みづから不正直を認める者。

或る時、司書のおひとりと、会話していた。

― 〇〇さん、もしもですよ、今日、僕がこちらにうかがって、この書物の 50%の複写をお願いする。
で、だいぶ経ってから、再び参上すると、今度は、同じ図書の 残り半分のコピーをお願いする。
できれば、違うご担当者に受け付けてもらって。

これについては、貴方の見解はどうです?
ま、おそらくはお答えにならないでしょうけど。

案の定、ノーコメント、なんでありました。

著作権の縛り(詳しくは知らん)で、図書館所蔵物の複写は、50%までが限度なんです。

たとえば、住宅地図だったら、見開きの半分だったっけ?

さらに、アンソロジー形式の書籍の場合は、その中の作品一篇が、ひとつの項目とみなされてるので、その半分までしかコピーが許されない。
なんとまぁ、やり切れないわけ。
コピーを依頼されるほうも、大変だ。

― そんなルールよりも、僕がこの書物の複写を入手して使うことのほうが、ずっと価値がありますよ、どう考えても。
今、日本で、この書物を追っかける者など他にいない稀少なことです。

……の言葉を、グッと飲み込んだ。

もちろん、どんな手を使っても、全部のコピーは入手するつもり。

こういう人間だから、僕は、他人の不正直を責めることなどは一切しない。

でもね。

いままで関知してもフツーのこととして知らんぷりしていながら、世間に関心が湧き起きると、さも正義の味方みたいに、さっそうと某教会と政治リーダーとの蜜月を暴き立てるようなのは、偽善として軽蔑します。

しかも、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、といった下劣な大衆心理に訴えるやり方で個人攻撃と来たもんだ。

告発された政治リーダーが言うべきことは、決まっている。

― 宗教団体の政治活動は認められていますしね。
選挙の票は欲しいので、関係を持ちました。
これが、国法に照らして違法な行為であるならば、今後は再考します。

こんなのが、いちばん正直な姿だと思う。

(軽々な謝罪は、その人間の底が見え透くだけ、そういうのもいるようだが)

事の是非については、その発言を聴いたこっちが、次の投票機会で判断することなんだから、それで十分ではありませんか?

では。