老いることとは、

肉体的に、いろんなところが衰えてしんどくなること。

たしかに、それはある。

でなけりゃあ、あれほどTVに、非科学的なもの言いで、健康や美容効果をまくしたてたコマーシャルがあふれるはずがない。

30分以内で注文すれば、とは、まるで、詐欺商法のタイムリミット方式ではないか。

(いや、詐欺のほうが真似たのだろう、オペレーターへつなぐには……、などと言うから)

だが。

ああいった乱暴な宣伝に飛びついてしまうのは、実は、精神が病んでいるからなのであって、

老化とは、ある種の精神疾患である、と考えざるをえない。

加齢がすすむと、かなりメンタルヘルスが変調、変質する(個人差はある)。

高齢者の行動を観察したり、自身の精神活動を冷静に振り返れば、これはもう、

僕のなかで、否定できない定説となった。

だから、〈老醜〉とは、精神が病むことについて言うのです。

我が物顔の身勝手な走行への怒り、

老人を介護する側のフラストレーション、

これらすべては、相手が健常なる精神の持ち主と、勘違いしていることに発する。

現代では、〈老成〉は幻想であって、

介護されて、それを感謝する高齢者が稀少であることを知らないと、

けっして高齢者を巧く扱えない、と思われる。

(年齢が上がるほどに、ありがとう、をしなくなるのが、一般的ですがね)

では。