公私混同の体質。

若ければ、一年に一度の逢瀬(七夕)とは絶望以外のナニモノでもないだろうが、そんな繰り返しこそ長続きの秘訣、などと思ってしまう昨今。

物事はその一面では測れない。

例えば、〈公私混同〉がそれ。

このコトバ、公的(組織)のものを、私的に流用することを責めて言う場合が圧倒的に多い。
会社のボールペンを家に持ち帰る、といったかわいいものから、数億円単位で会社の金を使い込むなんて大罪に。

でも、考えてみよう。
私的(プライベート)な時間を、会社が当てにしている、つまり公的に使わざるを得なくしたり、その成果を甘受してノウノウとしていることのほうが、ズッと多いのだ。

あらかじめ8時間以上の拘束が必至の業務分担/シフトが当たり前であれば、働く側も、それなりに体力と時間配分をせざるを得なくなって生産性を落とす。
すると、ますます残業の沼から抜け出せない。
残業代がないと生活が成立しない世界にハマる。

COVID-19の騒ぎでわかったことは、今の経済が、いかにゼニを多く使わせる思想で成り立っているか、ということ。

日本人すべてがお金を使いたくてウズウズしているとも思えないが、倹約できて良かった、なんて言葉は、一向に聞こえては来ない。

こじんまりでも内容は濃く、閑散は当たり前。

やがて来る社会が急に来ちゃった、と考えるべきなのに。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (7/6 6:45)
時は金なり。
鏡に写る時計を見て「あれ、何時?」と、一瞬間が空く自分の理解能力の無さを嘆くような今朝のブログでした。

飲食店がもしも、お客の数を制限しても、あるいは時短営業をしても商売が成り立てば。
もしも、リモート授業だけで、充分な学力を養えたら。
もしも、自宅でのテレワークだけで仕事がこなせたら。
今まで無駄な時間、無駄な出費が如何に多かったことか。
結果、自分の時間、家族との時間も多く取れ、このコロナ禍、あながち悪い事ばかりでは無いことに気付かされる。
そんな理解で良いのでしょうか?
では、また。
☞萬年 より  (7/6 16:04)
(経済)成長とか、豊かなこと、などは、とっくに国家/社会的に再定義すべきなのに先延ばしにして、やっていないな、という感じですかね。
そのため、未知の将来に備えなく突入してしまうんじゃあないか。
先が短い僕らはともかく、春秋に富む世代は大変だなぁ、と勝手に思っています。彼らにとって、大きなお世話であれば良いのですが……。