某自動車メーカーの、アジア担当としてシンガポールに在住の友人。
その年賀状には、こうあった。
―コロナで 一年間シンガポール島に閉じ込められていました。
文面から、改めて、ただ事ではない2020年だったんだなぁ、と察せられる。
で、興を覚え、シンガポールにおける感染状況をみてみると、
日ごとの感染者は、このところ20数名で推移している様子。
死亡者は累計で 28名となっていて、ここ3箇月くらい発生していない。
コメントには、死者を含めた重症例が少ないことをほのめかしたいのか、感染者は、20~30歳代が占めている、とある。
とはいっても、かの国にだって高齢者が大勢住んでいるのだ。
友人のように、皆が〈閉じ込められて〉ひっそり生活しているんだろうか?
情報はメディアやSNS上に溢れているようにみえても、現地の実相が、キチンと頭に入る報告がきわめて少ないのは、この流行り病に限ったことでもないけれど、COVID-19に関しては、あまりに酷すぎる。
思うに……、
❶この疾病対応について、総合的判断を下せる権威(とみなされる)者がいない。
(感染症専門家には、医学的所見だけが期待されている。ゆえに、社会的な対応策を論ずるドクターは反感を買っている)
❷ ❶の結果、
コロナウイルスの行動阻止の手当てのことよりも、ダメージとしての勤労/学業生活と、経済の苦境に関して議論が紛糾するが、最適解が見えてこない。
国政トップからはじまり市井の一個人が、遠慮なく持論を述べられる世界だ。
個人的見解を、まるでオーソリティを装って提示しても断罪されない、あるいは、存在を、社会的に抹殺されることもなさそう。
まぁ、いいたい放題で、責任を取らなくてもいいのであって、こういう分野、他にはあまりない。
新型コロナウイルスの行動は、医学的に解明されつつあるから、各自で薦められる対処をこの一年やってきた。
それがどのくらい切羽詰まったものどうかは人それぞれ、組織それぞれ。
ただ、入り口としての対処と、結果(出口)としての、累計死者3,500人。
これについては、どこの誰が評価してくれるのか?、となると、これがさっき書いたように、皆無。
だあれも、対コロナに関する社会経営の権威者たらん、とは望まない様子。
責任は取らないけれど、文句は言う、ってやつばかり。
予防の徹底度はともかく、一年かけて3,500人ならば、シーズンになると、数箇月かかって同等な死亡者で推移してきた季節性インフルとたいして変わりないじゃん。
……と割り切ったうえで、医療と社会生活で対応する、でよいのでは?、で何が悪い。
世界の大半が、枯れ尾花(ススキ)を妖怪と勘違いするような幻想にとらわれた挙句に、要らぬ社会的制限を強行した、そんな意見だって否定できない。
で、日本は、個の行動を強権発動で制限していない、という稀なお国。
これをとやかく言うつもりも今はないけれど、おそらく着地として狙っているのは、予防接種を使いながら、毎年数千人程度の死者で推移する世界なんだろう。
これを悪い夢、と思うことが甘いんだろうね。
では。