先週のこと。
山本 康裕の、Jリーグ400ゲーム出場の記念グッズを予約しに、喫茶山雅へ出向いた。
注文とは別に、他のグッズの、取り扱いで不明な点を訊ねたところ、
お店を出てから 30分もしたら、携帯にその回答が入ったので、気分の良い日をもらえた。
あと、とりあえずやっておくのは、アウェイ相模原戦のチケットの購入か。
リーグ前半戦の締めの 6月。
チームはできることをやってるんだろうから、こっちもできることを進めておこう。
思えば、プレイヤーはすべて、サッカーについて、僕らとは隔絶したような技量の持ち主。
それを、ああやれ、こうやれ、と言いたい放題な世界なのが、ファン&サポーター。
それはそれで、いい。
ただ、技量は及びもつかないのに、挙句の果ては、精神論に走る。
気迫、執念……。
どれも、持つに越したことのない〈気持ち〉なんでしょうが、
それらは、技量と方法論に裏打ちされなていないと、どうしようもない。
プレイヤーはゲーム中、(おそらくは)対峙する敵と、最初にガツンとやった瞬間から、その相手の技量を感じ取り、計測しながら、
彼に競り勝ち、出し抜き、置き去りにすることに、自分の保有する技量を使いつつ、没頭していることだろう。
どんなに精根込めてやっても、技量とチーム連係で劣ると、終わってみれば、
0 – 2、1 – 3 みたいな、なんとも味気ないスコアで、負けです。(過去の経験)
実は、山雅のサッカー自体には精神論を持ち出したくなる要素もあって(☜加筆)、重要なヒントは、チノ氏の言葉、つまり、
いまやってるサッカーが、腰が引けたような印象を与える、そこにあります。
決して、それは、気持ちの類いのことでないので、
あくまで、サッカーのスタイルと、その実践が、議論されるべき。
明日の鳥取戦プレビュウは、そんな観点で。(いつもそうありたいが)
では。