敗因など決まってる(滋賀戦レビュウ❷)

萬年による、滋賀戦における敗戦の原因追求は、ひたすら、

無益な、~ダッタラ、~レバ捜しはおこなわず、

これからも使用すべき山雅の武器、強みの発揮に焦点を当てる

❶ゲームラストの 20分間を、無得点で費消したこと。
田中 ソラのヘデイングゴールが決まり、スコアを 2 – 3 にしたのが、

ゲームの80分。

リザーブメンバーの投入は、その5分前、すなわち 74分になされていて、

最後の追い込みに入ったばかりの時間だった。

ウイングバックは、そっくり刷新(右は北爪、左 リム)され、そこと絡むシャドウは、右 カネショーに、左 村上ハルト。

さらに、ツートップは、田中と田口の、タ/タコンビへと変換。

これは、明らかに、サイドを侵していって、そこから中へ、ゴールに迫るメッセージと戦術だった。

もちろん、時間進行の前提には、

リードした滋賀が、蹴り出しやロングボールによって、山雅による波状攻撃圧に水を差すだろうことの自明があって、

かつ、時間が進むにつれて増す、メンタル的な焦燥が。

高知戦と同様に、

ゲーム終了前20分近くの猛攻撃態勢は、こっちがよほどのリードを保っていない限りは、はじめからプランニングされているはず。

それまでの得失点の有り様がどうあれども、

このメンツで無得点に終わったことを、次への、修正すべき課題と考えます。

そもそも、ラスト20分に挿し込むべき態勢なのかどうか?、も含め。

❷あえて、追記すれば(前記事でも触れた)

最終ラインを高く保つのであれば、

センターバックと、ゴールキーパーの間の、広いスペースをどうやって治めるのかの、意思統一と、方法論の徹底。

未対戦の残り 18チームが、

縦の裏抜け、あるいは、

こちらの前傾姿勢をひっくり返すために、ポンポンサッカーばかりを駆使するのかは不明ですが、

ゲーム開始のつばぜり合いや、

ゲーム状況では、やはり、仕掛けられる場面が多かろうから、対策をおろそかにはできません。

過去2戦を観る限り、ボールがピッチに落ち着くのには、前半の半分くらいの時間を要していますからね。

もちろん、山雅自身が、その戦法を使う使わないもありますけれど、

とにかく、そこで、後手に回るな。

では。

飽きさせないゲームだった (2026.8.16 滋賀戦レビュウ★印象論)

大芝生から既に出立した息子から、

やはり、大芝生に向かっていた家人(と僕)に電話があって、その第一声が、

― 期待どおりに、やってくれるよねぇ、だったらしい。

2 – 3 の逆転負け。

もちろん。

期待どおり、とは、皮肉なんです。

決して、息詰まるような被弾でもなかった、等々の……。

山雅らしい、というか、やっぱりこれかよ、といった、そんな思いから、直感的に出た言葉に違いない。

たしかに、しっくりくる、馴染み深い感の負け、でありました。
よくやった敗戦が、このところ、なかなか思い浮かばない。

(しかも、4月の大宮戦以降、ホームで勝利なし)

― 今日のゴールキーパー、キャッチングしてたっけ?、と、また、息子。

失点を、心底、責める気にはならないのは、

おそらくは、まだ、第2節消化の時点だからでしょうが、

がら空きのゴールのネットを、やすやすと揺らされる、ってのは、

観ていて、あまり心地よくはない。

ここらは、高く陣形を上げることによって出現する、センターバックとゴールキーパーのところの広大なスペースを、

どうやって管理するのかを、チームの方法論として詰める、ってもんでしょう。

北ゴール裏同志のチノ氏いわく、

― 多岐にわたる修正は、時間を要するように思う。

が、第10節を終わった時点で、勝ち点20 (ゲームあたり平均勝ち点2)を、積みたいね。

たしかに、たしかに。

そういう眼からすると、

満足できる結果ではなかったものの、

良い点といただけない点が、にぎやかに混在するゲーム。

つまり、飽きることはなかった。

しかし、ですよ。

代表取締役CEOが、ゲーム前の挨拶で、力を込めて、

毎試合、〈満足できる〉ゲームをお見せします、と宣しているわけだから、

それを、初っ端から裏切るようなことは、現場としてマヅイでしょう。

それとも、

次節愛媛戦の集客に水を差すことによって、

ポケモンミニトートを、すこしでも獲やすくする(倍率を下げる)、という心配りなんだろうか。

まさか……。

では。…

切り札の予感です。 (滋賀戦プレビュウにかえて)

かつて。

手塚 治虫が、どこかで、

天才スナイパー〈ゴルゴ13〉(by さいとう・たかを) のネーミングは出色。

やられた!!、と思いましたね、と語っていた。

聖書のゴルゴダ(丘)から採ったことに感心するのは、いかにも、古典を愛する手塚らしい。

……冗長な前置きで申し訳ありません。

ここ何試合か、山雅を観てきて、

レイラック戦ばかりではないけれど、

今後、背番号#13 村上 陽斗が、山雅ゴールの切り札になる予感がしている。

単にゴールを重ねる、というよりは、相手ペナルティエリアのあたりで、決定的な仕事をする、といったことによって。

その根拠とは、実に薄弱なんだけれど、

攻撃に転じた際の、

後方からの押し上げスピードと、(ボールを予測した)位置取りの良さが、かなり目立つ。

柔和で、気弱そうな風貌からだと、

山雅の狙撃手、と呼ぶのは、流石に、はばかられますが、

切り札(ジョーカー)として、

2列目あたりからの果敢な飛び出しを、大いに期待。

それと、大卒2年目の彼。

となれば、山雅には、この世代がけっこう多いから、

切磋琢磨して伸びる環境に、一役買ってもらいたいですね。

では。

安堵のホーム開幕戦(vs レイラック滋賀FC)。

第2節にして、既に、ホーム開幕。

これが、秋春制の旨味ですな。

このゲーム、いちばんの見どころは、毎年のならわし、〈花火〉

今回は。

HTKさんによる催しが、今秋も実行されるニュースと同じタイミングで、

HTKさんと、その親会社 ミネベアミツミさんとの、パートナー契約がリリースされた(と記憶する)ので、

僕にとっては、花火が上がるのと同じくらいに、

県内製造業売上トップの会社の支援を得られることが、実に、嬉しい報せ。

なんなら。

現在、レディースの領域に踏み込んでいる山雅なんだから、

この際、そっちの方面にで、力をお借りしてもいいんじゃあないか?

たとえば、WEリーグ参戦中の某チームは、脇に置いとくとして、

アマチュアの最高峰 なでしこリーグ参入を目標にして、

この際、AC長野さんに声をかけて、

全県一体の、レディース(成人)、ユースを再編成してしまう。

チーム名は、

そうですね、〈みすずユナイテッド〉は? あるいは、しなのユナイテッド、とか。

人間、みづからで限界や境界をつくってはいけません。

 

……妄想はこれくらいで、

ほとんど情報がない相手、レイラック滋賀FC。

同一リーグで戦う限りは、すべては、楽なゲームではない。

けれど、

現在の山雅は、対策的サッカーをせずに、ひたすら自己流を貫徹するべき

タレントの顔ぶれからすれば、長短のボールを自在に使わないともったいない

そして、交代カードが切られるたびに、強度が増すイメージで。

ただ、ひとつだけ。

特別リーグのスタッツをみる限り、レイラックは、得点力に悩んでいる。

そのあたりはテコ入れを図って参戦しているはずだが、

得点の、40%強を、セットプレイから獲ている点を、アタマに入れて闘いましょう。

では。

この時季だから,ではなくて。

僕は、8月15日を、それほど、絶対視していない。

つまり、この日を境に、日本が180°までは変わってはおらず、

滅びたのは、絶対天皇制くらいで(徹底的な武装解除政策は、その後、数年で変更される)、

2発の原子爆弾によって、万事休した日本政府が、ポツダム宣言受諾を宣した日に過ぎない。

もちろん。

米国が、投下の正当性として主張するとおり、本土決戦が敢行されていたら、もっと多数の日本人が殺害されたことは、間違いない。

ただし、米国には、原子爆弾を使用しない選択肢もあったわけだから、

投下について、知らんぷりや、正当を決め込んでもらっては困る。

(日本人のほとんど誰もが、いまだに、米国の投下責任を追及しないが、何故?)

そうしておいて、米国発の音楽、流行を受容する僕ら。

……前置きはここまで。

勤務先の食堂に置いてあった、某市民タイムス8月9日版を、山雅の話題でもあるかやぁ、とめくっていたら、ひとつのコラム記事。

佐藤 進氏 署名。

冒頭、ひとつの短歌を採りあげておいて、

その作者の石川 啄木が、最晩年(26歳で亡くなる)に、

社会主義思想に関心を深めていきました……と続ける。

啄木が、社会主義に〈好意的な〉関心を持ったのは、間違いない。

が、当時の、

かなり無理をした格好での、後発的の急激な、資本主義化が進む状況下では、

知識青年層の多くが、社会主義への憧憬を抱いたのであって、啄木が特別ではない。

もちろん、啄木を題材に採りあげることは構わない。

氏は、つづけて、

その目指した理想は、共同原理に基づく民主主義と平和主義、そして福祉主義の相互扶助の社会だった、と。(ここらは、岩手県立図書館による資料の抜粋)

これを引用するなら、なぜ、民主、平和、それと社会の3つの主義が、セットなのか?を、歴史の検証によって述べねばならないが、

それも、ここでは、我慢するとして、

問題視されるのは、段落が変わって最初の、

平和憲法が邪魔とばかりに戦争準備が着々と進む今を、啄木が見たらなんというでしょうか。(原文) ― の文言。

マジメに反論するのが、かなりしんどいのだが、

平和憲法が邪魔とばかりに進む戦争準備……か。

僕は、フト目にした記事だから、これがシリーズ化していて、この筆者による、他のキチンとした論証を見ていないせいかも知れんが、

しかし、こういう呈示のしかたは、ひとっ跳びの決めつけ論調で、かなり狡く粗い。

して、最後の締めはこうだ。

啄木が生き返ったら、今の日本をみて、

― 国民を守るどころか滅ぼしかねない戦争を、なぜ?と問うのでは?(原文)

ならば、

この筆者に訊ねたいのは、

❶押し付けられたものだが、せっかくだから、第9条の理念は、都合よく使う(僕の考え)として、

リアルな世界情勢で、独立国の日本が、武力(=軍隊)を保有することは避けられない。

ゆえに。

国民を守るような(可能性としての)戦争の〈仕方〉について議論することが、僕らのすべきことと思うが、どうか?

❷国民を滅ぼす戦争とは、具体的に、どういう戦争をいうのか?
負けいくさをするな、ということか?

とにかく、それを規定した上で、

制度的な防止策を議論すべきだと思うが、どうか?

❸最後の蛇足。

日米安保条約による在日米軍の件。
もしも、条約を破棄、あるいは修正して、米軍基地を廃すれば、
有事のために、備える自国軍隊とその装備は、いまの国家予算の規模ではとてもおこなえないが、どう考えるのか?

たかが、いち地方新聞の、エセ平和論に対し、

真面目に、喰いつき過ぎた、かな。

では。