〈もっと懐疑的になろう〉
先の記事で取りあげた、4 – 3 – 3 (守備時は、4 – 2 – 4 へと変容)が、
まるで、新たな基軸のように、喧伝され、認識されそうなんだが、
実際は、従来も多分に観察されてきた、あるいは、プレイヤーの機転によって表現されたであろうこと、
たとえば、山本 康浩のサイドプレイヤーとの連動、
ファーストディフェンス時の 最前線プレイヤーによる遺漏なき連携、
加え、菊井 悠介に高いポジションを与えること、など。
……それらを、システム的な観点から、オーソライズしたようなものなのだ。
そこへもってきて、スコア(4 – 0) がスコアだったから、
新システム = 絶対的な手当てのように受け取る向きもあるやも知れず、やっかい。
ま、このへんは、
最近、ガンズ諸氏は、ずいぶんと(成功には)懐疑的になっていて、単純で、しあわせな救済策、とは考えないだろう。
相手の出方、得失点のあり様によって一変するサッカーにおいて、しかも、実力伯仲のこのリーグにあっては、〈打ち出の小槌〉的な道などあるものか。
だから、仮に、これを採用し続けるにせよ、毎ゲーム、それをより高める努力が重要であり、状況によっては、棄てることもあるに違いない。
〈単純は、時として有害です〉
鳥取ファン&サポーター諸氏は、
今節のゲーム結果を受けて、どうチームを見なしているんだろうか?
願わくば、彼らがひたすら〈精神論〉に走らないことを祈る。
つまり、プレイヤーには、気迫、勝利への意志が足りなかった、とかの結論だ。
でなくて、むしろ、サッカーの方法論と、技量が議論されることを。
(競技者ではない)観戦者が、目の前で起こる事象を直観する際には、
ほとんどみづからの経験によって内面化された規則性に囚われてしまう。
この、いわば、超思考的な制約を、僕らは、たいてい忘れてしまう。
(☞ 超思考的とは、相手の心情をうがつ時に、自分の感じ方を深く投影している、と気づかないこと)
特に、不都合な事実(敗戦など) について、
自己の心象を、あたかも、プレイヤーの心もちとして決めつけておいて、
そして、批判しやすい。
……以上、いま時点での、考え方ふたつを整理しときます。
では。