(相手)CKをもたらした下川のクリアミス、(上門に)かわされた米原のディフェンス、前のトラップミス。
これら失点につながった失策がことさら記憶に残ってしまうのは、山雅の戦い方に一貫性が感じられないため、と改めて気がついた。
― 支離滅裂(なサッカー)だったね。
昨日、出社するとすぐに、同僚からはこんな感想。
久しぶりに聴く四文字熟語が、妙にココロに響く。
❶左サイド、下川と外山のコンビネーションに格別の相乗効果が見いだせないのであれば、下川を右サイドバックに配し、左センターバックには常田を入れる。
で、佐藤と前でダブルボランチを構成すべきではなかったか?
❷ソネさんは、表原を使っても良かった、との感想。
確かに、突っ込んでいくタレントは観たい。
それには、その前段で、セカンドボール回収の、山雅流方程式を確立しなければ。
……、と戦術的なことを並べてはみるものの、問題はもっと別のところに在るように思えてしまう。
例えば、ファールで獲たセットプレイに向かうチームからは、どっちがリードしているのかわからなくなるほどの、切迫感に欠ける、なんだかだるい雰囲気が発散されるのであった。
最下位に落ちた際に騒いだ方々よ。
萬年の心象からすると、このチーム、更に沈滞しているように思えてならないが、いかが?
けれど、こんなゲームでも、感動を見い出さなければ、やり切れぬ。
終盤にさしかかった頃、多分、岡山側の蹴り出したロングボールがタッチラインを割った。
それを、パイプ椅子に腰かけていた(ように見えた)ボールボーイが、インサイドでトラップ、そのボールがダイレクトに山雅プレイヤーの手中に渡った場面があった(ように記憶する)。
本来ならば、手でキャッチしてタッチライン際に返球すべきなんだろうけれど、山雅のユースにはなかなかの猛者がいるんだ、と唸ってしまった。
気の効かない、相手に有利な状況しか生み出せない凡庸なプレイが続く中、ゲームに射した一筋の光、でした。
では。