
ローストポークの下準備をしている家人に頼まれて、
庭から、
タイムとローズマリイを、それぞれ 4、5本づつ手折って持って来る。
ひょっとしたら、次の世でも、こんなことをしているような感が、急に胸に来た、
陽光の、秋。
折角だから、それらのハーブを読み込んである曲を。
映画では、UCLA(カルフォルニア大ロサンジェルス校)のキャンパスの設定だと思ったが、記憶が、定かではありません。
では。

まんねんしきにちじょう

ローストポークの下準備をしている家人に頼まれて、
庭から、
タイムとローズマリイを、それぞれ 4、5本づつ手折って持って来る。
ひょっとしたら、次の世でも、こんなことをしているような感が、急に胸に来た、
陽光の、秋。
折角だから、それらのハーブを読み込んである曲を。
映画では、UCLA(カルフォルニア大ロサンジェルス校)のキャンパスの設定だと思ったが、記憶が、定かではありません。
では。

昔、中学生の頃、
(当時、セザンヌとゴーギャンがもっとも好きな作家だった)
ゴーギャンの画のひとつ(1898年頃の完成)に、
〈我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか〉
とタイトルがあるのを知った。
横長の画面の中央には、半裸の女性が立つ姿が描かれ、
その両手を頭上に伸ばして樹から果実をもぎろうとしている。
……さて。
バイブル(旧約聖書)の記述には、
人間(の始祖)が、神と共に、エデンの園に住めなくなったのは、
善悪を知る木の実(食するのを神が禁じてあった)を、食べたことで、
智恵を獲たため、とある。
この箇所だけでも、聖書はたいそう洞察力に富むが、
これがまこと、とすれば、
全人類は、せいぜい小学校に入るころを境に、
神と一緒に暮らす特権を失う。
この年齢あたりから、
悪いこと、良いことの判断を身につけて生きるからだ。
動物以上、けれど、神(絶対的な全能者)未満(になれない)の、人間には、
けれど、智恵、すなわち、考える力(悟性とも判断力とも) が与えられていて、
この能力を、武器として、意識的に最大限使うしかないべぇ、と作りあげてきたのが、
ここ数世紀の西欧の学問と文明であって、
日本も、江戸時代を終わりにして150年このかた、この潮流に乗っかっている。
夏目 漱石は、どこかで、
西洋が100年かかってやってきたことを、明治は 40年で繰り返している、と書いた。
漱石の感想(の中身)を、それからの100年の中で、
日本人は、トコトン吟味してこなかった、というのが、僕の感想……。
では。

ジョージ ウインストンの、この曲かな、やっぱり。
沈潜、と自分に向かい問うている 午後 萬年
では。

ひと言、申し上げます。
昨夜の雷天と強雨(その後の) であれば、ゲーム開催中止は至当であった、と存じます。
前列の観客をコンコースへ誘導、告知された19:00 の、その 5分前の〈中止〉のアナウンス、
これら、混乱もなく、適切な対応でありました。
貴公式サイトでは、雷雨の影響により中止、とあり、
また、山雅公式サイトでは、少々踏み込んで、
お客様や試合運営関係者の移動及び試合観戦時の安全確保が困難なため。
要は。
スタジアムにおけるゲーム当事者と観客の人身の安全を守る、が中止の理由。
であるならば、ひとつの疑義がありまして、それは、
無料シャトルバスの、待機列の件。
金沢駅行きの場合、1時間強にわたり、(人は変われど)利用者は、あのいなづまと豪雨の中、やってくるバスを待って、屋根なしの駐車場で立ちんぼをしていた。
私の場合は、
スタジアムの1階で時間をつぶし、行列が途切れた次のバス到着を待って、乗車場所まで、ダッシュ。(同じような方はけっこういました)
観客の安全確保を第一義と考えるならば、あそこは、
たとえば。
雨などをしのげるスタジアム建屋横あたりに待機列を作り、1台ごとの人数に区切っておいて、
バス到着のたびに、ひとつのグループを、百メートル向こうの乗車場所まで誘導する、でよかったのではないか。
ただし、雷の多い、北越の錦地においては、
あれくらいの雷雨は、それほど騒ぐことでないならわしと生活動作であるならば、
当方は、郷に入っては郷に従うべき、かも知れませんね。
いづれにしても、代替ゲームは、おそらくは、10月の中旬あたりの平日ナイトゲームかと。
できれば、ふたたび参上したく存じますが、
その夜には、天候などの災いが無き事を祈っております。 草々。

金沢戦。
ホームでの勝利(2 – 1)から教訓を引き出せば、
それほどアジリティ豊かではない金沢ディフェンス陣に対しては、
その裏を狙ったボールと飛び出しで勝負!!、といきたいところ。
沼津戦では。
高橋からの、向かい風を衝いたロングフィードと、
相手#14の(追い風で伸びた) ボール弾道を見誤った後方へのヘディング(ミス)が、林へのプレゼントパスになって、2点奪取。
これらは、強い南風、手間ひまかけられないメンツ、などの状況下で起きた。
だから、金沢戦で、同じ二匹目のどぜうに出会える、とも思われませんが、
ポイントはふたつ。
❶どんなやり方で相手ゴールに迫るにしても(ロングフィード or パス交換)、
相手ディフェンスを前後左右に揺さぶることで、空いたスペースを見い出したい。
攻撃的にやる金沢であるから、そのサイドバックの帰陣が遅れれば、センターバック3人の両脇は空き、守備網は粗くなる。
❷実直にやることは、必ずしも、利益を生まない。
上に書いた、沼津MFの、無理なヘディングがその好事例。
なんとかボールに触れてボールを弾き返したい、という意欲はよいが、
結果、ボールを後方へ逸らし、それが相手フォワードに渡る。
反射的に、しゃにむにボールに行けば良いのではない。
そこは、機に臨んで、
獲るのか捨てるのか、走るのか時間を取るのか、止めるのかやらせておいて次で遮断するのか。
瞬時に、Think!!! せよ。
(時間が取れる) セットプレイのデザインとは違い、
咄嗟の判断を要すから、むづかしいかも知れんが、
相手は経験と技量において、こっちに対し優位にあるといっても、
金沢のサッカーは、それほど、こむづかしいことをやらない。
ドリブル開始、クロス投入、ペナルティエリアへのなだれ込み、オープンスペースへの縦パス、これらをやるべきな者が、素直にマジメにやってくる。
唯一の狡知は、こっちにボールを持たせることぐらいか。
だからこそ、当方は。
でき得るかぎり〈狡猾〉〈冷静〉に、守功を出し入れしよう。
そして、準備したことを、思いっきりやるだけ。
では。