いろはの〈い〉を見逃すな (金沢戦レビュウ❷)

たとえ、スコア 1 – 6 になっても、

サッカーでは、セコンドからタオルが投げ込まれることはない。

終了の笛が鳴るまでは、ファイティングポーズを採らなければならないし、

実際、山雅プレイヤーが、(その心中はともかく) 最後まで、ゴールを獲りに走ったことを、僕は、称賛したい。

さて。

ゲーム内容そのものをレビュウするにあたっては、

ひとつ。
〈失敗や挫折は、そのこと自体よりも、その評判によって より多く傷つく のだから、
試合結果への批判/反応や、使い古された形容詞の氾濫をかいくぐって、注意深く、かつ、シンプルに、ゲーム内容を探る態度を採ること。

ふたつ。
1 -6 の事態があのように出現したのは確かであるが、1 – 6 にならねばならなかった、とは、誰にも解明され得ないだろう。

言いかえれば、

ゲーム結果の必然性などは、
過去の経験などから作り上げられた、規則性を凝らした推断に過ぎないから、これを排除しなければならない。

すると、このゲームの、明日を見すえた論点とは、以下のとおり。

❶山雅が自分式のゲームをおこうなうについて、決定的に疎かな面が生じた。

ファーストディフェンス(前線からの守備圧力)に、各個の連動性が乏しく、かつ、中盤が、前線について押し上げられなかったために、
陣形の中盤に、大きなスペースが出来てしまい、そこを金沢のボランチと、左サイドバックの石原に自由に使われた。

特に、石原は、縦に直線的に動くのではなく、中に入って、3人目のボランチとしてボールを動かしながら、その前の #30のアウトサイドプレイヤーへの縦突破を支援することに専念。

これは、ずいぶんと効いた。

中盤に数的優位を与え、山雅劣勢の源となったから。

ジョップワントップについては、まだまだ、練度と、アジャストを要するように思う。

ボール競合時、金沢#3ディフェンダーは、レフェリーから見えないところでジョップのユニフォームを引っ張る行為を、巧く挿し込んでいて、こういうことへの対処にも、成長すべき点はあるだろう。
(ただし、ああいったファールは、線審が採るべき)

❷前後半のスタートの時間帯に、フルスロットルで入るのは、山雅の十八番。

金沢戦では、金沢ディフェンスの眼と身体が馴れる前に、それがゴールに結実したのは、ひとつの成果。

30分近くになって、十数分間に、立て続けの 4失点には、

僕がつねにいうところの、ゲームコントロールの拙さ、ひ弱さが原因しているにせよ、

金沢の全ゴールが、能動的で自己完結的なものだった以上、山雅の守備云々を言ったところで、あまり前向きな検討は生まない、と僕は思うが、どうか。

是非はともかく、相手より多く得点を獲る、この看板はいまや下ろせない。

❸ゴールへと結びついたプレイや、サイドにおける攻防において、山雅の各個は多く、金沢プレイヤに競り負けた
これらを、単に、個の技量に解消することをせず、ここまで構築してきた、個で追い込み、かつ、挟み込んで相手を阻止する守備に、今一度、生命を与えなければならない。

自分たちのサッカーができなかったことと、金沢の力量と処方、この関係性に、どうどうめぐりの議論はあまりすべきでもなくて、

ざっくばらんな話、いつものやり方ができなかったについては、基本、金沢の対処が、こっちを上まわったことに間違いはないのだから、

このことを謙虚に受け止めて、この隘路を切り拓こう、山雅。

ゴースタの借りは、キッチリとアルウィンのピッチで返す、そのネタは、(決して精神論でなく) 手に届く範囲に在る、と診ます。

では。