喜劇とはすべて、他人の悲劇を描いたものである by 萬年
笑われる題材はすべて、登場人物の失敗、苦しみ、無様さ、疎外だ。
サー チャールズ(1889~1977) は、主演作の中で、自らを徹底して笑い者に描く。
ジェントルマンであるかは、ボクシングでダウンを喰らい、テンカウントを宣せられるその瞬間でも、自分を笑って眺められる精神を持てるかどうか、らしい。
自分を笑い者にすること、これにはかなり高い精神性を要す。
(他方、他人を笑い者にすることは、かなりお楽な道)
なので、チャプリンの作品を観ていると、いつしか単純に笑えなくなってくる。
自分を笑い者にできる人格の孤高が、胸に沁み込んでくる、と言ったら良いのか。
英国には、自分(=役柄)の拙さや愚かさを、冷ややかに演じられる役者が目立つ。
ふたりのピーター、すなわち、ピーターオトゥール(1932~2013)、ピーター セラーズ(1925~1980)は、その中でも萬年のお気に入り。
今回は、セラーズが、ひとり三役を演じ分けた『博士の異常な愛情』(Dr.Strangelove or:~ 1964年、英米合作) 中のワンシーン。
ナチスドイツの科学者(車椅子の)と米国大統領(禿げ頭)が、セラーズでございます。
世界の破滅、という大悲劇が題材の喜劇。
これを大笑いするのが、作品への敬意/礼儀でありましょう。
では。
〈コメント〉
☞つーさんより (6/23 17:22)
他人の不幸は蜜の味。
松本清張の小説のテーマに良くあるエリートの転落ものが好きだ。
しかし現実の人間には、他人の痛みが解る人と他人の気持ちに全く
せめて、チャップリンの笑いに隠れた心の悲しみの解る人間ではい
では、また。
☞萬年より (6/23 18:47)
他人の失敗=自分の成功、みたいなのも人間。
清張では、『霧の旗』を思い出しますね。
弁護士による無関心の罪……と復讐。
弁護士モノから、『事件』(原作:大岡昇平)を思い出し、テレビでは若山富三郎が弁護士役。
そしたら、共演した草野大悟、を思い出す。
なんとも……。では。