選ばされている〈個性〉。

自分のお好みで、心地よく生活を演出し、満たしたいのはわかる。

日本くらい社会の高年齢化が進んで落ち着いてくれば、なおさらのことだ。

でも、よくよく考えないと、自分で選んでいるつもりであっても、実は、すべては、都合よく与えられている事物や希望であることが、なんと多いことか。

つまり、メディア、情報媒体によって、自分の感性、趣味性、視点のかなり大きい部分が、巧くコントロールされている情況なのだ。

メディアはいくらでも、社会的な(富と力の)分配を牛耳っている体制に接近するし、その代弁者としても利用される。

こういう事態は、もう何十年と続いてきたから、空気みたいなもんで、馴れっこになってしまっているんです。

だから、〈個性〉という言葉も曲者で、誰かがあなたに勝手に押しつけている可能性が高い。

個性とは、せいぜい、人の手の感触や、動きの繊細さについて云うこと。

個性、という言葉をやたら使う人々は、疑ってみるべき。

では。