懐かしい山雅なのか? (2020.9.05山形戦レビュウ)

PKの得点によるリードを守り切って、1 – 0 の勝利。

帰り道のざわめきには、
―追加点だよね、欲しいのはさ。
……なんて声もあって、それはまさにその通りなんだが、ゲーム采配として、みるべきものがけっこうあったのは確か。

〈割り切り、の高みへ〉
先発トップとして、服部 康平。
岡山戦レビュウでそういう起用を注文したのだが、まさにそう来たか。
流れからすれば、そうなると思ってはいましたが、山雅首脳、まさかこのブログ見てないよね?
プレビュウで指摘したように、むづかしくしないやり方を採るのならば、ひとつの必然なのです。

悩んだのはおそらく、ボランチの組み合わせ。
昨夜は、攻の米原、守の息吹でしたね。
米原は守の部分で、マークにウロウロする場面もあったが、まぁ及第点か。

サイドは、後半にシフトアップを仕込んでおいて、右は吉田と杉本、左は高木 利弥とセルジ―ニョでスタート。
山形は、右サイドの松本と加藤 大樹のセットが強力なので、どうしても山雅左サイドが押し込まれる展開になったが、我慢して良く対応した。

特に光ったのは、GK村山を中心にしたDF陣の出来でした。
相手にこちらの2倍のシュートを打ち込まれながらも、ハッキリしたクリアとボールカット、徹底したボールホルダーへの寄せと、最後の部分を譲らないこと。
プレイから迷いと逡巡が消えたのが、ゴール裏からも感じられる。
途中投入の乾 大知、ラインコントロールも無難だった。

終了まで10分を過ぎた頃から早々に、相手コーナーで時間を進めようとするなんてのは、最近の山雅にはなかった意思統一。
追加点を捨ててでも、ぶざまさを怖れずにやる執着、ってやつだった。

〈先祖返りじゃなく、前へ進め〉
割りきりと、ロングボール多用のスタイルってのは、何年か前の山雅を彷彿させる。
けれど、単に元の場所に戻らないクサビを打ち込まないと、最近の積み重ねと新生山雅が、無駄になる。
❶昨夜のフィールドプレイヤー先発10人の平均年齢は、公式サイトの年齢から計算すると、25.1 歳
そこにはレンタル組をやりくりする事情があるとは言え、世代交代は着々と進んでいて、これを止めてはいけない。

❷(萬年の中では必ずしもオーライではない、前半我慢で後半勝負の思惑を仕込んだ上の) サイドの活性化。
吉田➡前 貴之、高木 彰人➡久保田、の後半開始からのチェンジ。
さらに、70分過ぎ、杉本➡鈴木 雄斗の入れ替えは、かなり効いた。
これ、昨夜のゲームやりくりの眼目だった、としておきましょう。

徳島戦のように序盤に複数失点がなければ、このテコ入れは有効でしょうが、さて、この先、攻守をどうコントロールして勝ちに持っていきましょうか。

〈クラシカルで不思議なゲーム〉
―勝ったけれど、PKなのね。

スマホで速報を追いかけていた家人が帰宅してこうおっしゃるんだが、スタジアムで観戦してはじめてわかる様相は伝えきれない部分でありまして、
例えば、あれだけ特に左サイドから侵入された山形の攻撃ではあったが、そのボールの動かし、人の入って来方が、観ていて予測可能というか、馴染み深さを感じるんですね。
あぁ、こう来るだろうな、と素人目に納得できる。

クラシカルな攻撃、とここでは表現しますが、そうなると、守る側にしっかりと胸を合わせている、守れている、といったリズム感が生じるんですね、きっと。まぁ、防戦にはかなり必死ではあったけれど。

また、自身ゾーンディフェンスを採るチームであるからこその、ショートコーナーを徹底してくるところとか。

石丸サッカーは、テクニカルなあだ花を排除した実直さが際立っていて、対戦していて妙な安堵感を憶えておりました。

ひょっとしたら、こういうスタイルは、今のディビジョン2にあっては、稀有な存在かも知れません。

もっとダーティにやるか、もっとスカして真っ向から行かないで剥がす、ってのがトレンドではないか。(千葉の苦戦も、そんなことを象徴しているのかも)

山形との対戦を、しっくりとこなせた山雅。

よりシンプルに迷いなく、の方向は良いとして、さぁ、どうやって先を見据えましょうか?

で、最後に身内を斬ってしまうんだが、昨夜の入場者は、ほぼ2,500人。
最近の戦績に影響されたことが、顕著な数字ではある。

ということはだ、山雅ファンサポーターの諸君は、他者からはどう言われようとも、これから自らを他クラブに比して格別の存在とは公言はできない、がハッキリしたということです。

コロナ感染がよっぽど怖い、のなら別ですがね。

そういう意味で、昨夜のチケット代は、それに見合う授業料でありました。

では。