一糸乱れないことの 異常。

TVで、高校野球の試合をやっていた。

COVID-19で中止になった夏の甲子園の代わりにせめて、ということか、〈交流試合〉との見出し。

それなりの強豪同士の対戦らしいが、改めて〈甲子園の偉大〉に思いが及ぶ。

おそらくは、某新聞社の宣伝が動機で始まった年中行事。

が、いまや、野球部が在れば、いかなる進学校といえど、その階層的な勝ち抜き戦に組み込まれ、そこに疑問も感じないところが、すごい。

もちろん、仕掛けた新聞社のほか、あらゆるメディアが報道してくれる。

応援部や吹奏楽部、夏はほとんど、野球部の私設応援部の体だ。

ラジオ体操は、だらだらやると見苦しいけれども、かと言って、一糸乱れぬ整然を強要されてもカチンとくる。

青年の家に泊まってるんじゃないのだから、タオルの畳み方ひとつを、とやかく言われたくないんだが、しかし、交戦は避けたい平和主義者の萬年。

家人への口ごたえは止め、布の耳を丹念に揃えるのであった。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (8/14 15:50)
小さな心遣い 忘れずに。
一糸乱れぬと言えば、北朝鮮やナチスドイツ、最近では、日体大の行進を思い出すが、あれはプロパガンダであり、見せ物と言ったもの。
現実を生きる上で、一糸乱れぬはいけません。
私は、家事が結構好きで食事を作る以外何でもするのですが、わざと完璧にはやらない。そうでないと奥さんも困るし、家の中が整然とし過ぎては空気が和まない。丸く掃いてなんて文句を言われる位が丁度いい。
文句を言われれば頭を下げて、髪を切れば褒め称え、料理を食べれば旨いを連発、重い買い物袋提げて帰宅すれば玄関に駆け付ける。
会社ではなかなか出来ない、小さな心遣いを家では見事に実践している。
これくらいの事で、我が家は平和が保たれている。
では、また。

☞萬年より  (8/14 17:09)
直近、ある事実に気がつきました。
COVID-19への対応が比較的に上手くいっている国の政治リーダーのほとんどは、女類出身の方々であることを。
つまり、明快な単純化による政治手法、の勝利ではないか?
これをジャガー氏に話したら、
―だったら、東京都の場合は、どう説明するの?
と言われ、この方の政治手法は、極めて男類的思考によるんですよ、と苦しい返答をした次第です。