一週間くらい前に、息子家族が、遊びに来た。
COVID- 19 陽性者が判明したため、家族隔離状態の長い日々もあったりで、実に久しぶりの来訪だ。
自然、話題が山雅談義へと移っていき、ついちゃあ、新監督について議論となる。
息子曰く、
― 彼が、過去に指揮を執ったチームすべてにおいては、年を追って成績が下降。
要は、ジリ貧になったという結果からして、今回の招聘については大いに疑問、あり得ないでしょう。
― なるほど、そういう見方もあるか。
他にものさしも見つからなけれぼ、それが、正論なんだろう。
ただし、大宮での指揮は、最悪のチーム状況で引き受けているんだけどね、と僕。
ところで、以前、僕が批判した、某サッカーコメンテーター氏の〈ハマれば面白い〉発言。
あれは、結局のところ。
これといって、来季アウトプット(戦績) の良否については、確信はないが、
この際、イチかバチかでやるってもんでしょう、クラブが選択したんだから。
― そういう感触を、違うコトバで表現したに過ぎないのだ。
かっこう良くいうと、乾坤一擲(けんこんいってき) ってやつ。
意味は、命運を賭けて、のるかそるかの勝負をする。
ま、サイコロは既に投ぜられたのだから、そっち(監督就任) のほうは最早良い、として。
この前のW杯決勝戦を観ながらつくづく考えたことなんですが、
来季目指そうとする蹴球スタイルの根本的な思想においては、
どうか、イチかバチかのサッカー、という文字を、徹底して排除してもらいたいものだ。
端的にいえば、ピッチを目いっぱい使い、やすやすとタッチラインに逃げることはもう止めて、ボール支配を諦めずに、相手より先手先手で多くボールを動かしてゴールに向かう、そんなサッカー。
そのためには、まづは、ゆるぎないほどに、各個の技量を磨くことから。
どうです?
実に、ささやかで控えめな注文でしょう?
では。