フツーに完勝。 (2020.11.8 福岡戦レビュウ)

1 – 0 の勝利。

〈試合巧者、を正しく定義づけると〉
ゲーム終盤、相手はパワープレイの抛り込み戦法になるから、どうしたってヒヤヒヤするシーンが続いたけれど、内容的には、8 対 2 くらい、ひょっとしたら 9 対 1 と言ってもよいほどの圧倒的な完勝だった。

こんな完勝は、そうそうにない。

特に、アウェイ参戦ファンサポーターへの、最上なるご褒美でありましょう。

前節の栃木戦をセーブした指揮官への恨みも、これで幾分かは和らいだ、萬年。

攻撃力不足を、粘り強い守備で補いつつ、1点の先制を大切にして上位に登りつめた福岡の一貫性。

対する山雅は、(指導体制を変えて)戦略を整理しつつ、中盤(おもにボランチ)をテコ入れして、個の優位性を発揮しようとしている。

となれば、山雅の攻撃が福岡の守備をいかに崩すか?、ここに関心のほとんどが在るわけで、しかも、この対決は、どうやっても山雅に軍配が上がるのが、常道。

なぜならば、当方の、個とチームのクオリティ(技量)は、福岡のそれを相当上回っている、というリアルな裏付けがあるのだから。

ゲーム終了後、解説者は、山雅に幾度〈試合巧者〉という表現を与えていた。

これは半分正しく、けれど、半分間違って聞こえる言葉。

つまり、福岡が、巧みさ(テクニックの習熟度)において、山雅の足許に及ばない、と意味では正解。

ただし、山雅は戦略として、特別な対福岡シフトも使っておらず、我らとしてオーソドックスなスタイルで戦ったに過ぎない。

だから手練手管で、ゲームコントロールに奏功した、というのは当たらない。

唯一の例外は、セルジ―ニョが、相手の#50DFを挑発したぐらいであったろう。

〈みるべきは、アタック面〉
堅く守った、という評価は間違ってはいないが、またひとつ山雅式の攻撃思想が練度を増した、と強調すべきゲームだった、と思う。

このように書くことで、福岡というチームとやり方を貶めているわけでは決してなくて、とにかく徹底して強みを押し通せば、リーグ戦でそれなりの戦績を残せる好事例なのだ。

その点は、大いに参考にすべきであろうが、ただ、山雅はそれだけでは済まされない経験値を積んでいるのだから、〈魅了する攻撃サッカー〉の旗を下ろすわけにはいかないのも、また事実。

もちろん、大野や常田が、おぉっ!と言わせる、相手を交わしての持ち出しを魅せたことは、忘れておりませんよ。

得点者の太郎は別にして、このゲームの殊勲賞は、俊足を活かしたカバーリングで、あわや先制される危機的なシーン、相手FWと競ってフリーで打たせなかった橋内 優也。
それに、右サイドバックを難なくこなした浦田 延尚のふたり、としておきます。

加えて、コーナーキックを佐藤 和弘が蹴る、というチーム戦術。

これによって、セルジ―ニョが中盤に残り、クリアボールを即カウンター攻撃に直結できるようになりますから。

では。