わり。

先日。

人口統計について、論説を読んでいた。

時代が明治に変わった頃(=江戸末期) 、日本の人口は、3,000万人強。

これが、太平洋戦争(80年前)の頃に、5,500万人になった。

この増加は、

出生率は変わらずに、長生き(延命)するようになったため。

そこから、〈人口爆発〉(特異な事態) が起きてしまって、倍以上の人口を抱えることに。

社会や経済も、しかたないから、それを容れる規模にまでしてやってきた。

だから、人口減少の局面となったら、

いろんな方面で、設備過剰に陥り、滅びていくものの手当てに頭と手がまわらない。

災害復興の遅さは、被害の大きさゆえ、というよりは、

原状回復に力を投入しても、将来に期待できないから。

いまさら、でかいショッピングモール作って、どうするんだろう。

で。

現在、高齢化、高齢化と騒ぐのは、

ベビーブーマー世代(1946~64) を先頭に、多量にこの世に生まれてきた人々が、やがて死に絶えるまでの間のことだから、

これから、せいぜい半世紀間の我慢、我慢。 (☜ これは僕の推論)

それ以降は、

新しい人口階層、動向の時代が、おとづれるのだ!!

それが、生産や需要が、今よりずっとシュリンク(縮んだ)した世界だとしたら

テーマ〈持続可能〉は、人類の勢いが消えれば、人類が跡を絶てば、地球上に、自然とそなわるのだから、

ほおっておいても実現する。

ある学説によれば、人類は、耕作に手をつけた時点から、地球の自然環境にダメジを与えてきたという。

自分たちも、この地球も、ともに生き延びたいとは、我らの虫のよさに過ぎない。

では。

福島を斬りながら。

真紅のポロシャツ(気に入ってる)を着て、庭仕事をしていた。

福島(のチームカラー) を着る = 福島を〈斬る〉

と、うそぶいているところなど、カワイイものでしょう。

ひとの希求の深さそのものに、優劣や軽重があるはずもなく、

在るのは、その表出表現の程度に過ぎない

……上の2行は、僕だけに大切なことですから書きますが、忘れてください。

 

雨で小学校の運動会が中止。

庭先に出ていると、雨が時折落ちて来るしで、

時間が、無為に空く。

じゃあ、3部リーグのゲームを観てみるか。

行ったり来たりのボールを、プレイヤーはその都度跳ね返し、または、自分の手に入れようと動き回る。

必死にやってるんだろうが、上手くいったら繋ごうか感ばかりで、その場しのぎのサッカーが続く。

興味や関心のないチームだと、こうも面白くないこと甚だしい。

ところで。

宮崎戦が、アルウィンで催行できない(しかも日程を変更しない)となれば

我がチームは、8日間で3ゲームを、それも、アウェイでこなすことになるのか?

それはそれで、苛酷。

まぁ、なんの言い訳にもならないでしょうけれど。

では。