意味なきルーチン は聞き飽きた

感染者が何人、という事実は、それを淡々と知れば良い。

どこにいったら、統計的な数字を確認できるのかがわかっていれば十分。

やれ最多とか、連続何日とか、煽るような形容詞はそろそろ止めにしないか。

国民もそれほど阿呆じゃないから、数字の羅列ばかりが続くと、お上や報道の上っ面なのが透けてきてウンザリだ。

感染者数を数えているステージはとうに過ぎて、もっと深い分析によって僕たちの生活の方向を探さなければいけない。

……似たようなことは、数日前に、専門家が発言したらしいが。

感染者数の意味することと、目標から導かれる対策、それを知りたい。

対策といっても、家庭と社会生活の決まり事を超える高度な内容だ。

民の理解力をナメてはいけない。

この数字でいけば、医療体制がどうなるのか、集団感染を突き止めてつぶす今のやり方の有効度はどうなのか、どこに流行り病と生活の調和点を置くか等々。

国として、COVID-19を、いかほどの病として定義するのか?
季節性インフルエンザと重篤性をどのように分けて考えるのか?

重症化がある程度抑えられていれば、一定の感染推移を、社会戦略として許容せざるを得ない、という考えだってありだ。

感染数が少ないに越したことはない、というのはもはや答えにもならぬ。

そこまでを突っ込んで、地方政府はキチンと発信すること。
感染状況の感想で終わるような今の会見は、リーダーの無能オンパレードではないか。

いよいよ困ったら、非常事態宣言を持ち出してくる?

国民の自発的な自粛意識に頼るしか手がないのならば、その前に、事実分析に基づいた戦略と戦術の説明をしっかりしてくれよ。

これが病災だからまだしも、次は砲弾が飛んでくる厄災だってあり得るんだから。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (8/10 15:46)
我が青春の呻きを聞け。
今から45年ほど前、高校3年の秋季体育祭での話。
大変暑い日だった。体育祭終了後、生徒達は校庭の隅にある水道の蛇口に殺到した。翌日から腹痛、下痢で休む生徒が続出した。原因は赤痢であった。地域の人に伝染させないため休校の措置はとられず、普段通りの授業となった。その合間に、1日2回保健室で検査となる。保健室でパンツを下ろし、前屈みの姿勢をとらされ両手で肛門を拡げる。不埒にも、クラスの女の子もあんな格好をさせられるのかと妄想したこと、若気のいたりとお許し願いたい。そこでの検査で陽性となると即、隔離病棟へと、連れていかれた。(今は隔離はない)
検査は、ガラス棒を肛門におもむろに差し込まれると言うものだった。すると思わず「あっ」と呻き声が出てしまう。情けない限りである。
私は感染を免れたが、その後秋は深まり冬を迎え、翌春、東京に出て本格的に大人の階段を昇り始めるのである。
では、また。

☞萬年より  (8/10 17:30)
青春時代とは、アッケラカンというのは稀で、むしろ暗鬱なものですが、それにしても、すざまじい集団感染でしたね。
上水は、次亜塩素で殺菌してあって、蛇口から出る水質は自治体で保証してあるはずですが、もしや、井水だったんでしょうか。
貴重というべきご体験かと存じます。