
どうやら、来年は、1.5年のシーパスになりそう。
……と思いつつ、今季の総括をしておきます。
クドイと言われても、 来シーズンにつながっていくだろう事柄にフォーカスするため。
❶〈能動的にボールを動かすサッカー〉との、当初ふれ込みではあったが、
では、ボールを握って、どうやってゴールを目指すか?
について、チームとしての方法論、定番的な決め技が、最後まで不鮮明だった。
観る側からすると、ボールを保持した瞬間、その場限りの、選手のセンス的な対応でやっているので、味方を捜しての、コンマ何秒かの逡巡を常に感じた。
練習における連携の裏付けが感じられて、
あぁ、こういうことか~っ!!、と感服させるゴールシーンが少なかったなぁ。
たとえば、アウェイ群馬戦の、安永のゴールのようなやつ。
例外は、コーナーキックを含むセットプレイだが、ゴール比率は昨対より低い。
ま。
総じて攻撃的なスタッツ、シュート数、コーナーキック数など、昨季より減じ、攻撃的な野心がシュリンクしてしまった。
❷〈前後の切り換えが機敏なサッカー〉をめざしていたはず。
これは、リジットな陣形を保持して、攻守において先手をとることを意味していたと思うが、そこが、ゲームを追うごと、相手に引き伸ばされるままに、緩んだように思う。
後手にまわってしまうから、そこを挽回しようとファールが増した、と診る。
ボールに鋭く迫るのと、ファールを犯すことは違うはずで、反則ポイントで下位に沈んだのは、主体的なサッカーに不足した証拠。
❸勝ちを引き寄せるためのゲームプランの貧しさ
攻める守る、行ったり来たりを、遊ばず懸命にやっていたかも知れない。
が、
上に書いた〈決め技〉のないことによる(シュートまでいけない)攻撃の挫折と、
相手の攻撃に後手で対処することに追われ、ゲーム局面の読みと仕掛け、時間管理が希薄でしたね。
〈能動的〉を掲げて、自分らのやることにのみ焦点をあわせたって、
ゲームは、相手の出方が大きな要素なんだから、
逃げ切るだけの得点力がないならば!!、そこをもっと工夫してもらいたかった。
でないと、勝ちは、これからも、なかなか拾えません。
❹〈山雅らしさ〉への逃避。
ファン&サポーターや、役立たずのメディアが、懐古の情から、これを言うのは仕方ないとして、
クラブやチーム当事者が、この用語を使う場合、
実は、内容(実質、中身)がわからず、一生懸命やりますくらいにしか聞こえない。
僕からすると、
この言葉の意味合いとしてハッキリしているのは、〈弱者のサッカー〉に尽きる。
相手よりも、より走ること、だって?
走る、走らないを言うのは、おそらくは、50年くらい遅れたサッカー観であって、
どうやって、こっちが(準備しておいて)有利に始動するのか、
相手を仕方なく走らせる状況にするのか、そういうことを、そろそろ語りませんか。
山雅らしさを、闘争力や熱心さ(精神論)に求めるのは、もっとご勘弁。
それを、みづからの専売特許と思うところに傲慢と呑気さがあるわけで、
ゆるい集団だった、なんてタワゴトをきょうび言ってるようでは、笑われますよ。
こういう取材の低意が胡散臭いのは、
ゆるい=悪戦績、スパルタン=好成績、といった対照を、暗に、公式として明証的に印象づけること。
こういう図式は、疑ってかからないと。
たとえ、(組織が)ゆるくてもきつくても、
最高のファンサーヴィス、つまり、勝利で魅せるのが、プロフェッショナル。
ツヨクナル、はどこへ行った?
もちろん。
萬年はあくまで、強者の風貌をしたサッカーを観たい。
……以上、今シーズンの不満は、これにて打ち止め、とします。
では。