
ひょんなことから、ひとつの動画に出遭った。
エリック クラプトン、御年 79歳。
知ってる人は知っているギタリストで、ヴォーカリスト。
こんなふうに年齢を重ねるのも、またいいよね。
しかし、まぁ。
クラプトンが、チャップリンの曲(スタンダードだが)を演るとは、しかも、それがカヴァーとして秀逸とは……。
(動画自体も、けっこう趣味が良い)
では。

ひょんなことから、ひとつの動画に出遭った。
エリック クラプトン、御年 79歳。
知ってる人は知っているギタリストで、ヴォーカリスト。
こんなふうに年齢を重ねるのも、またいいよね。
しかし、まぁ。
クラプトンが、チャップリンの曲(スタンダードだが)を演るとは、しかも、それがカヴァーとして秀逸とは……。
(動画自体も、けっこう趣味が良い)
では。

単騎、
山雅ゴール裏に挨拶にやってきた長野#7の 大野 佑哉。
これに対し、
観たところ、おおかた(すべてではない) は拍手で迎えていたから、
山雅のゴール裏、その見下した態度が鼻につくものの、
いまだ〈侠気〉が在る、ようにも思われた。
しかし。
長野市長は、何が言いたくて挨拶に出て来たんだろうか?
取ってつけたような空疎な儀礼への拒絶として、アウェイゴール裏がおこなった盛んなBOO。
これについては、洒落を感じ、徹底的に支持します。
さて。
一般的な地元市民の感想レヴェルでは、
つまりは、あらあらの素描だと、
ゲーム総体は、
突き放せない山雅 vs 同点以上にできない長野、の構図だった。
このような両者の力学関係は、この6月以来、ほとんど変化なし、と言える。
メインスタンド観戦の〈眼〉からだと、
長野のプレイヤーには、相当な気持ちの入れ込みを感じたけれど、
気分で押し通せるほど、サッカーは単純でもないから、
そこらへんのバランスを、こういうゲームをとおして、たとえば、村越 凱光が身につけていけば、レベルアップは間違いない。
僕からすると、長野とやるメリットは、どう考えてみても、それくらいしか思い浮かばない。
(ただし、長野駅発無料シャトルバスは助かりました!!)
ところで、N〇Kによるゲーム中継ですが、
その画面、DAZNのもの(信越放送による委託制作)をそのまま流用しているのでは?
画像配信における権利関係は、まったく承知しておりませんけれど、
他人の画に、ただ実況と解説をかぶせるとは、ずいぶんと安直な手法ですこと。
では。

まだまだ続く 対3バック対策……。
もちろん、予習していたらそのままシーズンが終わってもいけませんが、
長野とやった中で、今後に向かう活路は見えたのか、どうか?、の篇です。
〈基本的な前提と条件〉
おそらく!!、芝が根づいていないピッチ状況を勘案してのことと思いますが、
双方が、球離れを速くし、ドリブルを回避したこともあって、
結果、ファールの少ないクリーンなゲームとなりました。
特に。
長野が終始、ピッチ幅をワイドに使った攻撃を心がけていたから、よけいに接触プレイは少なかった。
❶ボールを握ることについて
ボールホルダーへの喰いつき、ルーズボールへの出足、セカンドボールの回収、これらは、マメにやっていた山雅。
相手GKのロングフィードは、主に、山雅左サイドをめざしていたが、
この局面では、樋口のヘデイングがほぼ100%優っていたのは、お見事でした。
というよりも、
長野#23の競り合い力が、お話にならない甘さ。
ひょっとしたら、端からボールを獲る気などなく、
樋口に当てて、その跳ね返りを狙っていた作戦、と診る方が適切なのか? (普段の長野を観ていないので詳細は不明)
実際はyamaga、
ゲーム当初から、場面場面で、ロングボールとパス多用とを使い分けていたんだけれど、
守備時には、5 – 3 – 2 を形成する相手布陣の、
中盤の3 の前線との連動画が乏しくて、最終ラインに吸収され気味。
結果、その前に空いたスペースが使えるとの読みから、時間の経過につれて、パスワークサッカーへと比重が傾いた、と診るべきだろう。
そこらへん、状況を診て意思統一の上、ゲームを主導していけるようになったのは成長の証。
❷サイドの攻防のはなし
相手陣地を深く侵す、となれば、(特にドリブルを回避した場合)サイドをえぐりたい。
この日、山雅の側で目だったのは、 (本来右サイド)#7馬渡の、左右に固定されないピッチ横断的な、自在な位置取り。
たとえば、相手オウンゴールのシーン。
あれは、馬渡が右に回ってきて、頭でボールを落としたのが起点。
そこから、ボールが安藤 翼に渡り、彼からグラウンダークロスが投入された、一連のグッジョブ。
オウンゴール。
とは言え、相手ディフェンダーが触らなかったら、同時に飛び込んでいた佐相のゴールになっていただけのこと。
サイドバックが柔軟に動けば、シーンにおける攻撃枚数は増え、かつ、そのプレイヤーがフリーでいられるわけだから、今後も多用したいプレイ。
あと附言するなら、クロスを入れるにしても、そこまでのボールの運び、入れるタイミング、クロスボールの高低、そこのひとヒネリでしょうか。
❸リスタートとセットプレイ
コーナーキックは、キックポイントに芝のはがれがあって蹴りづらかったはず。
でも、放り込んだボールは、山雅がほとんど最初にコンタクトできていて、狙いが遂行できたことは吉兆。
どうだろうか、ツエ―ゲンの場合、これほどに自由にやらせてくれるのかいな?
馬渡も、そこそこなロングスローを入れていたが、
一度なんかは、山本 康裕が、タッチラインでタオルをボールを拭き、スローインを準備しているではないか。
で、近くには馬渡が立っているから、これはフェイクだよ、きっと。
案の定、ボールは馬渡に投げられる。
こういった狡猾で、欺くプレイは、そこかしこにちりばめてもらいたいですね。
結果にこだわる、というのなら余計に。
では。
1 – 1 のドロー。
どんなメンツであっても、3バックには、やはり 4 – 3 – 3 だよね。
いろいろとチームも苦慮しながら考えているらしく、
おそらくは、スタメン発表と同じタイミングで菊井 悠介の負傷離脱をリリースしたり、
安永 玲央を、FW登録と〈誤記〉することで、4 – 4 – 2 を匂わせたり……。
帰りの長野駅行きシャトルバスでお隣に座った山雅サポーターの表現をお借りすれば、
モヤモヤはする。
が、これで、 10月の暮し方がはっきりした、と思いながら、帰途につきました。
では。

日頃、喫茶店めぐりをしているらしい(頻度は知らない) 同僚があって、
そこのマスターが……とか、そこで遭った常連の客が実は……、とかいろいろと教えてくれる。
そこで。
― でも、さあ。
あなたの話は、誰々は、どんな地位が在ったり、有名人に繋がっている、または、どれだけの資産を成した、そんなことだよね。
まぁ、そういう〈健全な〉上昇志向を否定はしないけど。
……健全、という言葉には、もちろん、多少の皮肉を込めているのですが、
要は。
名利(名声や名誉、利得)を求め、良しとする人生は、どうもなぁ?、と思っていて、
さりとて。
そういうところに走る向きが大半な世の中だからこそ、
そうでない生き方に感動をおぼえたり、いたく心情を揺さぶられるのかも知れない。
これは僕の偏見だが、
積極的に喫茶店に出向いてたむろするなんてのは、
(他に下心がない限りは)ロクな時間の使い方でない、と蔑んでいるからに過ぎない。
註;喫茶yamaga の場合は、すこし事情が違う。
『幕末太陽傳』は、1957年(昭和32年) 公開の映画。
この作品が、その年のキネマ旬報ベストテンでは、第4位(ベストスリー圏外)なんだから、
当時の邦画界には、当代トップクラスのクリエイターが集まっていて、かつ世間の鑑賞を獲ていた、ということか。
ちなみに、同年、外国映画部門の第1位は、フェリーニの『道』だった。
さて。
太陽傳のいちシーン。
遊女(左 幸子、南田 洋子)の乱闘を、
室内から、中庭へ降りて、そして次には、二階屋から見下ろして……と
一気に執拗に追いかけるカメラワーク。
これだけでも、演出の見事さと、応ずる役者の演技にやられてしまうけれど、
その後に。
男ふたり、湯船に浸かる静寂のシーンをそっと挿むところが、実にいいね。
では。