勝機の方程式 と山雅 (長野戦レビュウ❷)

今回は、チト乱暴な内容ですが、お赦しを。

サッカーという、きわめて感情的で、ミスの多い競技にあって、勝機を手繰り寄せる方程式とは、

チーム戦術(スタイル、プレイヤー配置など) × 各個の技量 × 相手スカウティング

と、おおざっぱに考えてみた。

(ここに、スタジアム環境(応援、雰囲気、天候)も入れたいが、話が複雑になるからあえて省略)

はた目でもって、昨日の両チームついて数値化すると、

長野  ☞  7.0  ×   6.5   ×   2.5  =  113,75

松本  ☞  7.5  ×   8.0   ×   4.0  =  240

……、という塩梅で、これ、得点と、ほぼ同率の差となる。

松本のほうに、個の技量で多少の優位はあれど、共に自分のスタイルをまっとうした時間帯は持てた。

最大の勝敗の分かれ目は、相手をどれほど深く研究したのか、であったと思う。

そこの数値にかなり差があったので、掛け算の答えは、山雅に大きく出たのではないか、と。

これを見て、いや、双方が相当数のシュートを放っているから、〈決定力〉の差だよ、といった議論があるかも知れない。

ちょっと待ってもらいたい。

だいたいが、決定力という文言は、絶好のチャンスを潰した時の決まり文句であって、それは、ほとんどが個の技量の有無、程度に帰すこと。

だから、チャンスの多い少ないをあげつらってみたところで、それこそ、なんとかの遠吠えであり、勝敗はビクともしやしない。

スカウティング徹底のひとつ、を挙げると、

GKビクトルからの、ゴールキックを含むロングボールは、ほぼセンターバック真ん中の乾 大知を避けて、長野の左センターバック、あるいは、あまり上背が無い中盤に競らす、といった方策がそれ。

そして、競ったボールのセカンドを拾える好位置(相手アンカーの脇か後方) に横山 歩夢を配した。

長野からすれば、山雅のツーボランチに対し、そのままでは数的優位に立てないのだから、佐藤和弘、あるいは、パウリ―ニョの頭上を越えてしまうようなひとつ飛ばしのボール、または、サイドチェンジを敢行すべきだったのに、そういうチャレンジは案外少なかった。

#7が上手く立ち回って、空いたスペースを使うシーンも観られたから、そこでひと手間、意表を衝かれたら、山雅は苦しかっただろう。

さらに、2点目のシーン。
長野はサイドを割る攻撃にチームの意識がいっていただろうから、素早く縦にボールを入れられて、田中パウロ、ルカオの両方を捕まえるに後手になった。

で、山雅の、変わらない課題は、
ボールを持てる時間帯に、流れから得点できず、かえって相手に保持率が高まった時間に得点する、というジレンマ。

ただし、ボールを動かしているうちには、被ファール、コーナーキックが獲れるから、セットプレイでゴール、と割り切るべきか。

リーグ戦もどんづまりの今は。
(ここらに、富山戦プレビュウをひそかに仕込みます)

では。

かめのこころ (長野戦レビュウ❸)

対面の、南ゴール裏には、

ダービーは通過点、俺らのめざすは……、という横断幕が掲げてあった。

こういう正確な自己認識を持っているところが、僕の、山雅ホームゴール裏に対する信頼感の根拠、といっていい。

ついでに、煽りあいをより演出するのなら、

信濃の国、♪松本、伊那、佐久、善光寺♪ の、善光寺の部分。

ここは、ハミングでやったらどうか?、と思ったけれど、この点に関しては、そうはしなかったゴール裏諸氏のほうが、筆者よりもはるかに上等な良識をお持ちのようだ。

ひと時の停滞を、スコア 2 – 1の3連勝でなんとか挽回。

ゲーム当り勝ち点2、をチョッと上回るペースにまで戻せたのが、このゲーム。(勝ち点63 > 31ゲーム× 2 )

萬年の勘は、ラストゲームまでシーズン目標達成がもつれ込む、と教えているけれど、

とにかく、最後が他者だのみになるにせよ、みづからのできることに全精力を注ぐこと。

いまは、ただ、イソップかめのこころで、

〈我、山に向かひて目を上ぐ〉のみ。
(旧約バイブル 詩篇第121)

過度な希望も絶望も、山雅には似合わない。

カード累積出場停止で、次節、佐藤、菊井のふたりを欠くとしても、です。

では。