正義のミカタ。

サイボーグ009(by 石森 章太郎)が、なぜ、優れた漫画であるか? と言うと、

連載の初回(@少年キング)から、

みづからを創り出した組織(ブラックゴースト)への反逆で始まる点。

いわば、エスパー集団の、神(創造主)への違背と闘争のあけくれが描かれる。

ヒーロー物漫画は、以来数十年、

抗争のあけくれを題材にしてきたけれど、

最近のやつは、〈修行〉の側面にテーマが傾き過ぎていて、

正義と不正との、選択の苦悩、といった内容に乏しい。

……さて。

前記事で、山雅のあるべき最適解、と表現したので、少々の捕捉。

サッカーが、

ふたつの点を結ぶ直線はひとつしか存在しない、から始まっている幾何学でもない限りは、

反論無用な絶対的公理で押し通せるほど、単純ではあり得ない。

だから、

〈解〉は無数にあるはずで、その検証道具は、おおよそが、勝敗という結果、そのくらいに考えておこう。

ただし、勝てば官軍一辺倒でも、貧相だ。

でないと、プロセスの愉しみという醍醐味を逃がしてしまうだろうから。

現況、比較的布陣が落ち着いているのは、ウイングバック。

先発が、高野&樋口、クロージングは、松岡リム&北爪、そんなで。

かつ、働きぶりも、高評価。

でも、強欲なファンからすれば、

このセットの登場(先発と交代) をさかさまにしたゲームも観てみたい、となるわけ。

愛媛戦では、2列目、村上の先発という形で、同様な試しがあった。

ゆえに。

ことサッカーの世界においては、正義の味方があるのではなく、

正義の見方が、観るひとの数だけあるに過ぎないし、

かつ、その正義は、かならずしも、勝利と直結してもいない。

では。