大相撲に,八つ当たる。

知らないにうちに、春場所が始まっていた。

奇数月には興行がある、というのに、

いまは、御嶽海が前頭十枚目で勤めているといった一段落なムードと、メディアによる騒ぎ方の減衰もあってか、忘れてしまうんですね。

僕は、幕内で取るだけでも、たいした出世、と思っている。

だから、家人から、TVインタビュウの中で、

アナウンサーが、(言外にあきらかに) 三役から陥落したことを含んでおいて、

― いまの状況となった要因は?、と訊ねると、

運です、と御嶽海がキッパリ応えた、という話を聞くと、

その通り!!、と本気に、彼の肩を持ってしまうのだ。

露骨な誘導質問には、これくらいの返しでいいし、

御嶽海の場合は、真摯な意味で、〈運〉の一文字を使ったのだと思う。

加えて、僕が、大相撲に肩入れできない理由は、

❶制限時間一杯の立ち合いが常態化し、観戦に目を離せぬ緊張感のないこと。
一回目からの仕切りから、呼吸が合えば力士は立っていいのであるから、
義務的に、塩まきと仕切りを繰り返しているようにしかみえない。

☞ 内緒な話。
もともとは、放送する某局の、番組取り置き時間内に、取り組み全てがちょうど収まるための、巧妙なるしかけが、相撲そのものを変質させた説、を僕は採る。

❷立ち居振る舞い、といったことを持ち出す向きがあるにしては、力士に美しさを求める動きがないこと。

マワシの配色に気をつかうのなら、同じように、

出来る限り、身体には、バンデージやサポーターの類いは着用しないべきであって、

現横綱(四股名が出て来ない)の、両膝関節をおおう分厚いサポーターは見苦しいし、

かつ、その装着目的が、身体能力の補強であるならば、いくら、フェア精神が希薄な武道であっても、対戦において優位過ぎないか。

そこまでして勤めさせるのか?

興行(競技ではない)ならば、柔よく剛を制す、小兵の大物食いを狙って、批判覚悟で、

横綱の膝にケタグリを入れる力士が出て来るような、勝ちへの執着心を求めます。

では。