ルヴァンの影 (SC相模原戦レビュウ❸おしまい)

以前。

9~10月は、いくつか、週中にゲームが入る、

けれど、ホーム開催なことを鑑みれば、助かる、と書いたけれど、

相模原戦(の対応)をみる限り、

中3日前のルヴァン杯が、けっこうな影を落としていた。

ルヴァンでアピールしたプレイヤーは、何人かいたと思うけれども、

同時に、120分プラスアルファも走っちゃったので、相模原戦の先発選考から漏れたはず。

結果。

FC大阪戦の先発メンツを、そっくり踏襲する格好になったんですかね。

たとえば。

左ウイングバックの高野と、右センターバックの野田ちゃん。

このふたりは休養十分だったので、先発。

僕は、野田から高野へのサイドを変えて後方から入るクロスには、大いに期待しているのですが、

その発動は、82分まで待たねばならず、しかも、オフサイドの判定。

こういう部分には、恨みが残りますね。

で、ゲーム後半の挽回傾向をみると、

結果論になりますが、

先発と交代カードのメンツを逆転させてたらなぁ……と勝手な思案が浮かんで来る。

さて。

今月29日(火)は、ルヴァン2回戦で、アルビレックスと、ホームで対戦。

すると、その中2日前の、アウェイ栃木SC戦と、

および、中3日後のホーム鳥取戦。

このふたつの布陣のやりくりにも、首脳陣は、悩まされることとなろう。

……僕の推量では、

ガイナーレ戦が終わるまで、先発とベンチ(要は、ゲーム登録)メンバーの試行は続く。

プレイヤー達にとっては、競争とアピールの激化。

観る側からすれば、それも、ひとつの、大いなる愉しみであるんですけどね。

では。

愚直にグーで行け (SC相模原戦レビュウ❷)

ゲーム前に、山雅に近い或るお方と雑談。

― 僕からすると、今の山雅は、対戦相手がどうあろうと、グーで押し通す。
が、個人的には、時には、チョキ、パーの変幻サッカーもみてみたいですね。

1~2分のチョッとした立ち話は、僕の考えをおおいに整理してくれて、

ロングボールで、前線からのプレッシングを無力化し、かつ、アクチュアルプレーイングタイム(実際ボールが動いている時間)を極小化せんとするサッカーに対し、

特に、前半は苦しんだけれど、

セットプレイと、それが崩れた2次攻撃に対する守備がまづかったための立て続けの失点。

そこをのぞけば、それなりに戦えていた。

アクチュアルプレーイングタイムの極小化、および敵陣でのプレイ、ということにおいて、相模原は徹底していて、

たとえば。

センターサークルにボールセットしてのスタートは、常田がキッカーだったが、敵陣奥深くへ、わざとラインを割るボールを蹴り込んだ、2度とも。

その間に、陣形がサッと高い位置に展開する、こういう準備した緻密さがあった。

このゲーム、コーナーキック総数22本、セットプレイ総数24本、そこにさらに、スローインが加わるから、アクチュアルプレーイングタイムは、

30分そこそこだっただろうから、それも、山雅にとって逆風だった。

端から、そういったサッカーなんだから、

今回の場合は、クロスとセットプレイ対策がおぼつかなかったわけで、それには、キチッと対策をし直してもらうとして、

ロングボール作戦には、たとえ手こずっても我慢、割り切って対応するしかないと思う。(今後も)

愚直に、ハイプレスでやりとおす、ってこと。(ロングボールも、そのためのものと解釈)

さて、後半。

3失点の後の、62分に

佐藤、ソラ、アレンを、3枚同時投入してから、かなり形勢を挽回できて、

そこから、シュートを多く積む。

(相模原は依然としてロングボール一辺倒)

つまり、ドリブルをかませながら、地を這うボールで前進し、

ここから、クロスの投入、コーナーキック獲得へと、攻撃を展開できた。

かつての、カイガのプレイが想起された、#18 佐藤 遼の、縦横にスペースを縫うような動きは、魅せます。

……以上、今節は、多くの口が言うような、〈完敗〉では決してないから

不利、不調な時間帯を、いかに短くするのか?、これに、個とチームが傾注すべき。

では。

正直は,正義なのか? (2026.9.13 SC相模原戦レビュウ★印象論)

ドロー、だけれど、しかたなく決着をつけるためのPKをやって、結果、

ヒヤヒヤで、勝ち抜きの権利を得ただけなのに、それを、

〈今季初勝利〉と、メディアが浅薄な見出しを打つものだから、

その気になっちゃう、つまり、期待過大な人々が多く生まれてしまう。

そういった単純さが、山雅ファン&サポーターの愛すべき部分でもありますけれど、

反面。

パスが相手にプレゼントパスになっちゃうシーンなど、途端に、スタジアムを支配する〈嘆息〉。

そういう感情の、いちずでマジメな表出が、

チームとゲームから、ハツラツと意欲を奪うことに気づいていない。

だから、ホームで勝たせられないのでは?

……思うところあって、

前半はバックスタンドで観戦し、ハーフタイムに北ゴール裏へ移動。

チノ氏に、挨拶がてら、ゲームの感想を乞うと、

― あくびが出ちゃった……。

プレイスキック(コーナーキック含む)とロングボールの応酬ばかりで、

グラウンダーのやりとりが、スカスカ。

チームワーク(チームとして機能すること)と、ボールへの執着(寄せの速さ、鋭さ)で、

対戦相手に押しまくられた、となれば、

そりゃぁ、前半だけで、あくびも出るに違いない。

萬年的には、

プレビュウで指摘した、ベルマーレ戦における懸念(セットプレイ対応方式)と、

両者が、多く撃ち込んでいるクロスの多さ、

それが、結局は、

ゴール(特に失点)として、結実(もちろん悪い意味で)したのが、いやはやなんとも。

チノ氏の指摘を含めれば、

セットプレイにおける攻守の拙劣、それが勝敗の〈肝〉だった……。

今日の午後になって、

出先で、ハイライト動画を観ただけ。

なので、もう少し、キチンと観返してみて、

言うに値いすることがあったら、それは、レビュウ❷として書きます。

まぁ、しかし、アルウィンは、正直者。

昨夜の場合、南の民衆は、力んでBOOもする気にもなれず、って感じでした。

では。

思へば,遠くに来ちゃったね (SC相模原戦プレビュウ)

そんな歌の文句を思い出すのは、

1年半前の、ホーム相模原戦のスタメンで、現在も在籍なのは、安永レオ、ただひとりで、

サブに、キム、佐相、樋口、松村が控えていたが、

ただ、彼らを入れても、あの日の登録メンツの75%は、もはやチームを去ったから。

(他方、相模原は、高野 遼が先発、加藤 拓己 がサブにいた)

ロング、ロング、アゴー、アンド、ファア ラウェイ……。

これほどに、プレイヤーの流動性が高く、年毎にチームがガラッと変わるなら、

その変容を、どうこうできないファン&サポーターにしてみれば、

チームに不変性、普遍性を求めたい時に、

山雅にまつわる、なんらかの〈共同幻想〉を持ち出したくなるのも、わからなくもない。

ふだんは、そういうものには辟易している僕ではあるけれど。

……おっと、話が逸れた。

〈かなりの強敵です〉
Jリーグデータサイトから、両者のここまでのスタッツ集計をひろってみると、

❶得点と失点 松本 5 – 6、相模原 8 – 5

❷シュート 松本 56、相模原 63(リーグ2位)

❸コーナーキック 松本 35、相模原 32 (リーグ1、2位)

❹フリーキック 松本 55、相模原 58

これに、他所からの数字では、(ゲーム平均で)

❺クロス 松本 21、相模原 22  (リーグ2、1位)

……で、ほぼほぼ似た数字を叩き出しているが、

若干、相模原が優れていて、それが、彼我の順位差につながっている。

監督は、2年間指揮を獲るから、戦法の徹底度も、それなりに強固か。

まぁ、やるにおいて、相当の難敵なのは、たしか。

〈どこのポジションが注目か?〉
単純化すれば、

両者ともに、その左サイドが、攻撃の最重要、かつ、最活発ポイント。

と、そこからのボールを待って、ゴール前へ入る攻撃陣。

だから、石﨑氏が、ルヴァン杯で、高野、野田を疲弊せずに済んだのは、大きかったはず。

反面、双方とも、右サイドにおける攻守の出来が、かなり問われる

〈ルヴァン杯で感じた懸念〉
自陣に入った位置からの、相手フリーキックに対する守備の件。

いまの山雅は、かなり高い位置にラインを設定して、守る。

これはいい。

問題は、ボールをはじき返した、それからの対応。

ルヴァンでは、その際、ラインを素早く上げないために、

相手が拾ったボールを、こっちのラインがそのままで、再度、ボールが入ってくるのを待つ、そんな様相だった。

これだと、相手の波状攻撃を、ミスミスゆるすこととなり、ゲーム主導権をこっちに持ってこられない時間は増す。

ベンチからは、設定したラインを崩さないでステイせよ、という指示なのか知らんけれど、

みづから、サンドバック状態を作り出すなどは、愚かしいと思うんです。

守備の安定を真っ先に求めるのは、あくまで攻撃に専念したいがため、が石﨑流と理解しているので、

ここでは、守備ラインを、ムダに下げるな、と指摘したい。

では、アルウィンで。

いままで経験したことのないような。

(画像提供☞ジョーワールド)

最近、よく耳にするフレーズ。

気象庁の中の、どなたかの考案なんだろうが、

未曾有とか、前代未聞とかの、紋切り型表現を、

あえて避けている姿勢には、好感が持てる。

日本人は、昔から、年に二度ある雨季を、梅雨、秋雨と呼んできたのだから、

長い目でみれば、その激烈度は、そうそう変わらないのではあるまいか。

……などと考えるているのは、

そうなのだ、僕が、暇人だから。

生活が、ルーチンとお気に入りで埋められて、かつ、

それを。居心地よく感じるようになれば、

これは、かなり危険な、行き詰り、に違いない。

やはり。

瞬間瞬間が、そのとき一回限りの、スリリングな、(知的、行動的な)冒険に満ちていてこそ、がよい。

70年前に演奏された、この曲のように。

では。