言葉の重み ふたつ。

ふだん、軽々しく言葉を吐いて生きている僕が、このような話題を語るのは、心苦しい。

でも、

コトバに、言の〈葉っぱ〉をあてた昔の人は、言葉の持つ、いい加減なはかなさを知っていたのだろう。

と、これも、いいわけです。

ところで。

山雅のゲーム裏事情を、インサイドと題して、マメに更新してもらえるのは、まことにありがたいことで、広報担当氏の仕事ぶりには感謝している。

その中で、勝ったゲームの事後ミーティングだと、

石﨑さんが、最後に、おめでとう!、と選手をねぎらうシーン。

あれは、いい。

さらり、としているけど、言葉に重みがあるよね、

あくまで、ピッチで戦った者たちを主人公と考える、といった。

リーダーは好かれる必要はないけれど、あれだと、指揮官についていく気持ちになるに違いない。

さて、別の話題。

公報まつもとの 10月号は、

最近逝去された (と僕はメディアの活字で知ったに過ぎないが)

草間 彌生氏の画業を、巻頭特集に組んだ。

そこでは、氏を、〈前衛芸術家〉と紹介。

これなどは、まるっきり、世評の記事からの受け売りだろうけれど、

草間氏が、生前、その名刺に、この肩書を刷っていたのならそうお呼びしても失礼には当たらない。

けれど、作品における思想性の皆無(それが悪いわけではない)から言っても、

ポップアーティストが、もっとも適切な扱いではなかろうか。

(もちろん、僕は、ポップアート全般を評価はする)

思えば、

かつては、前衛芸術という言葉をよく目にした。

が、マルキシズムの退潮と同期するがごとく、すくなくとも僕の辞書からは消去されて久しい。

それでも、

あえて、前衛芸術家の名にふさわしい名をあげるとしたら、

エドアール マネ(1832~1883年、仏画家)くらいかな。

では。