獅子の悲嘆 (2020.12.20 長野 vs 岩手)

前節の対岐阜戦、南長野にお邪魔した義理もあるので、最終節もおつき合いせねばならない。(なかば義務感です)

息子のメールには、―長野って ほんと持ってないよね、とあった。

ゲームは、0 – 2で決着。

結果、長野は、勝利した相模原にかわされて3位に落ち、ディビジョン2昇格を逃した。

相模原の動向次第では、たとえ負けても2位確保の可能性有り、という意識がチーム長野から必死さを削いだ、とは、精神論者でもない萬年には思われず。

そういった追い詰められた状況とは無関係の、それぞれのサッカースタイルのせめぎ合いが、ゲームを決めた、と感じる。

〈時間の使い方の巧拙が ゲームを決めた〉
ゲームは全体的に、長野がより多くチャンスメイクして進んだが、最後の詰めを欠く。

中盤(ボランチの岩沼など)からの縦パスを中央に入れるところから攻撃にスイッチをオンにして、そのまま中央を割ってシュートまで持っていく。
あるいは、いったんサイドへ持っていって奥までえぐり、クロスに合わせて飛び込んでくる。
―長野の得点は、これをスピード豊富にやり切るとことから生まれる、とみる。

で、当初は対応に手こずっていた岩手であったが、やがて長野の攻撃を抑止することに成功しはじめた。

ひとつは、長躯なDFがズラリと並ぶことによって、中央やサイドから入ってくる長野のプレイヤーとボールをひたすら弾きかえす。

ふたつめは、長野のサイド攻撃をタッチラインへと追いやること。
これを徹底して、反転攻撃のチャンスをうかがった。
(岩手はシュート3本で2得点、という効率的な攻撃を披露)

勝機の分かれ目は、サイド攻撃の際、ボールを回して時間を作れたかどうか。
岩手にはそれができて、長野にはそれがなかった。

つまり、サイドで時間を作っている間に前線に入ってくる枚数を多くするやり方。
スピードを持って直線的に勝負をしていく横山サッカーには、もともと装備していない戦法だったのかも知れない。(ないものねだり)

最終節での逆転は、むしろ相模原の粘りを称賛すべきだろう。

DAZN画面からの印象では、ピッチ上のプレイヤーよりはむしろ、観戦者のファン&サポーターに悲嘆の色が濃いようにみえたのは、カメラによる印象操作のゆえに違いない。

では。