個と連携のコーディネートを (選手権決勝レビュウ ❷)

結果は苦かった、かも知れない。

または、

さて、2 – 0 か、3 – 0 か、と思いながらスマフォを覗いた時の家人のごとくに、

えぇっ~ ?!、と存外の驚きだったようだ。

甲府戦がよかったから余計に……。

勝敗に一喜一憂はわかる。

が、結果一辺倒の、単眼的な応援は、あまりチームを利さない。
こういう手合は、ミスをあげつらい、上手く対応できないと、即、精神論に走る。

すなわち、気概が、(相手に比べて) 不足している、とか。

これから始まる不調の時間を極小化しなければならぬリーグ戦では、

アルウィンが、近視眼による責めと怒声に満ちないように願うしかない。

でないと、新進のゴールキーパーひとり育てられないだろう、我々は。

敢えて言うなら、精神論が登場すべきは、

スコア的な不利に陥った時の沈着冷静を保つべき時。

……ただし。

これを、ひとつのプレシーズンマッチと考えるから、

けっこうな課題をもらえた、という成果はあったと思う。

その最大が、

個の技量の発揮が、チーム連携によって、もっと促進されなけらばならない。

原理原則は、

優れた技量があってこその、コミュニケートと連携の成立であって、

その点が、長野戦では、ぼやけてしまった。

❶たとえば、某メディアは、甲府戦を含め、

現況、#17田口と、#8澤崎によるツートップ、と評するが、それは違う。

(だいたいが、ツートップの縦関係、とは虚妄)

甲府戦は、配置と作用からして、田口とカネショーがトップをはり、

澤崎は、村上と、シャドーをこなした。

ところが、長野戦では、田口と澤崎が、横一列に並んでしまった。

もしも、あれが、采配あるいは自発的な動きだったとすれば、不可解。

澤崎は、その〈器量〉からして、トップ下で、アシストを狙うべき才能。

でないと、誰が、中盤と前線を繋いで、ボールを前へ運ぶのか?

田口が発端となって(ロングボールを)引き受けることで、チームがそれを手中にしたければ、

衛星的に、その近くには、カネショーが周回、ではありませんかねぇ。

結果、各ラインが分断され、金子 光汰は、単騎孤立、中盤が空いた。

❷カネショーがトップに居るべき、もうひとつの理由は、

金子からの配球によって、

右ウイングバック樋口の突進を引き出すため。

長野戦では、前半、この右サイドが不活発であって、そこへのサイドチェンジがあまりにも試みられなかった。

❸ゲーム終盤で、安永 玲央が投入されて、金子 光汰はセンターバックに落ち、

さらに、蓑田が、トップにあがると、

あれま、結局は、4 – 3 – 3、 みたくなった。(悪手ではない)

すると、推進力と中盤支配の機会が増して、ゴールを狙えるようになる。

それなり技量の個を保有しているのだから、

攻守における能動性と先取を大命題とするのならば、

中盤で、堅い連携を保たないとゲームがつくれません。(開幕への教訓)

では。

鏡の中のかつての自分 (2026.8.2 県サッカー選手権決勝レビュウ❶)

昨夜。

帰宅して、ちょうど玄関に入った時だった。

携帯に、職場の家人から着信。

(仕事中でもあるゆえに) 声を押し殺した、詰問調で、

― 0 – 2の負け、って。そんなにヒドイ試合したの?

― うん、まぁ。
(意図ぎくしゃくの) ミスに近いバタバタの 2失点だからね。
ま、点が獲れないことが、致命的。

……さて。

今回の対戦相手の戦略は、徹底していて、

その根本思想とは、相手の嫌がることをやり続けること

中盤を無力化すべく、スカしたロングボールを後方へ、と入れておいて、

そこに殺到しては、セカンドボールを拾う。
(そう決めてあるから、手中にできる)

人数をかけた早い寄せで、相手の能動的な動作と、パスコースを消す。

で、リズムの不調を誘って、取りこぼしを狙い、速い攻撃を敢行……。

これこそが、かつて、

後発クラブとしてJリーグ参戦した山雅自身が、多用したサッカー。

それがハマって、それなりの成果を挙げたけれど、

そのような過去があるから、

戦績とセットで、あの手法が、〈いつか見た良い景色〉となって、観る者の脳裏に刷り込まれた。

でも、その先に、なにがあったのか?、ということを自省してみれば、

いまからそこへと、先祖返りもできない相談なんだが、

この前のアルウィンに続く、小林監督の連続的な作戦勝ち、と言えましょう。

この結果をして、軽薄な論調は、

新造山雅を、オール オア ナッシングの論法で、ゼロ評価に走るだろう。

けれど、正直な話。

これほど対策的なサッカーをやられる機会は、リーグ戦で2回、とするなら、

それほど、気にすることもない。

ポイントは、(38ゲーム中)

はぐらかしのサッカーと出逢った場合、

❶それと同調してやり返すのか?、

あるいは、

❷それを凌駕できるまでの技量を高めるのか?、

どっちに徹底するかを決めるだけ。

僕からすると、後者しかないと思います。

しかしまぁ。

負けが決まると、潮の引くがごとくに、サァーっと退場するギャラリーよ。

共闘が自壊するとしたら、こういう部分からでしょうね。

では。

格言が生まれる日。

10歳の小学五年生が、

神田神保町あたりを一緒に歩いている時、

萬年と、その友人を前にして、

会話の途中に、

― 僕は賢いから。

とはさんだものだから、

後で、ふたりだけになった帰りの電車の中、

人生の先達として、穏やかに、かつ、毅然と、

― あの発言はまづいな。しかも、目上の人間の前では。

― ただ、笑いを獲るためだったんだよ。

― なるほど。そのユーモア、わからなくはないが。

けどね、こういう言葉があるよ、

〈できれば、他人より賢くなりなさい。しかし、それを、他人に知らせてはいけない〉(チェスターフィールド伯爵)

内心。

それと真逆な失敗を重ねてきた者が、よく言うよ、と思いながらも、ここは、見守る者の義務として、その子に助言したのである。

数日後。

停めた車を降りる折に、その小学五年生が、

賢い、とは、優しいことなんだよ。

と、ふと言う。

― …………。

それには、敢えて答えず、

こういうのが、人生のゴールデンタイムなんだろうか、と感慨に浸っていた。

10歳に教えられることは、多い。

では。

これぞ真正のプレシーズンマッチ(県サッカー選手権決勝)

有料2,000円(前売り)の、かなりホンキなプレシーズンマッチ、という位置づけだろう。

実は。

石さんが、そこから遡ってオフシーズンのスケジューリングをやった、

ひとつのゴール。

そう見做してもいいはずだ。

甲府戦でお披露目した骨格を、いくぶんか手直しするかも知れんが、

リーグ開幕まで、一週間あって、日程は、それほど詰まっていないので、

ほぼ踏襲するに違いない

下手したら(良い意味で)、#8 澤崎を中心にしたチームになってしまうかもな、という予感と嬉しさを感じつつ、

背番号#3を偲ぶに、もってこいの時季であるから、

マジックアワーに催行されるナイトゲームを、ただただ楽しむんですけれども、

対戦相手については、

もともと北信の血統下にある僕には、格別のこだわりもないので、

そこらはどうでもよく、

ゲームの見どころは、

上手さが強靭さと共存し、かつ、強さが上手さの昇華として表現されるサッカーであるかどうか?

そのサッカーで、

山雅流をスカすように裏を狙い、左右を揺さぶるであろう奇襲戦法を抑え込めるかどうか?

もちろん、ゲームの主人公と化して、勝利を引きずり込む〈巧さ〉も望む。

なにかと虫のいい注文です。

では。

夏を送りながら。

この22日に、庭の朝顔が咲き始めた。(年毎に、紫の色を増す)

24日には、オミナエシが、

それはそれは、小さく黄の花を持った。

夕方には、ヒグラシの声。

でもって、畑を歩くと、コオロギが、そこらを逃げ飛び跳ねる。

……なんだ、こうなればもう、季節は、秋も秋。

そんな中、畑から、スイスチャードの葉を数枚もぎってきて切ると、

それに。

玉ねぎを薄く刻んだやつを混ぜて、皿に盛り、

さぁ。

ドレッシングをかけて、いただく。

これって、けっこうな贅沢ではあるまいか。

と、自画自賛して、秋の味覚を楽しんでいる。

では。