岐阜も山雅もともに、ボールを握るサッカーを志向している(と思う)。
岐阜が、傑出のパサー、庄司 悦大を重用するのは、その証拠。
かたや、山雅は、パスで畳みかける〈守功一体型〉サッカーへの変換を目指す。
しかし、今節。
岐阜は、機とみるや、前傾態勢の山雅最終ラインの裏に、ロングボールを放り込む、ヨーイドン作戦に打って出た。
臨機対応型へ変えてでも、ホーム開幕と、我ら山雅に勝利せんとするその姿勢は、14分のゴールに結びついたわけだから、それはひとつの奏功だった。
他方、山雅。
こっちは、終始パスでリズムを創り出してゴールに向かうサッカーを貫徹。
特に、60分あたりから数分間の、一方的にボールを手中にした波状攻撃は圧巻で、まさに、こういうのをやりたいんだろうな、と納得させられるサッカーでありました。
ただ、そこには、クロス精度、飛び込みの位置やタイミングの稚拙などが介在し、得点には至らなかった。
けれど、ペナルティエリアまでボールは到達できているから、あとは、そのあとのクオリティを高めるしかない。
その先の課題がみえていることが重要であって、いちばん困るのが、なにをやりたいんだかわからない、ってやつだろう。
とにかく、3~4人が一斉にゴールに向かって走り込んでくる攻撃性、こういうのを待ってた僕からすると、そういうシーンを多く観られるだけでも、御の字。
また、セットプレイ、特に、コーナーキックにも、アイデアが豊富。
ショートコーナー、あるいは、ゴール周辺に密集をつくりだしておいて、セカンドボールを確実に獲るため、ペナルティエリア外縁に何人か置くとか、けっこうこまかな手法を駆使している。
4バックを採用したから、センターバック(この日は常田、野々村)にも、ふたりで基底をやりくりする覚悟ができたんだろうか。
(つまり、左右サイドバックは高い位置を採るので)
センターバックによるボール保持、ボランチとのパス交換の練度も、かなり向上。
ということで、チーム全体の連携にとって、この日は特に、ボランチふたり(パウリ―ニョ、住田) の貢献度は高かった。
こういう山雅に対し、岐阜は、後半になると、カウンターで一矢報いるサッカーで応戦。
けっこう好機を創り出したけれど、ボールの出どころとドリブラーは限定されているから、山雅のほうは、なんとか凌ぎ切れた。
……、ということはです。
客観的な話、ドロー決着自体は、岐阜にとっての成功であって、yamagaからすると、勝てたゲームをモノにできず、といって地団駄踏むべきことなのかも知れない。
でも、今は、変容と進化の過程にどっぷりと突き合わされている嬉しさを楽しむ、ってことで。
では。