ダイ〇ツも,やはり〈村〉だった。

(ざっくり書くと)

某国内自動車メーカーのひとつが、

自動車の開発過程で、

公道を安全に走るためにクリアすべき安全性等に関する実証実験において、

データをごまかしたり、都合よく差し替えたり、または、実験そのものをやらないで、自動車の登録に可能な型式認定を得ていた件が、多数発覚した、という。

これだって、生身の人間が、おこなう仕事のひとつ。

だから、こういうデタラメはやろうと思えば、いくらでもできてしまう。

そもそも、ウソのデータに基づいてつくられた自動車が、実際に走行していて、

そのウソのために災禍を蒙った事は実証できない、という事情が、

常習で繰り返された最大の原因だろう。

知りながら害をなすのは、マヅイと思うし、

現場のウソを見抜けなかったように装うかも知れぬが、経営層だって、感づいていたよ、きっと。

が、けれど、正義漢ぶって、責めたくもないのが、萬年。

せいぜい、ダイ〇ツ車(ほぼ新車)を数箇月前に買ったばかりのモモ氏に、

― つとめて、衝突しないよう気をつけなきゃあね、と茶々を入れるくらい。

この件で笑ったのは、

第3者調査員会(よくわからん日本語) の代表みたいな人物が出てきて、

(この不始末の土壌として) 自分だけ良ければ、他の者はどうなってもいい、という組織的な風土があった、と見解を述べていたこと。

僕はたまたま、これを、会見における、切り取られた文言としてTVで聞いたが、

この程度のことを、得々と披露するのだから、ロクな調査委ではないな、と思った。

ひとつ。
自分だけがよければ、というのは、人間社会の組織すべてに共通な性質のものであって、それが理由で、こういうデタラメな仕事をするに至ったというのなら、よっぽどわかるように説明してもらわないと、僕のような不明の者には、因果関係が、到底理解できない。

身勝手な者が多く居ても、不正に走らない会社など、ゴマンと在るわい。

不祥事につけ込んで、つまり、この会社が反論できないのをいいことに、都合のよい犯人探しをしているだけのこと。

ダイ〇ツにしたって、社内の雰囲気を、ここまで悪く言われる筋合いもあるまい。

ふたつ。
(おそらくは)〈自分だけよければいい〉内部の誰かが、外部に通報したことで、一連の不正が明るみにでたとしたら、

自分だけは他人とは違う道を行く、という風土は、むしろ推奨されていいんじゃあないか?

もちろん、これは、皮肉な言い方。

自民党の項でも触れたけれど、

3桁単位の大勢な人間で構成される、新車開発部門という〈村落的な共同体〉がうまく生きのびられれば、

で、その中で、自分も生存できれば、

共同の不法行為や、不正への加担も、見て見ぬふりで過ごされていたのだ。

この国では、社会の上(支配階級) から 下(各世帯)までに、こういった共同体が、ずっと強固に運用されて来ていて、

自分(世帯)ひとりで処理できないことを共同で行うことで切り抜ける、という意味では有用な仕組みだけれど、

反面。

ダークで、共謀を可能にするような一面もあわせ持っている、ということだけには、目を醒ましていたほうがいい。

では。