見て見ぬふりをする 嘘 (その2)


濃厚な接客を求めて通うお店、多勢が押し込められる興業。

COVID-19感染を防ぐためには、それらの規制には反対しない。

しないけれども、他方で、通勤通学電車/バスに復活したすし詰めを放っておくのはいかにも怠慢でしょう、都知事さま。

東京の暮しの中で、もっとも密集が生じる場、それも継続的に。

ここを手当てしなくてほんとうに良いの?
利用者の自助努力にもたれかかるのも、いい加減にしないと。

首都の感染判明者のうち、半数は感染経路が不明なのに、
最大かつ日常的〈密〉に頬かむりしている限り、自粛要請にも迫力が出ない。

行楽や旅行ばかりを目の仇、仕事はしゃあないだろう、と黙認を決め込む。

あたかも将来的な布石があるような〈研修〉の名の下で、日本人がやりたがらない職種に限り、外国人を連れてきて当てがう。
―これとまったく同じゴマカシ。

国家を挙げての嘘に、皆が見て見ぬふりをしている国ならではのお家芸、と思っている。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより (7/24 15:22)
見ぬふりは簡単だけれど。
我が国ならではの国民性、見て見ぬふり。あの人そこが変だなと思っても、まずそこを指摘することはない。言って相手が気を悪くしたら悪いと思うからだ。日本人にとっては「和を以て貴しとなす」が、大切なのだ。
そんな見て見ぬふりが、いざ自分に災難が迫った時、まさか自分に振り掛かる事はあるまいと言う考え(正常性バイアスと言うらしい)につながるように思う。
自分の命を自分で守るには、身に近づきつつある災難の正体をまず、見ぬふりをせず直視する事、そして行動に移す事が肝要なのだろう。
では、また。