勝ち試合の後で、ほぼ毎度繰り返されるのが、山雅らしさ、を讃える論評。
ようやく、らしさが戻ったね、とか、やはり山雅はこうでないと、とか。
でも、たまねぎの皮をく剥くように、その〈らしさ〉を追求してしてみても、果たしてそんなものが在るのかいな?、と思う。
これがファジアーノやロアッソならば、髪の毛を染めていない、ピアスをしていない、とかになるんだろうが、
推察するに、Jリーグ参入したての数年、他との技量差をなんとか埋めてリーグに伍していくために発動された、身体を張ったプレイなんかを指しているのか?
危機の瞬間には身体を投げ出す、最後まで投げない、強度の高いプレイ。
これらは一流のプレイヤーやチームに共通した姿勢であって、なにも我がチームの専用精神でもあるまい。
バルセロナやマンチャスターCだって、フツーにやっていますよ。
J参入10年近くになり、そこそこなクラブに育った今こそ、~らしさの内容を、捉え直すべき時季かも知れない。
では、萬年の考える山雅らしさ、とは何か?
それは、元日本代表のスターDFを誘うとか、元五輪監督や、高校サッカーレジェンド監督を招聘するような、突拍子の無さにほぼ尽きてしまう。
今後も、唐突なことをやらかしてくれることを内心で期待しているのです。
チームのプレイスタイルが、個々の高いテクニックを基礎に据えた戦法となることは、もはや必至な流れでしょう。
先日、家人が娘息子たちに、ビッグニュースがある、といって発信したら、
まさか、イニエスタが来るの?、と返信した子があったらしいけれど、そういうノリこそが、山雅なんだ。
ところで、この記事が冗談と思われては心外なので、~らしさ、について、最後にすこしマジメな話をしておく。
それは、J2では屈指のクラブ力、けれどトップリーグ未満の財政規模、といった中途半端な立ち位置を、しっかりと胸に刻む、ということ。
山雅とのつき合い方や、週末の過ごし方をより楽しむには、かなり重要なことと思いますがね。
具体的には、
そのプレイスタイルはともかくも、レアンドロ ぺレイラやイズマを活かせないチーム戦略が、もっと議論されてもいいだろうし、
大野 佑哉に続く、生え抜きのレギュラー定着が渇望される。
榎本 樹や山本 龍平らを、決してあきらめてはダメ、ということ。
では。